12/13魚の気持ちになる 北浦

師走に入り朝晩の冷え込みが厳しくなってきた。いよいよ本格寒クロシーズンの到来だ。釣りの師匠であるueno氏と寒クロシーズンの開幕戦を宮崎県の北浦で行うことにした。2003年は寒の入りはそれほどでもないが、懐の冷え込みは厳しかった。そんな中、ボーナス日に職場の同僚がこう話し掛けてきた。「寒くなってきたので、魚釣りもしばらくお休みですね。」この人が気候と懐具合の二重の意味で言ったかどうか定かでないが、魚釣りはレジャーの一つであり、寒い思いまでして魚釣りをするのは物好きであるということであろう。そんな時、私はいつもこう答えている。「実は今が1番のシーズンなんですよ。」

寒い日であろうが、雪が降ろうが、海が静かなら磯のフィールドに立ち、クロとの真剣勝負に取り組む。凍えた手で仕掛けを作り、冷たい風を受けながらも体は闘志で燃えている。これがクロ釣り師なのだ。 クロ釣り師にとって寒グロシーズンは一年中で最も心躍らせる時期だ。寒の入りと共に九州では徐々に水温が下がり始め、12月にはメジナにとっての最適温度の20℃になる。このころからメジナの食いが活発になるのだ。

12月、1月、2月を釣り師は寒グロシーズンと呼び愛してやまない。なぜ、寒グロはこうも釣り人を夢中にさせるのだろう。まず、数型ともに1年中で1番そろう時期だからだ。冬になると、湾内や近場の磯にいたメジナたちは成長と共に沖磯に出て大好物の磯海苔を食べにくる。また、早春に産卵を控えた良型メジナも沖磯に渡ってきて海苔を荒食いし、体力を蓄えるのだ。特に12月は水温もまだ20℃くらいなので思ったより浅いタナで食ってくるのだ。水温が徐々に下がってくる1月、2月も変温動物であるメジナは、小さいものは絶食状態で動きも鈍いが、大型メジナはそれほど水温の影響も少なく深いタナだがつけエサを口元まで運んでやれば食ってくるのだ。これが、寒グロシーズンに良型が釣れる所以である。 

寒グロが愛されるのは、これだけではない。クロの食味のことである。一般的に魚の食味は冬に1番おいしくなる種類が多い。マダイは、春には「桜鯛」、秋には「彼岸鯛」と呼ばれ珍重されているが、それはその時期によく釣れるというのが本当のところで食味が最もいいのは冬である。

しかし、クロはその比ではない。まったく違う魚かと思うほど季節によって味が違う。春や夏のクロは磯臭さが残り、好んで食べない人もいる。ところが、冬のクロは刺身が絶品でマダイ以上の食味だ。脂ののった重厚な味であると同時にマダイのような上品な甘味を持っている。この魚を1度食べたら病みつきになることうけあい。以前、友人の河添氏を招待して寒グロのしゃぶしゃぶをふるまっていた時のこと、しゃぶしゃぶの後に刺身を出し一口食べた彼は思わずこうつぶやいた。「かまちゃん、刺身がうまい。」周年石鯛をねらう底物師も寒クロシーズンだけは、石鯛竿を上物竿に持ち替えてクロをねらうという。生の魚を食べる習慣のない純球磨産のうちのかあちゃんもこれは食います。つまり、釣り味と食味の両方を兼ね備えたのが寒グロシーズンなのだ。 

さて、2003年12月13日(土)中潮。我々はその寒グロシーズン釣行のために、宮崎県の北浦を目指して12日の午後9時に人吉を出発した。219号線を東へ進み、湯前を過ぎ、横谷峠をすぎると山あり谷ありの西米良村名物のヘアピンカーブが待ちうけていた。往復8時間のドライブが始まったのだ。この寒いのに何で前日から釣りに出かけるのか摩訶不思議な読者も多いと思う。クロ釣りという人間の業は、こうも大の大人いやおっさんを夢中にさせるのか。

