2/11運に見放された 野間池

「kamataさん、野間池行こうや。」このuenoさんの一言で、我々の初めての野間池釣行が決定した。野間池がある鹿児島県野間半島は釣り師以外では馴染みの薄いところだ。しかし、磯釣り師なら誰もが知っている磯釣りのメッカである。鹿児島県南磯で、東の横綱が佐多岬なら西の横綱は間違いなく野間半島である。統計を取ったわけではないが、釣り雑誌に登場する回数は甑についでこの野間池が多い。東の横綱の佐多岬の大泊の地磯で70オーバーの日本記録のオナガが出たのに対し、この野間池のウグル瀬で昨年日本記録に迫る70弱のオナガが出ている。正に西の横綱にふさわしい釣り場である。

2004年2月11日、中潮まわり。ここ数日前まで強烈な寒波が九州を襲い、海上は大時化となった。それまで、水温は下がってきたが安定すればメジナが食い出すはずである。しかし、自然は水温を不安定にする時化のカードを選択した。魚と水温は密接不可分な相関関係にある。メジナは20℃から16℃にかけて活発に捕食を行う。魚が食い出すのはその時の水温だけではなく、水温が安定した状態であることが重要だ。だから、今回の釣行前に時化も収まり海上はべた凪になったからといって必ずしも好条件とは言えないのだ。時化のあとの急激な水温低下が予想され、やはり今回も食い渋りの苦戦が予想されていた。サラリーマン釣り師である我々に期日の選択の余地はない。磯に上がったその日の条件で魚を釣るしかない。ここ数日間の情報も良くない。良くない状況の中でいかに魚を食わせるのかという最も厳しい釣りになりそうである。

午前3時半に人吉を出発。九州自動車道を南へ下り更に指宿スカイラインで薩摩半島を南へ進んだ。川辺インターで降り、国道225号線から県道31号線で加世田方面へと行くことになる。その川辺インターの先に知覧インターがある。鹿児島県知覧町は知覧特攻平和会館であまりにも有名だ。太平洋戦争末期、米軍の日本本土への上陸を少しでも遅らせるためにこの知覧の地に太刀洗陸軍飛行学校の分教所として誕生。ここが特攻基地となり500人以上の若い命が失われた。

平和会館に入るとたくさんの特攻兵たちの遺品、家族にあてた書簡などがところ狭しと展示されている。会館内の左手には特攻隊員たちの心のよりどころになった富屋食堂鳥浜トメさんの語りが映像と共に再現されている。これらの遺品を見ながら思わず涙させられるのは私だけではないであろう。同時にここまで若者を追いこんだ戦争への怒りが込み上げてくる。

しかし、そんな気持ちもある1人の語り部のおかげで吹き飛んでしまう。「さあ、みなさんこの1枚の写真を見てください。」おそらく戦争を体験した世代の方であろう語り部が1枚の写真を手に説明をはじめたのだ。その写真は、歴史の授業を受けたことのある人間なら1度は見たことがあるだろう。特攻の出撃前にとられたものらしく、子犬とじゃれあっている写真である。語り部は続ける。「この隊員たちの顔を見てください。今から特攻隊員として出撃するのにそんな素振りは全然見せない。みんな覚悟を決めたいい顔をしています。」必要以上にそのことを強調するのはどうだろう。この隊員たちの本当の思いは「戦争に行きたくない。死にたくない。」ではないだろうか。語り部が本当にやらなければならないのは戦争を美化することではなく、二度と過ちを繰り返さないということを訴えることではないだろうか。

そんな悔しい気持ちを抱きながらこの平和会館を後にしたことを思い出した。しかし、私とは反対にかつてこの地を訪れ特攻隊員たちを英霊としてその行為に涙を流した一人の男がいた。日本国首相小泉純一郎である。彼は、イラクのサマワに自衛隊本体を送りこんだ。「崇高な任務を果たしてほしい。」と送り出された隊員たち。彼らの思いは複雑であろう。御用学者は「途中で引き返したり、辞めたりすることがあれば、国際社会で信用を失うことになる。」とアジテーション。隊員たちの活動がマスコミで美化されるにしたがって、自衛隊派遣の世論調査は賛成が過半数を超えた。しかし、騙されてはいけない。自衛隊派兵に巨額の税金が投入されていることを。そして、国内では税源移譲という甘い汁にさそわれて今年度の予算が立たない自治体がたくさんあるということを。本当に投入されなければならない税金はイラクとサッカーの親善試合ではないはずだ。いつでも戻ってこいよ、自衛隊と声を大


 案内してくれた謎の釣り師

にして言いたいと思う。さて、ueno号はZARDのBGMにのって軽快に加世田を抜け、国道226号に入った。釣友という釣具屋に立ち寄りエサを買った。野間池にいく道を尋ねると近くにいた釣客のおじさんが一緒に行ってくれるという。魚つりという崇高な業によって結ばれた我々釣師たち。我々はその御好意に甘えることになり、釣り車の4駆の後をつけた。ものすごい山道を通り野間池港に到着。そのおっさんは違う船らしく、我々は野間池港の裏の港に午前6時15分に着いた。

