1/31はじめまして尾長くん 硫黄島

2004年もきな臭い政治の世界で幕を開けた。世界に誇る平和憲法を持った日本がアメリカのご機嫌を伺うためにイラクに派兵した年であると私の記憶に刻み付けられた。「もう、小泉さんていい人って思ってたけど、だめねえ。」行き付けの飲み屋のおばちゃんが、現在の国民の大多数の声を代弁していた。世論調査でも国民の過半数が派兵に反対である。民主党の古賀氏の学歴詐称による迷走が新聞沙汰にされているが、小泉内閣の迷走もかなりのものである。

その新聞を見ながら、いきなり、頭の中に「月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ・・・・」という奥の細道の名句が浮かんだ。松尾芭蕉は、奥の細道の中で日本人の人間観・世界観をうたった。「夏草や兵どもが夢の跡」奥州平泉を訪れた芭蕉は、かつてこの地で栄えた奥州藤原氏の栄華のはかなさを詠んだ。源平の闘い華やかなころ奥州で権勢を誇っていた奥州藤原氏が、源義経をかくまった経緯から武力によって日本の権力をつかんだ源氏から滅ぼされた。いつの世も人間の業のはかなさがみてとれる。また、変わらないものはないという「色即是空」という境地を詠んだとも言える。

しかし、次の句と続けて読むとまた違った読みができる。「五月雨の降のこしてや光堂」これも同じく平泉のくだりだが、奥州藤原氏の栄華のはかなさに比べて光堂は昔のままに輝いている。つまり、人間の作り上げた権力構造というものははかないが、信仰というものは永遠の輝きを放つと意味付けることができる。経済のグローバル化により登場した多国籍企業を代弁し続ける政府ははかないが、平和を願う人々の信仰はいつの世も変わらない。そのことを奥の細道は我々に教えてくれているのだ。平和だからこそ釣りができる。釣り人の信仰は平和を願う心だと信じてやまない。釣り人の信仰も芭蕉の光堂の句のように永遠に輝きつづけるに違いない。

さて2004年の寒クロシーズンの状況であるが、予想通り食い渋り期に突入してきたと言える。2桁釣果はまれで、ボーズで終わるということが珍しくなくなってきた。あれだけ好調だった北浦も食い渋り、ウキ下竿2本半とか、エサを剥き身にしてやっと食ったとかどこかの大手銀行のように渋い。そんな中でも我々釣り人の夢をかなえてくれるパラダイスがある。それは、離島である。甑、鷹島、津倉瀬、宇治群島、草垣群島、黒島、湯瀬、硫黄島、口永良部島など、南九州には本州にすむ釣り人もうらやむスーパー離島がひしめいている。それが、磯釣り天国、九州なのだ。

12月が寒グロシーズン開幕なら、この1月の中旬から3月中旬にかけてが、離島での寒グロシーズンと言える。ただ、離島は天候に左右されやすい。「宇治群島にいったけど、いきなり時化てきて、釣りをせずに帰ってきたバイ。」と嘆く人の声を聞いたことがある。現に1月中旬は西日本に大寒波が入り、平野でも雪が積もるという中で、海も慢性的な時化に見まわれ、1週間も船止めということも珍しくない日が続いていた。

また、磯釣り師もこの時期になると皆離島釣行を計画するので、船の予約は満杯状態。そこで、今回は、「地グロ釣る人20枚から30枚、尾長3.5キロが出た。」という硫黄島へ行くために黒潮丸に2週間前に予約を入れた。ところが、その後の時化で状況が一変、硫黄島では水温の変動が激しいのか、「地グロ3枚から13枚」に変わっていた。でも、何と尾長が50センチから59センチが4枚出た。という情報が入った。よし、今回のターゲットは尾長でいこう。

尾長は標準和名で「クロメジナ」と言う。基本的に「口太」または「地グロ」と呼ばれている「メジナ」とは全く違う種類の魚と考えたほうがいい。デカ尾長は早い時期で1月上旬には産卵のために九州のスーパー離島に接岸する。大きな尾長が回ってくるポイントは、昼間なら潮が通す本流だろうが、夜はワンドになった、サラシもない波静かな、そして、すとんと磯際が切立ったようなところになる。

