第1話 北海道旅行記(2008年12月31日〜2009年1月3日)

今年の正月は北海道に行こう。

 2008年8月の終わり年末年始の旅行を家族で北海道へ行くことに決めた。夫婦ともに旅行が趣味ということもあってすんなりと決まったのだ。

しかし、わが夫婦は所詮赤の他人。旅行の趣向も当然違う。わが妻は、旅行に関しては、彼女なりの非日常的な体験をしたいという。きれいなホテルに泊まり、贅沢な思いをしたいというのが希望。侘びさびのひなびた旅館を好む私とはまるで違う。

私は、たとえ一流ホテルとはいえ、サービスの行き届いたマニュアル化された何か乾燥したような接客は好きではない。それよりも無愛想でもいいから、人間味あふれた面白さがほしい。

 しかし、家族旅行に関していえば、やはり女性の意見を最大限に聞かねばなるまい。私が釣りにいけるのも彼女の忍耐のおかげなのだから。

第1日目(12月31日鹿児島空港〜羽田空港〜函館空港〜五稜郭〜函館温泉)

 さて、そうこうしているうちに旅行当日の朝になった。一日目は函館に到着してとりあえず北海道に到着しなければならない。

朝8時の鹿児島発の飛行機で羽田で乗り継ぎ、函館空港に着いたのが午後3時前だった。年末は寒波の襲来で北日本は荒れ模様の天気です。その予報のわりに信じられないくらいの穏やかな着陸だった。

数年前、一度日本海へ上昇し、その後、機体を斜めに傾けながら着陸するという恐怖の小松空港のような着陸を予想していたのだが。空港について、北海道とはいえ最も南に位置するこの土地は、思った以上に明るく開放的な雰囲気を持つ。

到着のロビーでは、添乗員さんが待っていてくれた。北国の女性らしく色白の道産子添乗員は、流暢な説明で我々を上手に操っていた。バスでの出発前時間があったので、お土産屋さんを散策した。わけわからないその土地独特のものを探すのも旅の楽しみの一つだからだ。




函館空港のおみやげ店での珍品

 名古屋からのツアー客が到着し、全員集合。バスに乗り込む。一年中で最も料金が跳ね上がる最悪の日を出発日に選んだのは、全国からやってきた総勢35名の布陣だ。

最初に訪れたのが、トラビスチヌ修道院。今日は構内に入ることはできなかった。駐車場から写真をパチリ。

次は、五稜郭公園。日本で唯一の西洋風の城郭で、榎本孝明らが函館戦争を繰り広げた舞台だ。公園内をしばらく歩いた後、五稜郭新タワーに上って、五稜郭の全体像を見ることができた。高さ98mから見る五稜郭の眺めはすばらしい。ちょうど午後5時にライトアップされ、さらにくっきりとペンタゴンの稜線が浮き上がった。

 その後、ホテルに入り、お楽しみの夕食。造りの中で驚いたのはホッキ貝だ。九州で食べるそれとは、味、香りとまるで違う貝のように思えた。また、期待はずれはイカの造り。「今日はたまたま活きイカが手に入りましので、毛がにの代わりにお持ちします。」という説明があった。九州人にとってはイカはそれほど珍しいものではない。

出てきた透き通ったイカは、はっきりいって九州の呼子がはるかにうまい。また、生姜醤油でたべるというのもどうも納得がいかなかった。北国のしょうゆはこちらのしょうゆと違って塩辛い印象を受けた。やはり、その土地で味付けが違うというのは当たり前。違うからこそ旅の値打ちがあるというもの。

驚かされたのは実は意外な食べ物だったのだ。その名は「ふっくりんこ」函館米をそのように言うらしい。そのご飯はつやといい、弾力といい、味香りともに最高クラスだと思った。料理の中で一番おいしかったのは1杯のご飯だった。北海道の米恐るべしだ。その後の夜景ツアーの時間を気にしながらのあわただしい夕食となった。

 夕食の後、午後7時20分から函館の夜景見学に出かけた。夜景はどこでもみれるさとあまり期待していなかったが、ロープウエイで300m付近まで上るとびっくり。見事な夜景が待っていてくれた。

空気がすばらしいのか、高すぎず低すぎずちょうどいい高さになるためか、その夜景は今まで見た中で間違いなくナンバーワンである。聞いてみると函館は世界の3大夜景にはいるそうだ。気温3度の冷たい空気も夜景をすばらしいものにしているように思えたのだった。


