1/11撒き餌の切れ目が縁の切れ目 川内鴨の瀬

2004年1月11日(日)新学期が始まったと思ったら、いきなりの3連休。組合の出方と文芸研の学習会がある私をほっといて、かみさんは子どもを連れて東京へと旅立っていった。3連休の中日である11日は、おっさん1人取り残されることに。磯釣り師が家に1人取り残されるとやることは一つしかない。そう釣りに出かけることである。今回はuenoさんも行くのは困難と言うことで、自分一人の寂しい抜け駆け釣行となった。こんな時はよかったためしはない。ボーズを食らうのが関の山である。

しかし、それでもいきたいと言うのが釣り師の性である。思い切って離島へ行くか。甑にするか。考えたが、肝心のオキアミがこのところのシーズン真っ只中、好天が続いたおかげで人吉の店では売りきれて置いてないという非常事態となった。ということで離島はあきらめざるをえない。そこで、午前3時から阿久根のスーパーアオキでオキアミが手に入るという理由で、川内の鴨の瀬に行くことにした。川内周辺では唯一の独立礁ということで、以前から目をつけていたが中々上がる機会がなかった。一人で身軽と言うこともあるし。話の種にいってみようと思った。また、リサーチするくらいの軽い気持ちでいくので、ついついいつもは3枚用意するオキアミを2枚しか用意していかなかった。これが、今回の釣行の致命的なミスとなることは現時点では知るよしもなかった。

午前5時50分頃川内港に到着。例によって、たくさんの釣り客であふれていた。一文字堤が3名、沖堤が12名、そして、鴨の瀬は、私と地元の方の上物が2人、底物1人とわずか3人であった。6時半出航。堤防にたくさんの客を乗せた後、船は全速力で南へと走っていった。かなりの距離だ。15分ほど走るとやっと朝もやのかかった海に本当にかものような形をした独立瀬が見えてきた。


鴨の瀬全景

「これが鴨の瀬か」始めての場所は不安があるががわくわくするものだ。一緒に釣ることになった地元の方がいろいろと教えてくれた。「ここは、凪の時が少ないんですよ。」「きょうはラッキーですね。」「ここはでかいのがいるんですけど、釣れて1枚か2枚ってとこです。」南側がクロのポイントです。一緒
にならんで釣りましょう。


鴨の瀬南向き

 朝マズメだけ南向きで底物の人が釣りをして


鴨の瀬北向き

いたが、あとはその地元の方と南西向きのややワンドになった場所を攻めることになった。はじめのうちは凪で釣りよかったのだが、途中からものすごい北風が吹いてきた。午前中に、地元の方が遠投して1枚上げただけで、まったくクロの気配がなかった。風と波で南西向きが釣りにならなくなった時、南東向きの釣り座で釣りを始めた。風向きと潮で向きでもうここしか釣り場所がなかったのである。

1時半になり、二人で1枚といういつもの鴨の瀬のパターンかと思いきや、突然地元の方がつれ出した。30メートルくらい遠投して魚を掛け始めた。まるで、かご釣りのような距離まで遠投していた。ウキは遠くまで遠投しているのでほとんど見えない。「道糸に当たりが来ますよ。ウキは見えなくてもだいじょうぶ。」ものすごい追い風に乗って撒き餌も30メートルほど飛んでいっていた。道糸は張りっぱなしなので、多分2ヒロのタナはほとんど水面に漂っていたのではないか。信じられないほど遠くに遠投しているが釣れているのは事実。40センチから、45センチオーバーを6枚ほど釣っておられた。その間、私は悲しいかな撒き餌をケチったために、ほとんどエサがなくなっていた。そのため、私はひたすら玉網係をすることになった。ウキは3Bに水中ウキをタナは2ヒロであった。いい潮が南方向に流れ、クロが沸いていたのだろう。釣りたいがえさがない。これはつらい。瀬際のウスバハギを1枚つって見事2004年初ボーズ。おめでとうございます。

一応持って帰ったウスバだが、持って帰っても食べてくれる人がいないと言うのは何とも寂しいものだ。帰りがけ、阿久根のから揚げやさんでからあげを買った後「ウスバはギはいりませんか。」と声をかけてみたが、そのアルバイト主婦らしき女性は、喜んで「ください。」さすが海に生きる阿久根の女性だ。何かホットさせられた。きょうの自分の釣りが無駄にならなかった思いがした。もう絶対にケチらないぞ撒き餌の切れ目は縁の切れ目。磯釣り師にとって誰もが知っているご教訓を口にしながら鹿児島の海を後にするのであった。

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