1/7重い仕掛けでも食うんだ 下甑 鹿島

魚釣りは人間のものの見方考え方を育てる。私は最近特にこう思うようになった。西洋哲学に因果律というものがある。原因があって結果がある。世の中のものごとはすべてそのように構成されている。神が創造主であり、絶対的な存在であった時代の時は、それでよかったのだ。ニュートンやカントなどが科学万能や絶対空間・絶対時間を説いた時代である。

しかし、現代科学の時代になると因果律ではどうもあてはまらない、つまり、必ずしも原因イコール結果とはならないことがわかってきたのだ。アインシュタインのころになると絶対時間・絶対空間の考え方ではなく、時空という考え方が主流となった。原因と結果という図式に条件という概念を加えて始めて科学が成り立つということらしい。

魚釣りをする前は、釣り人が魚釣りの技術を磨けばという原因があれば、必ず魚が釣れる結果が出ると思っていた。魚釣りをすればするほどそのことは間違いであることに気づいた。釣り人の技術、望ましい仕掛けがあり、そこに魚がいれば必ず魚は釣れるとは限らない。それは、季節、潮、水温など網の目のように密接に絡み合った条件によって魚が釣れたり釣れなかったりする。つまり。釣り人と魚との相関関係で釣果が決まってくるのだ。だから、必ず釣れる道具とか、絶対的な仕掛けは存在しないのだ。

釣り人は、アインシュタインの時空のようなものの見方、三次元の世界である海と潮の流れという時間の軸をあわせた四次元空間の状況をいち早く見抜き、その時の魚に合わせた仕掛けを作って釣ることが大切なのだ。今回はこのことを思い知らされる釣りとなった。

2004年1月7日(水)大潮。初釣りから2日後で疲れが残っていたが、平日でもあり北西が吹いて時化やすい時期であることを考えれば、今のうちにそこそこの釣り場に行きたいという意見がueno氏と合致した。場所は、11月に惨敗を食らった鹿島に行くことにした。実は初釣りから鹿島と考えていたが、誠芳丸の船長が5、6日と地域の消防の出方があって船止めということで、7日を待ったのである。

天候は、夜の間に弱い気圧の谷が通り、少々曇りがちになるが波は1.5メートルから後2メートルで出航可能と判断。「北西の風が12メートルと言っとりますので、西磯には行けないかもしれんですね。」と中村船長が電話で状況を説明してくれた。鹿島というところは本当に釣り人にとってありがたいところだ。西向きの風が強く吹けば当然西海は荒れるが東側は凪になる。逆に、東風が吹けば西で釣りができる。だから、地元の猟師さんは、東側西側両方に網を入れておけばいいということになる。西がだめでも東があるさということである。

午前5時半に8名の釣り客を乗せ誠芳丸は中甑・鹿島に向けて串木野港を後にした。海は思ったより凪で蘭牟田の水道を抜け西磯に向かった。冬になかなか行けない西磯だけに期待が膨らむ。最初に、円崎灯台のギンバナとネンガ瀬に3人降りた。その後船は、湾の奥へと進み後で聞いたが、々はダンガイのスベリという瀬に降り立った。この瀬は、何と斜めに傾いておりへたをすると道具が転がり落ちてしまうのではと心配するくらいの状態であった。風が右斜め前方から強烈に吹きつけ 


   ダンガイのスベリ付近を臨む

ている。左側は浅く釣りにならないようだ。ポイントは船長のいうように沖向きのところしかない。そこだけが少し深くなっている。一番沖向きの場所で釣りを始めるが風が強すぎて道糸が取られ仕掛けが入らない。この時、私はこの風の条件を無視して、自分にとって一番実績のある釣研トーナメント弾丸0号をチョイスして釣っていた。「kamataさんしかけがはいっとらんとじゃ。」たまりかねたuenoサンが教えてくれた。実は自分もうすうす気づいてはいたのだが、今までの釣れた経験が邪魔をして中々仕掛けをチェンジする気持ちになれなかった。

