第3話 大時化の恐怖

磯釣り師である以上、だれもが海難事故の危険をはらんでいる。そこが地磯であれ、半島周りであれ、そして、離島であれ条件は同じだ。自然相手の遊びだもの、天候が急変することはよくあることだ。100パーセント安全ということはありえない。しかし、そういう覚悟をしながらの遊びとわかっていても実際にその場面に遭遇すればかなり動揺すると思われる。

通常、離島の瀬渡しでは、目的地までの距離が遠いため、もしも天候が急変した時のことを考えて、船長は出航の判断には慎重にならざるを得ない。波高予報1.5mでも現地の漁業関係者と連絡をとって危険と判断すれば中止となるのが常である。

2月から3月にかけては、春一番、二番が吹きやすく、この時期は出航に特に慎重だ。だが、春一番は天気図を見ればある程度予想できる。天気図を見て問題なければもちろん出航ということになる。

ところが、天気図に現れない、突然発生する低気圧にはまったく対処しようがない。それが離島便が出航する夜ならばなおさらわからないはず。

これから、紹介する経験は、磯釣りに見え隠れする危険について大いに考えさせられたものだ。

2006年2月12日のこと。2月と言えば、南九州の離島のワカナ釣りの最盛期。磯釣り師ならばだれもが憧れる離島での尾長釣りを半年のまえから計画し、道具など周到に準備する釣り師が数多くいる。硫黄島でのワカナ釣りを経験した後、更に、垂涎の地ともくされる草垣群島に行きたいという思いは、磯釣り師ならば当然のことである。

前日の土曜日にはたくさんの瀬泊まり客がいてワカナを狙っているという状況だ。その客を日曜日には回収になければならないので、出航の判断は当然と思われた。

草垣群島は、薩摩半島の南西約90キロの海上に浮かぶ無人島である。枕崎港からの高速渡船でも3時間はかかるというこの島は、北西の季節風が吹くこの時期は中々人間の渡礁を許さない。正に絶海の孤島である。東から南西約6kmの間に上ノ島、中ノ島、下ノ島、南ノ島の比較的大きな島と小さなハナレ磯が三日月形に点在しており、口太、尾長がこの時期にはそのどの場所でもよく釣れるらしい。南九州憧れのこの場所に行きたくて2年前の3月中旬に挑戦したが、イスズミ、ソウシハギ、ダツの猛攻に敢えなく惨敗。

「口太さんは産休に入ったようですね」の船長の言葉にうなだれて帰路についたことを思い出した。このままでは今年は尾長に会えずじまいかも。そんな思いを引きずりながら、草垣にリベンジを決めることにしたのだ。

天気はというと、2月6日からの週は比較的穏やかな天候が続いていた。「週末は寒気も緩むでしょう」と気象予報士のお姉さんが全国の釣り師を喜ばせる一言を電波で発信してくれた。2月12日(日)は月夜の大潮周り。今年はこの調子で天候に恵まれてほしいなあ。前日の昼に武岡フィッシングにпB「出ますよ。夜中の12時に来てください。」でいよいよ人生2回目の草垣群島への挑戦権を得たのだ。
今回のねらいは、もちろん尾長。そして、すでに渡りのクロが入ったらしい状況での口太の数釣りである。竿は夜釣り用に石鯛竿、5号竿。昼釣りに2号竿を2本用意した。仕掛けは、夜釣りでは、1〜2号の電気ウキと、10〜20号の真空おもり、石鯛仕掛けを利用したワイヤー仕掛けを用意。それに念のため、3本の枝スをつけた仕掛けの18号ハリスバージョンと12号ハリスバージョンも準備した。

午後9時に人吉ICの出口付近にあるファミマで待ち合わせ、荷物を積み替えていよいよ枕崎港へ出発だ。車中で例によって、釣りの情報を交換し合い、お互いに今回の意気込みについて語り合った。まるで修学旅行の往き道のようだ。「尾長を釣りたいですねえ。口太も爆釣してみたいですねえ。」とK氏に声を掛けると、「いやあ、1匹でも釣れればいい。それより、海難事故もなく交通事故もなく帰れるほうが大事じゃなかと。」なるほど、その通りだ。釣りに夢中になって大切なことを忘れるところだった。自分の慢心を諫めらたように思い、また気持ちを新たにするのだった。いつもの九州自動車道経由指宿スカイラインを通り、枕崎港に午後11時20分頃到着した。

お魚センターのすぐとなりに灯りをつけて停泊している船が、今回我々がお世話になる武岡フィッシングのシーホークだ。このシーホークは同じ第八美和丸と並んで瀬渡し船としては最大級の大きさだ。2年前に草垣群島に行ったとき、2.5mの波だったが、第八美和丸で揺れをほとんど感じず快適な船旅だったことを思い出した。