函館市の夜景


中に入れなかったトラビスチヌ修道院


まだ4時代というのに暗い五稜郭公園


当時の大砲がそのまま展示されていた


第2日目(1月1日 函館〜朝市〜大沼公園〜昭和新山〜洞爺湖温泉)

1月1日元旦。普段と変わらない朝を迎えた。昨日を大荒れの天候は、129便もの飛行機を欠航させたが、函館山の東側を走っているとベタ凪の太平洋が何もなかったように迎えてくれた。

 しばらく走ると、青函連絡船が、いや今や博物館となった摩周丸が停泊している港に到着。左手の薬指の指輪がまぶしい道産子美人の添乗員さんの説明で、ここに函館朝市があることを知らされた。

元日ということもあり閑散としている市場に入る。所狭しと並べられた海産物の数々、タラバガニとまったく見分けがつかないアブラガ二。こじんまりとしているが、豊かな海の幸を食させてくれる丼街。市場というところは、心躍らせる何かがある。


活気あふれる元旦の函館朝市


バフンウニを食べさせてくれる露店あり

 さらに、元町を歩く。バスの中では味わうことができない経験ができるのがぶらぶら歩きのいいところ。

九州では、考えられない二重窓、トタン屋根。ロードヒーティングが施された道。そして、さすが異国情緒の街函館とうならせられた西洋風の街並み。大正時代にできたといわれるその界隈は、西洋風建築と格子戸など和風とが入り混じった摩訶不思議な建物を見ることができた。

そして、またまた面白いものがあった。元町のそれほど遠くない場所に、神社、お寺、ギリシャ正教会、イギリス国教会、ローマ教会などが集まっているのだ。なんとも面白い空間だった。函館には異文化を受け入れる大きな懐の深さを感じるのだった。


旧函館区公会堂


和洋折衷の函館の街並み


民宿好きにはタマラナイ看板


函館は坂の多い港町です
  
 次に向かったのは、北海道昆布館。ここの昆布だしはうまかった。見事なうまみ成分のハーモニーに一口含むだけで自分のDNAが躍動するのがわかる。昆布館恐るべしと思った。


恐るべし 北海道昆布館
    
 さらにバスは走り、大沼の千の風になってのモニュメントを見学に。それよりも北海道の大地に生きるカラスに目を奪われてしまった。おろかな人間が残すであろう数少ない食料をどうとってやろうかと常に緊張感をみなぎらせていた。鳴き声が九州ののんびり感とはまったく違う。

 昼食は、長万部の海鮮バーベキュー。長万部に行く途中で、右は太平洋、左は雪山と変わらない風景が続いた。


千の風になってモニュメント


ワカサギ釣りといううれしい看板 大沼公園にて


一番上の色は赤なのです


トドって食えるの?

ここで、睡眠と思いきや、ガイドさんが眠らせてくれない。アイヌの歴史の話を始めたからだ。われわれ日本人は、単一民族であると思い込んでしまう節がある。ましてや九州にいればそれはなおさらで、われわれの先祖がアイヌ民族を侵略したことはあまり歴史に登場しない。長万部という珍しい地名だけがTVなどでギャグの対象として紹介されたことがある。このTVをアイヌの方々はどんな気持ちで見ていただろう。長万部という言葉は、アイヌの言葉である。今は、アイヌの文化を北海道遺産として大切にしようということを行政も一緒になってがんばっているそうである。

 久しぶりに見た護岸していない川を突き抜けるようにして走る高速道路を走ること50分、有珠山の西山火口に到着。民家の目と鼻の先から火山が噴火したということがよくわかった。続く昭和新山をみて、自然の驚異を目の当たりにできた。どこにでもある麦畑がある日突然の火山活動で盛り上がり400mを超える山になったのだから現地の人はさぞかし驚いたことだろう。ここの熊牧場はなかなか面白かった。まずえさが豪華だ。りんご。贅沢な熊だなと思っていたが、その熊よりも実は熊よりも目をぎらぎらさせて熊が隙を見せようものならあわよくばえさを奪ってやろうと構えているあの北海道ガラスに心を奪われてしまった。本当にここのカラスはテンションが高いね。

 北海道の大きさと人々の懐の深さを知った2日目。明日はどんな北海道が待っていてくれるだろうか。


自然の脅威1 有珠山西口火口


自然の驚異2 名画「赤富士」のような昭和新山


第3日目(1月2日 洞爺湖温泉〜旭山動物園〜色彩の丘〜後藤純男美術館〜札幌)