尾長の習性として、夜になると磯の壁を這うようにして回遊しているそうだ。だから、その回遊してくる尾長を撒き餌で足止めにし、釣るのだ。撒き餌で釣るので、潮の流れがあまりない磯際やワンドのようなところがいいということである。尾長は口太に比べて数段引きが強く、型も大きくなる。60センチは当たり前。日本記録は磯では、2000年1月22日、鹿児島の大隈半島の大泊の地磯で出た74.8センチ、5.66キロ。また、船釣りでの記録は、1991年1月27日、東シナ海のポイントアジソネで83.3センチ12.5キロというとんでもない怪物が出ている。そのせいか、磯釣り師が1度ははまってしまうのが尾長釣りである。シーズンにはそれこそ全国から尾長ファンがやってくる。尾長は磯釣り師にとって「なんてったってアイドル」なのだ。

さて、1月中旬から始まった時化も27日頃には収まってきた。我々が釣りに行けない時に時化、そして、自分たちが行ける時には凪。いいパターンになってきた。ついてない2003年のシーズンからすると今年は幸運が舞い込んできているかも。そういえば、釣りを始めてから日課となったのが天気予報と朝の星占いチェックである。釣りは、40のおっさんに乙女チックな一面を引き出してしまったようである。

釣行の前日の夕方携帯がなった。「おら、もうオキアミば朝から溶かしとったバイ。氷ばkamataさんのぶんも買とったばい。」ここにも、釣りにはまったおっさんがいた。uenoさんは、釣りの前日の朝からオキアミを自然解凍させ、いい状態になった夕方に集魚材と混ぜるそうだ。今回の釣行にもかなりの力の入れようである。私も負けじと、1週間前に、熊本市の山本釣具センターで仕掛けを買った。尾長仕掛けは、5号竿に道糸8号、中通し電気ウキ1号、ハリス10号を用意した。

前日の夕方、黒潮丸の船長に電話を入れた。「仕掛けば太くしてきて。ワイヤーでもいいよ。」石鯛はやらないからそんなの持っているわけないじゃないの。「船はでますか。」「凪だね。サラシがないとあんまりつれないんだよ。2時集合です。」この船長中々正直でいい。あまり釣れてないことを正直に伝えてくれるからだ。

1月31日(土)長潮。潮まわりは最悪、おまけにサラシで釣るという硫黄島のクロにべた凪という海況では、出発前から苦戦が予想されていた。しかし、二人とも、スーパー離島は初体験ということもあり心は弾んだ。午後11時に人吉を出発。九州自動車道を南へ下り、指宿スカイラインを経由して、枕崎港に着いたのが、午前1時半。

早くも離島のロマンに魅せられたおっさんたちが数人港にいた。集まった客は、総勢12、3名くらいだろうか。シーズン真っ只中、土曜日にしては、少ない人数である。午前2時半出航。70分の道程である。黒潮の本流が流れる場所のわりには、揺れない船内で毛布にくるまってうとうとしていると、午前4時前、エンジン音が緩やかになった。最初の渡礁が始まった。潮の流れが速く瀬着けも大変そうである。最初の組は、硫黄島のハナレ瀬のA級ポイントの鵜瀬に乗った模様。そして、「二人で来た人準備して。」我々のことらしい。その鵜瀬からちょっと走った低くてでこぼこした瀬に船は着けた。早やかに渡礁をすませ、船長からのワンポイントアドバイスに耳を傾けた。「?×:*・・・、船のある・・・・遠投して・・。」風で船長の声がよく聞き取れなかった。遠投?そんなはずはないけど。尾長の夜釣りでは、瀬際が基本なんだけど。