もうすでに釣り客が8名ほどいた。そして、6時半を過ぎる頃には20名ほどに膨れ上がっていた。野間池の人気の程が伺える。第3福丸の森船長は午前7時過ぎに出航。港を出るとすぐにリアス式海岸が眼前に広がった。瀬渡しの船としては、午前7時というのは最も遅い部類に入る。なぜ、こんなにのんびりとした出航なのか後でわかった。

ここ野間池では4隻の瀬渡し船がある。協定により、野間池地区の磯場を4つのエリアに分け、順番に入るエリアを決めている。船同士の競争を避けるためだ。バナナのような形をしている野間半島の付け根から北側の米島、ネヤ瀬一帯、北西側のマノリ瀬、トビ瀬一帯、バナナの先端部分にあるウグル瀬一帯、そして我々が乗ることになった第4のエリアは南側の沖磯と地回りの磯である。

船の間の競争はないが、船の中の競争はあった。船がゆっくりとしたスピードで野間半島の南に張りついている磯近くに来たところで、「白瀬がいい方。」とマイクで言い出した。手をあげる釣り人が1人。最初の渡礁の後、今度は、「中ノ瀬。」とマイクで言い放つ。訳がわからないがとりあえず、「はい!」と手をあげた。uenoさんが「おら、じゃんけん弱いけん、kamataさんがいきない。」と私を後押し。uenoさんはかつて私が水島のじゃんけんで9人中1番をとった実績をかってのことらしい。5人が名乗りをあげた。

どうも、ここのシステムは、船長が瀬の名前を言い、その後釣り客が手をあげて希望し、じゃんけんをして渡礁場所を決めることらしい。希望する人数が多いということはそれだけ人気の高いA級ポイントということだ。緊張のじゃんけんが始まった。「さいしょはグー、じゃんけんぽ。」40や50のおっさんが必死にじゃんけんをする姿を家族は知っているのであろうか。当事者である自分でも笑いがこみ上げてくる。あっ、失礼しました、私もおっさんでした。

最初のじゃんけんは無念の敗退。じゃんけんに勝ったおじさんは歓喜の表情を浮かべ中ノ瀬に渡礁。沖鹿瀬に3人、1人。ママコ瀬に2人とこの沖磯群に次々に乗っていった。定員になったのか今度は船は南の地まわりの磯へと向かっていた。食い渋りの時期や水温の低下時にはガンガンの本流釣り場よりも地まわりのほうが分がいいということを知ってか、沖磯のときは手をあげなかったおっさんが突如として手をあげ始めた。

「又四郎。」これに反応した釣り師は私を含め4人。ここも人気の磯場らしい。よし、こんどこそ負けてなるものか。「じゃんけんぽ。」2人脱落。いよいよ、痩せ型のおじさんとの一騎撃ち。しかし、結果は無念の敗退。「ごめん、uenoさん。」後ろを振り向くとやさしいuenoさんは笑っていた。「三角瀬。」「はいっ!」迫力におされて手が上がらなかった。どうしよう。次々に人が減っていく。釣り場もどんどんなくなる。「スイガ瀬。」よしっ!ここだ。手をあげると2人。小太りのおっさんとの勝負だ。「じゃんけんぽ、あいこでしょ。」よっしゃ、3回目で勝


 案内してくれた第3福丸

利。釣り場が決まりほっとした我々は、船長のアドバイスに耳を傾けた。「裏にワンドが二つある。そのどちらでもいいよ。」そう言い残すと福丸は秋目方面へと去っていった。足場は良くないなか、何とか道具を高いところまで運んでしかけづくりに入った。海自体は凪だが、複雑に入り組んだ磯のためかざわついた状態で、適度なサラシもできていた。これならあまり重くする必要もないし、0号などの軽いのも始めは控えようとウキはキザクラ鵜沢アラJ3を選択し、2ヒロのタナから始めることにした。

問題は釣り座である。左右どちらのワンドにするかということだ。「kamataさんじゃんけんで決めようか。」すっかりじゃんけんづいたuenoさんと勝負。結果は負け。サラシが出ていい雰囲気の右側のほうをuenoさんが選択。左の方を自分が入った。沖に本流が走り、ワンドから引かれる潮が左に動いており、その潮に乗せて釣ることにした。

すると、uenoさんがいきなりヒット。竿が見事なアーチを描いている。3投目にして掛けたらしい。タモを忘れてきたuenoさんのために網をもって掛けつけてびっくり。水面を割って出てきたのは、ライズする魚だ。必死でえら洗いをしている。「スズキばい。」50センチを越えるグッドサイズ。こんなのいるのかよ。真冬にしかもサラシもあんまりないところで。

