世界文化遺産&国宝巡りその2

これも徒然草で有名な世界遺産の仁和寺。この寺院の歴史は古く、9世紀の宇多天皇までさかのぼります。宇多天皇と言えば、思い浮かべる人物は菅原道真公です。

宇多天皇は、実力があれば、当時権勢をふるっていた藤原氏でなくとも重職に登用しました。菅原道真もその中の一人。藤原時平に次ぐナンバー2の役職を与えていました。

ところが、宇多天皇が退位すると、時平の陰謀で九州の太宰府に左遷されます。失意のうちに道真が亡くなり、その後、道真の怨念が落雷となって京の街を襲ったと伝えられています。(人々は道真の怨念を鎮めるために北野天満宮を建てたと言われています。今回、そこにも行きたかったのですが時間がなく断念しました。)

ところが、道真の故郷である桑原町にはその雷が落ちなかったということで、京の人々は、「くわばらくわばら(ここは桑原町ですから雷を落とさないでください)」と落雷の被害から免れたいと祈ったといいます。これが転じて、わが身に災いが降りかからないように祈って「くわばらくわばら」と言うようになったといいます。

中学校の時に読んだ本がこのようなことを教えてくれたことを思い出すことができました。道真は学問の神様として全国各地の神社で祭られています。太宰府天満宮では、今でもたくさんの受験生が訪れますし、私もお世話になりました。


ここが仁和寺の入り口です

そうこうしているうちに、仁和寺の入り口にやってきました。真言宗の御室派の総本山で寺院としての由緒も正しいが、そのダイナミックさと繊細な仕掛けも大変素晴らしく、こんなところならもっと早く行けばよかったと後悔するほどでした。

仁和寺という名は「仁和」という元号からとられました。また、このあたりの地名をとって「御室御所」とも呼ばれていました。

境内は広く、中門を過ぎると右手に五重塔を、左手に仁王門を拝むことができました。更に、有名な日本の桜100選にも選ばれている御室桜が繁っていました。(春でなくて残念。この桜は他の桜に比べて開花が遅く、そのため美しさもひときわ目立つそうな。)

この仁和寺で注目すべきものは宸殿(しんでん)でしょう。最高級の材木を使い、細部まで精巧に作られた建物は、仁和寺の宮殿建築としてのグレイドの高さを十分証明できるものであります。

江戸時代に建てられた仁王門 見事な出で立ち(重要文化財)

中に入ってまずよかったのは、枯山水。時間を忘れて座ってじっと眺めていたい気になります。廊下をあるけば、見事な襖絵が迎えてくれます。


宸殿の南庭枯山水 見事です 勅使門も見えます

中に入ってまずよかったのは、枯山水。時間を忘れて座ってじっと眺めていたい気になります。廊下をあるけば、見事な襖絵が迎えてくれます。宸殿の南庭枯山水 見事です 勅使門も見えます


窓枠という額縁 自分で創る庭園の絵画に

北庭は 秋に訪れたいと思いました

これが遅咲きの御室桜 息子も遅咲きでいいから夢を実現してほしいですね

重要文化財の五重塔 江戸時代に建立

金堂は江戸時代に建てられた寝殿造りとして貴重なものです 国宝です。

仁和寺を後にして、オムロン(株)の本社があった場所を訊ねました。この会社は京都の御室に本社があり、御室という地名を「OMRON」という(体温計なんかで超有名な会社の)名前にしました。もとは、立石電機という会社です。


御室おむろオムロン(立石電機)へ〜〜〜

この日最後に訪れたのは、妙心寺。室町時代前期に建てられた臨済宗妙心寺派の大本山。この寺院の驚くべき事実は、妙心寺のスケールの大きさです。塔等と呼ばれているこの傘下の寺院の数は48、10町にもおよんでいるとのこと。あの龍安寺もその傘下の寺院だということなのです。

今回の旅行では、京都の寺院をはじめとする芸術文化の懐の深さをまざまざと見せつけられました。京都は、平安京遷都以降、政治経済文化の中心地として栄えてきました。その間に、応仁の乱などの戦乱の世の中でたくさんの貴重な遺産が焼失していることを知りました。

そのたびに、人々は粘り強く復興をとげ、現在の姿になったものがほとんどでした。また、明治時代の廃仏毀釈運動の中でも耐え忍び、領地を没収されても真の信仰を持った人々によって現在の地位を確立しています。

見た目やスケールがどんなに立派な寺院でも、厚い信仰心を持った人々がいなければ、やがては衰退してしまいます。世界遺産、国宝、重要文化財をたくさんもった京都の素顔は信仰心にあふれた人間が街を作っているということを改めて気付かされた一日でした。

妙心寺

最後にタクシーでホテルに帰る途中、運転手さんが桂小五郎の住んでいた場所の跡を教えてくれました。京都は観光の街として当たり前のサービスかもしれませんが、神社仏閣を拝察して回った自分には、この運転手さんの何気ない行為は、京都で生きてきた人々の歴史がそうさせたと勘違いしてしまうのでした。


桂小五郎ゆかりの地

最終日、新幹線まで時間があったので三十三間堂にも行きました すごいの一言でした

カメラに千手観音の姿をおさめられなくて残念

京都の旅はたっぷりと時間を使いなさいな。そして、永遠に幸せになりたかったら京都へ行きなさい。そんなことを言われたような気がして京都を後にするのでした。


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