磯に降り立ち、瀬の全体像をつかむ作業に入った。この磯は低いが平瀬の名前のわりには、平らなところは全くない。磯全体が三日月のような形をしていて、我々は、その三日月の先端のところに降ろされた。反対側の先端に1人の客が降ろされ、その間がワンドになっている。尾長釣りのセオリーのワンドを見つけ、ニヤリ。風は北もしくは北東だから、この風向きの状況から予測してどうも硫黄島の北側に下ろされたのではと、ワンドから視界を左に切り替えて、言葉を失った。

そこに、見事な自然が創り出した造形作品である、硫黄島の全景が暗闇の中に突如として現われたからだ。「uenoさん、あれが硫黄島ですよ。」仕掛けづくりに夢中になっているuenoさんに思わず言葉をかけた。空を見上げると、見事な半月が硫黄島の右側に出ている。この時、なぜか魯迅の「故郷」の1節を思い出した。「紺碧の空に金色の丸い月」農奴であるルントーと地主の息子である私との美しい人間関係を象徴的に表現した一文が頭に浮かんだ。会社の社長だ、えらい人だ、平社員だ、そんな階級社会なんか関係ない美しい人間関係で結ばれた釣り師たち。この月は、正に我々磯釣り師の心の在り様を象徴していると思った。

いかんいかん、観光に来たわけではない。さっそく私も仕掛けづくりにはいった。uenoさんは絶対的な信頼を寄せているカンパチ竿で尾長にチャレンジ。私がまだ昼釣りの仕掛けを作っている最中にすでに第1投。「こら、あたり潮バイ。」早くも海の状況を知らせるヒントがまいこんできた。船長の遠投のことばを信じたuenoさんによると、遠投しても見る見るうちに手前に仕掛けが戻ってきて、やや右にいっているということだった。

この話を聞いて、仕掛けづくりが終わった私もuenoさんの潮下に釣り座を構えた。すると、uenoさん第2投の電気ウキが手前にあたって来た後、ゆっくりと消しこまれていた。するどくあわせを入れるuenoさん。どうやらハリ掛かりしたらしく、「うお−!」と雄叫びを上げながらやり取りをしている。このカンパチ竿の曲がりからしてかなりの大物であることは間違いない。問題はそれがどんな魚なのかということである。だんだん浮いてきた。ギラリと一瞬光った。あちゃーイスズミかな。その瞬間上野さんが叫んだ。「何か長い。」瀬際で食う長い魚って何だろう。玉網を持って近づいた。浮かせてしまったが、何せ真っ暗闇なので魚がどこにいるのかわからない。ばちゃばちゃとみずしぶきを上げているところにカンを働かせてタモをいれると3回目くらいにやっとで御用となった。上がってきた魚をみて驚いた。何とヒラマサだったのだ。チヌバリ5号が曲がってしまった。喜ぶuenoさん。いいなあ、こんなのいるのかよ。瀬際で、しかも2ヒロくらいで。さすが、離島の夜。何が起こるかわからないね。

uenoさんに負けじと私も釣り始めるものの一向にあたりがない。時々ウキを消しこむあたりがあるもののえさ取りのあたりらしくえさを取られる状態が続いた。しばらくすると、イスズミをuenoさんが上げた。やばい、真冬の夜釣りにイスズミは勘弁してほしいと思ったその時、遠投をあきらめて瀬際をねらっていたら、ウキがゆっくりと消しこまれた。消しこみ速度から本命のあたりと確信した私は確実にあわせを入れた。いきなり竿を絞りこむあたり。何とか竿を立て、ポンピングしながら浮かせにかかった。シマノの遠投EV5号をこれほど絞りこむ魚とやり取りするのは初めてだ。

敵は3回ほど突っ込んだが、5号竿10号ハリスには太刀打ちできなかったらしい。私はやり取りに夢中でどんな魚かわからない。玉網ですくってくれたuenoさんが、叫んだ。「クロだ。クロ。」上がってきた魚は、夢にまで見た尾長だった。50センチはゆうに越えるサイズ。うれしさのあまりしばらく声が出なかった。やっと会えたね。えらの縁の黒。小さめの鱗。切り立った尾びれ。茶色がかった魚体。紛れもなく尾長だった。マダイバリ13号が見事に地獄にかかっている。この魚に会うために釣りを始めたのかもしれない。そんな気さえした。