夢中にさせる理由はそれだけではない。北浦という釣り場は。おそらく九州でも屈指の釣り場であろう。特に、12月の北浦の釣果は九州の近場の磯の中でも1,2を争う。今週の前半も名礁中のハエ、沖の二つバエで爆釣か伝えられていた。昨年のこの時期も、クーラー満タンは当たり前という好況が続いていた。そうなると当然北浦には釣り人が集まるようになり、土曜日曜のフリーの日には金曜の昼からお目当ての磯に上がるものが出てくる。人のつりをただひたすら見て待ち、その夜は瀬泊まりし、そして翌日にやっと釣りをするという、つまり都会の行列のようなことも辞さない釣り師も出てくるのだ。だから、土曜に釣りをするのに土曜の朝に行ってもお目当ての磯には上がれないのだ。

北浦は釣れる場所と釣れない場所の格差、いわゆる瀬ムラが少ない数少ない釣り場だ。これも北浦の人気を支える重要なファクターである。我々は今回の釣果に関しては全く楽観していた。北浦にいけるということと、天気がうまい具合に快晴であるというのがその理由である。木曜日に九州を通った気圧の谷は、予定通り北西の季節風をもたらし、九州の東側は凪になった。凪は魚を警戒させるが、釣りやすくする条件を作ってくれる。天気まで我々に味方していると思えたのだ。

いつものように行きの車の中では釣り談義に花が咲いた。その中で、uenoさんが今回非常に高いモチベーションで釣りをすることがわかった。リールを新調し、ウキも釣研のトーナメント弾丸という食い渋りに対応するアイテムを購入していた。道具で釣りをするのではないが、熊本県の県職員の平均で数十万のボーナスカットを食らったとは思えない行動に頭が下がった。

車はやっとで高鍋に、そして、国道10号線をひたすら北上するとようやく延岡市に到着。堀田釣具店で注文しておいたオキアミ生を集魚材と混ぜてもらった。ここでも、ueno氏は800円もする集魚材を購入していた。意欲が伝わってくる。

午前1時前に北浦古江港に到着。待っていたあゆ丸にすぐにのりこみ出航となった。「かまちゃん、弁当いる?」顔見知りになった私に気さくな船長は笑顔で話しかけてくれる。海は凪だ。さあ、どこへ連れていってくれるのだろう。港を出て船は全速力で左へ舵を取る。「そうか、やはり沖の二つバエはもう乗っているか。」船は高島の左側を進む。A級ポイントの高島のハナも行かないようだ。もしかして、青バエや中のハエに乗れるかも。

自然と口元がゆるんだその時、エボシにさしかかったところで突然エンジン音が緩やかになった。「あれ、まだエボシなのに。」すると、間髪入れずに菊地船長が「かまちゃん」と私を呼んだ。「いいところはもうあいちょらんとよ。寝たい?釣りたい?釣りたいならこのエボシのチョンが昨日もよかったけどね。寝たいなら大バエあたりだけどどうする?」ueno氏は多少寝たいという希望を持っていたようだったが、私はそれを無視し、「ここでいいでしょう。uenoさん。」と強引にまとめ。その磯に乗ることに。

ライトを当てられて見えた磯はエボシの先に本当に文字通りチョンと顔を出している磯であった。「寝るならいましかないよ。こちらがわに遠投して。」菊地船長はそう言い残して去っていった。今は干潮間際で安全なのだが、これから満ち潮に入るので低い瀬だし今のうちに寝ることにした。夜中になると風が出てきた。気温3、4度くらいか。我々は寝袋に包まれて寝ることにした。しかし、寒いこと寒いこと。1980円の寝袋は最後まで我々を快適な眠りに誘うことはなかった。


   エボシのチョン 

うとうととしているうちにいつのまにか時計は5時半を刻んでいた。ueno氏は寒さのためにほとんど寝ることができなかったらしく、ごそごそと起き出して撒き餌づくり、仕掛けづくりをを始めていた。やはりここでもueno氏の意欲がひしひしと伝わってきた。私も仕掛けづくりに入ることにした。竿1.5号、道糸2.5号、ウキはグレックスのグレディアG2、1.75号のハリスを2ヒロとり、ハリはがまかつのひねくれグレ5号をセットした。釣り座は二人とも船付けのところで釣り始める。