旅は道ずれ世は情け。旅も3日目になると、慣れてくるもの。雪の中外に出て、「今日は割と暖かいね」ともっともらしいことを言えるようになった。

今回はいつもと違うのはツアーでの旅ということだ。旅は自分であれこれと計画を立てて調べたりしながら実行することがその醍醐味だと突っ張ったところで、極寒の時期に北の大地は南国育ちに我々には過酷すぎる条件に思えた。

ツアーのいいところは、ガイドさんのありがたいお話が聴けること。他のお客さんと知り合いになれることにある。

名古屋空港からやってきた6人ずれのいい感じの家族客。かなりの旅費になるだろうなあとか。自分の座席の後ろの20代の女性2人組。こんな平均年齢の高い旅行ではなく、スキーなどに行けば若い男はいくらでもいるはずなのになんてつい余計なことを考えてしまう。こんな人間模様を感じることができるのもツアー旅行の面白さ。

 さて、3日目は、今回のメイン旭山動物園が待っている。洞爺湖から一気に旭川にいかなければならないということで、朝少々早い7時半出発。

室蘭市、登別市、苫小牧市、北広島市と進んだ。北海道の地名はアイヌの言葉が語源というものもあれば、最近では、北広島市のように、開拓に携わった著名人の出身地からとったものもあるそうだ。他にも香川、鳥取など。北海道の中央部分を走ると広大な石狩平野にが見えた。ただし一面銀世界。


すがすがしい洞爺湖の朝


高速のSAでは 手動除雪車が活躍


真冬のソフトクリームもタマラナイ魅力が

北海道の開拓の歴史で忘れてはならないことは囚人の活躍である。現在の札幌〜旭川間の国道12号線は囚人道路と言われていたそうな。囚人たちの過酷な労働で道が出来上がっていったという。また、かつて北海道で栄えた炭鉱でも囚人たちが黒いダイヤを掘り続けたそうだ。そういえば、九州でも同じ話がある。九州の多くの鉄道と炭鉱の最前線で働いていたのは、強制連行等で連れてこられた朝鮮人だったそうだ。

 12時頃、いよいよ旭山動物園到着。はやる気持ちを抑えならが東門から下り坂を滑らないように慎重に進んでいった。さすがに1月2日。わずかな動物たちにおびただしい数の人間が群がっていた。こんな人間の姿を見て動物たちはいったいどんな気持ちで私たちを見ているのだろうか。もしかすると、見られているのは我々人間ではないだろうかと考えてしまう。それだけ人間の数が多かった。

 この動物園のコンセプトは行動展示という手法だそうだ。ここで飼われている動物たちはどの動物園にもいそうなものばかり。ところが、動物本来が持っている能力を様々な角度から見せようとする手法で人気が高いそうだ。確かに、動物たちはほかの園よりも生き生きしているように思えた。エゾシカにシカとされながら飲む北海道のビールは格別だ。

 このあと、色彩の丘でスノーモービルを楽しんだあとは、富良野に行って日本画家の後藤純男美術館で左脳に栄養分を補給した。
 今日の最後は、札幌での食い倒れ。カニしゃぶに札幌ラーメンの食い倒れコースで撃沈。ホテルで爆睡して3日目が終わった。


さあいよいよ お目当ての動物園だ


人を見に来たような にぎわいを見せる旭山動物園


  行動展示の美 ホッキョクグマの毛って透明なんだって


エゾシカにシカトされながら飲む北海道ビールは格別だ


四季彩の丘のスノーモービルのコースは夏場には花畑に


札幌の夜は、カニしゃぶで


かろうじて空いていたラーメン横町


JRタワーの38階  夜景に向かって撃て 斬新な男子トイレ


大通公園のイルミネーション


雪祭りの前に撤去されるそうな


第4日目(1月3日 札幌〜小樽〜新千歳空港〜羽田空港〜鹿児島空港)

4日目ホテルを出ると、粉雪が舞っていた。どんよりとした低い雪雲が札幌市内をすっぽりと覆っている。このスチューエイションは絶対演歌だ。すすりなくトランペットの音色が似合うね。これこそ北の国へやってきたと実感できる情景だ。