何をするにも初めての経験を大事にしなさいと言われる。いつまでもこの至福のときを記憶にとどめようと美しい魚体を眺めつづけていた。「いいなあ。kamataさん。」とuenoさんも祝福してくれた。しかし、後で知ったことなのだが、感動の余韻に浸っている場合ではなかったのだ。尾長は群れで回遊してくるので、ここですぐにたくさん撒き餌して尾長を足止めさせる必要があったのだ。魚が暴れていたから、おそらく異変に気づいた尾長はここを去っていっただろう。そこを撒き餌を遠投して逃げようとする魚を足止めさせなければならなかったのだ。この後、尾長らしきあたりはなく、イスズミ天国になったことは言うまでもない。それでもさすがuenoさん、ムロアジを3枚ほどゲットしていた。


平瀬より朝焼けに輝く硫黄島を臨

 夜が開けた。朝焼けが美しい。硫黄島の山肌に朝日があたって絵本を切り取ったような世界が広がっている。美しい世界とは裏腹に海の中はイスズミ天国で我々の心は暗かった。この時点で今日の海の状況ではかなりの苦戦が見えていた。

すると、タイミング良く黒潮丸が瀬替わりにやってきた。この平瀬は尾長のポイントらしい。「クロのポイントに行きます。」5分ほど走ると、我々は新島という比較的大きな磯に乗せられた。ここ硫黄島の磯はでこぼこしたところが多く。ここも例外ではなかった。釣りができるところは、3箇所。高段、ワレ、船付けを教えられた。ところが、磯に乗ってみると平らなところは全くないのはもちろんのこと、巨大なゴロタ石が集まったような磯で、移動するにも登山をするような運動を体験することができる。根性があるなら、
高段までいって釣ってみて、


新島より噴煙を上げる硫黄島を臨む

の意味が良くわかった。重い道具を抱えながら、こんな道なきところを歩くのは至難の技だ。やっとでワレのポイントまでたどり着くが、全身汗だくだ。天気は快晴。気温は20度くらいに感じた。さすがに南の島だとこの時実感した。遠くに硫黄島が我々を歓迎するかのような白い噴煙を上げている。さて、口太を釣るぞ、と気合を入れたが、船長の言う通り、サラシがなく、イスズミを中心とする外道のオンパレード。きっと水温が高いのだろう。これほどイスズミが多いというのはおかしい。我々はここでの釣りを断念し、船付けに戻った。船付けでも状況は同


新島の外道


つれない!どうなってんの?新島

だった。潮が入ってきてない。これじゃだめだ。予想通り、ここでも、イスズミ、ブダイなどの外道のオンパレード。海を見ても完全な菜っ葉潮。沖目に赤潮みたいな筋を発見。いつもより15分早く片付けの準備を始めた。都合のいいことに黒潮丸も定刻の1時回収より20分早く迎えに来ていた。


2.5キロのヒラマサ


初ゲット尾長くん

 港で船長と話した。今日は、最悪の潮だったらしい。我々が乗った新島は上潮のポイントでそのつもりで乗せたのに、肝心の潮は反対に流れていたとのこと。ましてや、長潮で潮が沖から入っていなかった。尾長は、私のを含めて5本。地グロを釣ったのはわずか数名。「この前、入れ食いさせとった人が、今日は2枚。枕崎の漁師が2枚しか釣れなかったんだよ。」嘆く船長にいつもの台詞で別れた。また、リベンジします。でもその言葉とは裏腹に私の心晴れやかだった。初めてデカ尾長に会えた記念すべき釣行になったからだ。「尾長はうまいよ。」「ヒラマサは高級魚ですよ。」とお互いの健闘をたたえつつ、初めて尾長を釣ったから今日を尾長記念日としようとおやじギャグを飛ばしながら、釣りロマンの基地枕崎を後にした。


初魚拓 52センチ2.14キロ

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