ところが、朝日が昇ると海面は朝日のぎらつきで見ることができなくなっていた。サングラスを忘れたueno氏は右側の下の段に降り、朝日を避ける作戦に出た。潮は何と下り潮だ。

ついてない。北浦では好釣果が出るのは、決まって大分方面に流れる上り潮の時である。島野浦方面に流れる下り潮の時は水温が下がり魚が食い渋り、思うような釣果が上げられないようなことが多い。折角いい天気なのに下り潮か。またも不運に見まわれた私たち。そのうち太陽の角度が変わったということで元の釣り座に戻ったueno氏を見て、私は潮下に当たるさっきの場所に移動した。船長の言うように遠投するがあたりがない。また、遠投したいのだが、ぎらつきでウキがほとんど見えないのだ。

9時ごろueno氏足裏サイズのメジナゲット。私もエボシ側に流していると強い当たりが。しかし、すぐに根に入られジエンド。エボシ側は根がきついためよさそうなのだが断念した。10時ごろ再びueno氏ヒット。これはでかい。35センチの口太メジナが上がってきた。私もそのころ23センチのクロが釣れて地合かと思われたが、あたりが完全に遠のいた。やがて、あゆ丸が弁当を持って状況を聞きにやってきた。「下り潮がはいったもんなあ。沖の二つもいっちょん竿がまがっとらんやった。昨日は2ヒロやったけどね。タナが深くなったかもしれんね。」

結局ここで粘ることにした。11時になってueno氏は順調に魚を上げ始めた。足裏サイズから40近いものまで10枚。私は足裏サイズから35センチを6枚釣るのが精一杯。一体この差は何なのだろう。その差は魚の気持ちになったかどうかではないかと考えた。ueno氏は下り潮ということで食い渋りの状況をいち早く見抜き、極力魚に違和感を与えないしかけを貫いた。0号のウキに浮力調整のガン玉を打ち、ウキをしもらせて道糸の動きで当たりをとる作戦釣りを行っていた。ハリスにガンダマは打たない。道糸とハリスを直結にして食い渋る魚に対応した。そして、彼はちゃんとウキ止めをつけて魚のタナを設定して釣った。

それに対して、私の釣りは、自分のスタイルにこだわるあまりに魚の状況に合わせた釣りになっていなかった。自分にとって1番実績のある仕掛けで対応することに。0号のウキにグレハリスウキ00号をつけた2段ウキしかけ。親ウキはウキ止めをはずした全遊動にした。この釣りは確かに食い渋りに対応する仕掛けであるが、魚のいるタナを通過してしまうことがある。魚がエサを口にしてもタナがあっていないために当たりが拾いにくい結果となった。

事実、私はたくさんのメジナらしきウキの消しこみに対して魚を掛けることができなかった。それから、1番実績が高い矢引きにガンダマということにこだわりすぎて魚に違和感を与えていた。これも事実、uenoさんに聞いてガンダマをはずすと魚が食ってきたのだ。大体魚のタナが竿一本くらいになっていたので、12月の活性の高い釣りではなく、寒のメジナ釣りをしなくてはならなかったのだ。魚の気持ちになれなかったということが釣果を決めることになった。

回収の船に乗りこむ。港につくと御前バエでキロオーバーを含めた10枚くらいのメジナが上がっていた。uenoさんはそれに次ぐ好釣果であゆ丸の釣果報告に名を連ねることになった。デジカメでuenoさんの釣果写真を取っていた船長が「かまちゃんどうやった。」どうしよう、逃げ場がない。クーラーを開けるとクーラーのサイズには申し訳ないお魚さんが入っている。「こりゃ小さいが。」釣り師に無情の審判が下される瞬間である。しかし、釣れなかったのは自分の責任だ。自分の技術が未熟だから魚の気持ちになれなかったから招いた当然の結果なのだ。この経験を活かしてクロ釣り師として胸張って生きていくためにこれからもあししげく磯に通いたいと思う。帰りの4時間半のドライブが本当につらかった。


本日の釣果

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