今回の天候は、晴れ、波高2mのち1.5mと問題なし。八代と薩摩半島内陸部で予報に反して雨がぱらついていたのが敢えて言うと気になる情報だった。「荷物をのせてください。」と船長が準備を促してくれた。「今日は風が強いみたいですね。」と船長にコンタクトをとれば、「西の風だねえ。でも大丈夫でしょう。」とのこと。どうやら我々が一番遅い組だったようで、午後11時50分に15名の釣り客を乗せたシーホークは枕崎港を離れた。

シーホークのキャビン内の奥は丁度扉のない押し入れのようになっていて、人間1人がやっとで入ることができるような高さだ。そこの一番奥に滑り込んだ。閉所恐怖症の方はきっといやになるに違いない場所だ。電気が消され、これから草垣群島までの3時間、ゆっくり眠ろうと横になっていると、少しずつ異変が起こり始めていた。大丈夫だったはずの海況が思わしくない。港を離れて20分ほど経つと揺れ始めた。ドスンドスンと波が船胴に体当たりしている。「結構揺れるなあ」眠りにつこうというのにこれじゃあ眠れないよ。

この時点ではまだ余裕だったが、更に5分経過すると、ドッカーンという音に変わっていた。「おいおい、大丈夫かな」こんな大きな船がここまで揺れているんだから、相当な波が押し寄せているのは間違いない。さっきまで眠かったのに、頭の中は完全に目覚めてしまった。更に5分たつと、船の揺れで体が無重力状態に。「こりゃ、大変なことになるのでは」たまらずシーホークは減速を余儀なくされた。絶え間なく繰り出される大波に翻弄されながら、ゆっくりと船は航海を続けている。どれくらいの波がやってきているのだろう。キャビン内は真っ暗で何も見えない。見えないからこそ時化の恐怖は大きくなるばかりだった。

事態の重大性を感じた私は、ライフジャケットをつかんだ。もはや釣り場に行けない心配より、自分の命がどうなるのかが気になりだした。もし転覆したらどうやって脱出したらいいのだろう。ヘッドライトよし、携帯電話よしと訳のわからない確認作業をしている。落ち着け落ち着くんだ。自分に言い聞かせている。ああ、ついてないなあ。こんなんで自分の人生が終わってしまうのか。家を出るときの「いってらっしゃい」あれが家族との最後になるのだろうか。いやいや大丈夫さ。この船が沈むなんて考えられない。

船の揺れは相変わらずで、外の音がわずかに聞こえるが、その音からしてもとんでもない時化であることは間違いない。何を怒っているのだ、ポセイドンよ。キャビン内の釣り客は皆押し黙っている。みんな怖くないのだろうか。

そのうち、無重力状態から解放される時間が多くなってきた。だんだん揺れが小さくなっていく。「良かった。峠は越えたのかな。」船は本来のスピードに戻り、快適な船旅に変わっていた。時計を見ると午前1時過ぎ。「あれは、一体何だったんだ。」これからこの調子で現場まで行けるといいけど。ところが、その期待もむなしく、船は極端に減速し始めた。あれっ、おかしいぞ。もしかして。船はゆっくりと方向を変えるように動き、完全に停止した。そう、シーホークは、あまりの時化に枕崎港に帰ってきたのだった。
状況が飲み込めた釣り客は次々に港へ上がっていった。船長の第一声に注目した。「ケツが浮いたからね。このまま行っても7時間はかかるよ。だから帰って来ちゃった。」吐き捨てるように続ける。「予報じゃあ、2m〜1.5mだったんだよ。ありゃあ7mはあったよ。この船にのってあんな波初めてだもん。」やはりかなりやばい状態だったらしい。

「前線が急に発生したのかなあ。雨も降ってきたからね。」草垣群島でも9mの北西風が吹いているそうだ。みんなやれやれといった表情で船長のつぶやきを聞いている。みんな心の中で引き返して正解と言っているようだった。船長が指示を出す。「状況をみて行けるようだったら、竹島へ行きます。もうやめる人はいいですよ。どうぞ。」とんでもない時化を体験したせいか、戦闘意欲が失せた客が8人ほど去っていった。我々は協議の結果。竹島へ行けるかどうか午前3時過ぎまで待つことにした。

他の釣り師が恐ろしい一言を。「さっきラジオで言ってましたよ。草垣群島で今日、釣り客が2名、磯から転落して、1人は救助されたが、もう1人は行方不明になったそうですよ。どこの船が出たんですかねえ。」K氏と顔を見合わせた。あなおそろしや。あのままもし草垣群島に行っていたら我々がその憂き目にあっていたかもしれなかったからだ。

しかし、我々は悔しさはなかった。それはなぜって。今こうして私は生きているんだもの。だからまたいつか釣りに行けるんだから。7mの恐怖を味わったことでまた海の奥深さを知り、海が益々好きになった。K氏と再び竿を出すことを誓って枕崎を後にした。後になってニュースで聞いたが、草垣で行方不明になっておられた鹿児島の会社員の方は、無事その日の午後1時過ぎにハナレ瀬にたどり着いていたところを瀬渡し船に救助されたそうだ。

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