                                                      ダンガイのスベリでの釣り座

一方、uenoさんは風に負けずに奮闘していた。私は、この場所では全く釣れる気がしなかったのだが、uenoさんは気合を入れて釣りを続けていた。その思いが


強風にもめげずに奮闘するuenoさん

通じたのかいきなりヒット。40センチの丸々太った口太が上がってきた。「風が一瞬やんだときに食ったバイ。」uenoサンに笑顔が戻った。

しかし、潮は不安定。しかも、風はいよいよ強くなり、もう気分は瀬代わりに傾いていた。すると、タイミングよく上から誰かの声がした。「・・・・」声のほうに振り向くと、断崖の天辺から誠芳丸の船長が何やら叫んでいる。どうやって船から下りてあの場所にいるのだろう。

しかし、何せ風が強いので、何を言っているのかさっぱりわからない。そこで、きっと釣れてますかあということと判断した我々は、両手で×のサインを送った。「よかった。瀬代わりできそうですね。」ほっとする我々。誠芳丸はこのところ釣り人に人気で、その秘密は、甑への渡船にしては遅い時間に出発するということと、納竿時間が午後4時で長く釣りができるということ。さらに、2回の瀬代わりのチャンスがあるということにあると思う。

                           
やっと瀬替わりだあ

お客サンに何とか釣ってもらおうという顧客第1主義が行動に表れているのだ。

10時40分ころにようやく誠芳丸が迎えに来た。待ってましたと飛び乗り次なる釣り場に再び胸膨らませた。「風も強くなってくるので、東磯に行きましょうかね。」北西の強風で西海はすっかり白波だった海へと変貌していた。この調子では、昼まではこの西磯は持たないだろう。やや荒れた西海を進みながら我々の選択は間違ってないことを確信していた。

さて、蘭牟田瀬戸を通り、中甑島方面へと船は進んだ。船が進むにつれて海は静かになっていた。また、風裏になるのか、そよ風に変わっていた。我々が降り立った瀬は、弁慶の1番。潮通しがよく、口太だけでなく、オナガの実績も高いところらしい。やはり、ここも斜めに傾いた瀬である。「ここは、下げ潮のポイントです。水道側で釣ってください。」そういって、船長は去っていった。

早速、撒き餌をうって魚の状況を見る。魚がいない。キビナゴらしき小魚が群れている。左の高い釣り座は張り出し根があり取りこみにくいのでできるかぎり右側に釣り座を構えた。上野さんは私の左側に釣り座を構えた。潮はよく動いているが、左へと回っているので、たとえうまく流して魚をかけたとしても張りだし根があるために取り込みができそうもない。水道の反対側からの潮と水道からの潮が合流しているところ(潮目)にしかけを流せれば言いのだが無理だ。潮目になっている証拠として、その地点に海鳥が集まっている。「こりゃ、潮が変わらんと釣りができん。」ここでも我慢の釣りになりそうだ。

撒き餌をしても生命反応がない状態がしばらく続いた後、1時間たった12時ごろ釣研トーナメント弾丸を沈める生物を発見。つってみると赤いスズメダイ。「やっと撒き餌が利いてきたかな。」そこから、エサだけが取られる状態が続く。潮は水道に対して平行によく走るようになり、そろそろつれてもいいのに。

ここで、わたしは、釣り雑誌に出ていた言葉を思い出した。「釣れない仕掛けでいくら釣ってもつれない。仕掛けを替えれば何か答えが見つかるかもしれない。」海をよく観察して、あたりが出ないのは、底潮が結構走っていて、仕掛けが落ち着いていないのではと判断した。1月ということもあり食い渋りを想定して0号という軽い仕掛けで魚の違和感を少なくすることを考えていたのだが。徳島の名人山元八郎氏の言葉を思い出した。「グレ釣りで1番大切なことは、いかに魚の口元につけエサを届けてやるかということです。」つまり、魚の口元にエサが届いていないのならば、食い渋りがどうのこうのという以前の問題なのだ。