ヒラスズキにとって海が荒れたサラシで真っ白になった時こそいいのだが。外道だが、高級魚のヒラスズキを釣ってうれしそうなuenoさん。笑顔でカメラに納まってくれた。しかし、私はこんなところでヒラスズキが釣れることに一抹の不安を覚えていた。昨年の3月釣り客のほとんどが惨敗を食らった水島でやはりuenoさんはヒラスズキを釣っている。海の異変かも。今日は厳しい釣りになりそうだ。

思ったよりざわつきがなくなってきたのでウキを0号に変更。1投目でウキが見事な消しこみ。「あっ、軽い。」久しぶり南国名物オヤビッチャ登場。何で自分にはオヤビッチャなの。がっくりしていると、uenoさんが釣り座を自分の左隣に変わってきた。潮が満ちてきて波をかぶってきたからだ。すると、すぐにuenoさんヒット。またまた、タモ係の私。「クロだクロ。」やったね、と近づくと。「あれ、ちがうぞ。」黒い色をしていたのでてっきりクロだと思いこんでいたら、何とイスズミだった。今度がっくりするのはueno氏。魚はいる気配がするのだが、一向に針掛かりしない。ウキ下をこまめに上げ下げするがどうしても魚のいるタナがつかめない。もうすぐ満潮潮どまりだ。何とかその前に結果を出さないと。


スイガ瀬から野間半島を望む


   ヒラスズキゲットご満悦のuenoさん

あせる自分にやっとでチャンスがまわってきた。沖に払い出す潮に乗せていると、ゆっくりとしたウキの消しこみのあと、ギューンと走った。ダイコーの強豪2号が見事な曲がりを見せる。やっとで食ったぞ。2号竿の特権を生かし、強引に張りだし根をかわし浮かせて、慎重にタモいれした。7,800グラムサイズの口太。中甑以来の口太メジナちゃんとのご対面。エメラルドグリーンの魚体は地合い到来を思わせた。大事にドンゴロスに入れた。タナは1ヒロ半。こんな浅いタナで食うということは活性は悪くないのでは。

時計を見ると9時半。満潮が10時過ぎだからその前に釣らなくちゃ。その釣り師の思いとは裏腹に全く魚信は途絶えてしまった。仕掛けを何回替えたかわからない。釣れないと集中力が途切れ、余計なことに体が反応してしまう。満潮を過ぎたあたりから下腹部にハリを覚え始めた。いつもなら、それを無視して釣りに没頭するのだが、今回はどうも我慢できそうにない。釣れない時には大自然を堪能するのも悪くないと感じた私は、釣り師の特権を多いに利用することにした。釣り師の特権その1は新鮮な魚を食するということと、もう一つは男性であるがゆえの行為ができるということだ。

私は自分の足幅に丁度いい磯場を見つけた。日本人の自然観の代表として、自然と一体になりたいという天人合一の思想が上げられる。その天人合一が体験できるのがこれである。私はおもむろにポケットからティッシュを取り出した。そして、空を仰ぎながら一気に踏ん張った。めくるめく恍惚感が釣り師を襲った。黄金色の柔らかい物体が潮に乗って流れていく。

人間は自然から一方的にいただくだけで何もお返しができない。せめてこの私の分身を受けとってほしいと次なる括約筋の運動の指令を出そうとして、後を振り返った。途端、菊の紋様が一気に収縮した。私のお尻の先の反対側の磯で釣りをしていたおじさんと目が合ってしまったのだ。とても恥ずかしい体制のまま会釈をした。「これで、あなたも運が着きますね。」とは当然いえるはずもなく、そそくさとその場所を後にした。

これで、運を使い果たしたのは自分だった。それからというもの、uenoさんがへダイらしき魚をバラシた以外は、本命らしき魚と関わることなく午後5時過ぎに納竿となった。この日は、水温低下でどこも苦戦していた。水温が17.6度と言っていたが、それは上潮までだろう。下げ潮に


 スイガ瀬の船付け


      回収が遅かった福丸

なってからは水温が急激に下がり魚の活性が一気になくなってしまったようだ。本日の竿頭は又四郎で6枚。(じゃんけんの負けが悔やまれる)三角瀬はカワハギ大会。沖磯でも1枚か2枚という状況で、ウスバハギにもてあそばれたそうだ。

カワハギ系の魚が強いということは水温がかなり下がっていることを証明している。我々スイガ瀬では、クロ1枚、ヒラスズキ1枚に終わった。がっかりして後ろを振り返ると鮮やかな夕日が今正に水平線に消えようとしている。この傷ついた釣り師をあたたかく包む夕日に私は反射的にカメラのシャッターを切った。「くよくよするな。また、帰って来い。」夕日はやさしくそう話しかけてくれたような気がした。


美しい夕焼け野間池港裏



本日の唯一の釣果35センチ
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