 ところがホテル内は不思議なことにここは本当に日本なのと耳を疑う。聞こえてくる話し声の多くは中国語だ。どの声もみなテンションが高い。たまに韓国語、ごくまれに英語という具合だ。このホテルで日本人を捜すのは難しかった。

 40分ほどバスに乗って4日目最初の訪問地小樽へ着いてもこの状況は変わらなかった。日本にたくさんの外国人が集まってくれるのは、とてもいいことだし、国内旅行の我々に比べると、海外旅行である彼らのハイテンションは理解できる。相当な体力、気力、財力を使って来られているからだ。しかし、彼らの勢いは正直日本人としても脅威である。せめて、彼らが母国へ帰ったとき、日本は平和で美しい国だと感じてくれたらうれしいことだ。

 小樽は、商業の港として栄えた。たくさんの外国の物資が入ってきた。大量の物資を運ぶためには運がができた。現在は、その運河の先が観光地となりおしゃれな店が建ち並んでにぎわいを見せている。


はいからな小樽を象徴するメルヘン通り


ここ小樽地方はニシン漁で栄えた町でもあった。その時期がやってくるとたくさんの二審が産卵のために岸近くまでやってくる。ニシンがやってくると海の色が変わったという。その原因は、ニシンのオスの白子。

ニシンがやってくると町のみんなは大忙し。人手が足りないと、学校も臨時休校になったほどだったという。とにかく、ニシン漁は時間との戦いだったそうで、船でとれるだけ取っていくという漁を続けていたんだそうな。

一晩で五百万ほど稼ぐ親方もいたとか。その時のくらしの様子がリアルに表現されているのが「ソーラン節」だ。東北地方から出稼ぎでニシン漁に従事し、生活し、やがて定住していく人々がふえ、このあたりの人口は飛躍的に増えていったとか。

 このあたりの日本海側では、ニシンのことを「鯡」と書かせていた。ニシンはお金になるので、魚にあらずということらしい。だから、ニシンは米と同じ数え方をする。ニシン1石は大体4000匹に相当する量だそうだ。ニシン漁のスケールの大きさを推し量ることができるね。
 ニシンはやがてとれなくなり、ニシン漁をする人も激減。乱獲だ、海水温の上昇だと言われているが、原因ははっきりとは分かっていない。現在は石狩湾にニシンが少しずつ帰ってきているそうな。北海道では黄色いダイヤと呼ばれているニシンの卵つまり数の子にはそんな歴史があったことを子ども時代は知るよしもなかった。子どもの時はなぜ決して食感がいいとは言えない数の子を好んで食べるのか理解できなかった。

 現在は、卵ではなく、小樽の寿司屋ではニシンの握りが味わえるとあって、和由子似の添乗員さんに紹介してもらった回転寿司屋に入った。早速、ニシンの握りを注文し味わった。とにかく、うまいの一言。濃厚な味だ。この回転寿司屋でゾイ、カレイ、紅鮭、ホッケなど、北の地でしか味わえない珍しいものを中心に食したが、一番美味しかったのは意外にもサンマの握りだった。小樽の回転寿司屋を侮ってはいけない。なぜなら、シャリの美味しさは九州の寿司屋以上のレベルにあった。地球温暖化でこれから北海道が最も美味しい米を生産できるようになると言われている。北海道恐るべしだ。

 1つ理解できなかったことがあった。それはマルコバンという魚のネタ。この魚は、南国硫黄島の夜釣りで時々釣れるやっかいな外道のコバンアジの仲間らしい。船長が「うまくない」と言っていたので、リリースを繰り返していたが、これからはキープしようかなと食してみるが、おいおいあまりに淡泊すぎて味がない。この魚はこの店の中でも330円という金色の更に盛られていていわゆる看板メニューらしい。しかし、この魚に330円払う気持ちは二度と起こらなかった。


料亭風の玄関を持つ回転寿司屋


この店のおすすめ3種 ハマチトロ 紅鮭 ニシンの握り

 さて、小樽を後にして、新千歳空港への帰路に。4日間にわたる北海道では、様々な刺激に触れた。異国文化を受け入れる懐の深さ、開拓者の心、アイヌ文化、自然の驚異の中でたくましく生きる人々や動物、美味しかった食べ物、北国でのくらし、商業に生きる人々、と挙げるときりがないほどだ。

北海道のすべてのものから元気をもらって九州に帰ることができるとそう思うのだった。旅行代はかなり無理したが、来てよかった。

みんな〜、北海道はいいよお!


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