まずは、魚の口元にえさを届けることを考えなければと考えを新たにした。そこで問題なのは、どれくらいの重い仕掛けにするかということだ。オールマイティーのG2か、B、2B、3Bか、うーむ。中々決められない。

またその時、2003年の磯釣り日本一を決める大会、ダイワグレマスターズでの決勝戦の場面が脳裏に浮かんだ。決勝戦は、前年度優勝の甲斐選手と榊選手の鹿児島県勢の一騎うちとなった。榊選手の仕掛けは、現在のクロ釣りの主流であるゼロ釣方、つまりできるだけ魚の違和感を取り払う軽い仕掛けであった。00号のウキを使った全遊動仕掛け。それに対して、甲斐選手は、2Bという重い仕掛けで臨んだ。魚が食い渋った状態であった足摺の磯の状況をいち早く把握したのは、甲斐選手であった。見事2Bという重い仕掛けで良型のグレを釣り上げ2年連続優勝を飾ったのだった。その記憶は、私に寒クロの時期に2Bという今までほとんど使ったことのない重い仕掛けを選択させた。

ウキはグレックスの遠投スリムKAMA2Bを選択。潮受けゴムの20センチ下にBのガンダマを1個噛みつけた。ウキを沈めずにウキで当たりを取る作戦に切り替えた。半信半疑で仕掛けを流していくと、思った通りウキがゆっくりとしもりはじめた。ウキが完全に消しこみ見えなくなるまで我慢して、ゆっくり道糸を巻きながら慎重に合わせを入れると、グーンと竿にのってきた。本命らしき引きにわくわくしながらやりとりをしていると、水面を割って出たのは、良型の口太だった。慎重に玉網に納めた。やったぜ、ボウズ脱出。小さくガッツポーズ。

uenoさんが「おおー」と声をあげた。ウキを替えたことを伝えるとuenoさんは少し驚いた様子だった。「えっ2Bな。」私もuenoさんも軽い仕掛けが絶対釣れると信じこんでいたことがみごとにここでひっくり返されてしまった。この後、同じようなサイズを2連続で釣ったがまた、あたりが出ない状態になった。その時は、何かを替えるということだ。こんどもエサが落ち着いてないと判断し、今度はハリを替えることにした。細身で刺さりを重視した競技ヴィトムの5号から、エサを口元に届けることを重視した重いハリ層(タナ)グレに替えた。すると、27センチのオナガをゲット。すぐに答えが出るので楽しくてしょうがない状態に。そして、すぐにまたしかけを張り気味に流していると


   弁慶の1番

ウキが例によってゆっくりしもりはじめた。あたりを出すために道糸を少しはりぎみにしていると、いきなりドンと竿に来た。すると、今までの魚にない重量感が愛竿メガドライを襲った。こりゃ太いぞ。慌てずじっくりとやりとりをしていると今まで釣ったことのないデカバンが水面を割った。1度浮かせるが、またまた突っ込みを見せる。また浮かせて玉網を近づけるがそれをよけて再び突っ込んだ。早くしないとぶちきられる。ハリス1.75号を信頼して再び浮かせにかかった。ようやく弱ってきたのか、今度は玉網におさまってくれた。


思い出の1尾 弁慶1番

46センチ、1.5キロの良型口太であった。やったぜ、恥ずかしい話だがこれが私の現時点での最高サイズのクロとなった。船長の言うように良型のオナガは出なかったが、鹿島での釣りを存分に楽しむことができた。釣りは釣り師と魚との相関関係で決まるんだ。そう学ばされた今回の釣行。その充実感は、帰りの時化気味の中の船旅も快適さに変えてくれたのだった。46センチのクロはすでに寒クロの味がした。刺身でしゃぶしゃぶで家族みんなで海の恵みをいただいた。やっちゃん、おとうちゃんはまたがんばるからね。


           合計7枚 46センチ・38センチ・37センチ・37センチ・35センチ  32センチ・27センチ(オナガ) 


  メジナづくし料理(クロのしゃぶしゃぶ・クロのかま焼き・クロのお造り・グレ茶漬け)

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