5/3非常識か反常識か それが問題だ 天草羊角湾

春の気候は気まぐれだ。このところ連敗が続いているので、今回は何とか一矢報いたいと産卵が終わったであろう春メジナに会いに下甑の手打へとねらいを定めた。4月は何かと忙しく、やっとで5月の大型連休に休みがとれたので、5月3日と4日に上野さんと2日釣りを計画した。

ところが、3日と晴天が続かない春の気候はまたもや中年の釣り師に試練を与えることになるとは。週間天気予報は、クレッシェンドのごとく「くもり時々晴れ」「くもり」「曇り一時雨」「降水確率40%、50%、60%・・・」と日を追うにしたがって悪くなるというお決まりのパターン。前日の予報では、80%にまで達していた。高速道路と同様、釣り場も混雑する大型連休に備えて、早くから予約してた「Fナポレオン隼」におそるそる電話を入れた。「時化すう。お休みしまあす。」そりゃなだろう。携帯の天気予報では、波の高さ2メートルだったのに。

慌てて中甑の誠芳丸へとрいれた。波が3メートルでも出航するという串木野港から出る高速船「シーホーク」で甑に乗りこみ、現地の渡船で釣りをするという最後の手段にうってでるためだ。「時化ですよう。明日はやめといたほうがいいですよ。瀬泊まりですか。」「雨が降るでしょうから。民宿に泊まろうかと思ってるんですけど。」「中甑の民宿は全部満杯ですよ。鹿島の旅館は大型連休はお休みだそうです。シーホークは帰りの便をとるためには朝から並んで整理券をもらわないと乗れないんですよ。次の週じゃだめですか。」

船の名の通り誠実な人柄で知られる中村船長にここまで言われれば、あきらめざるを得ない。だめもとで2.5メートルの波でも出航する最強の瀬渡し船「蝶栄丸」に電話するも「明日は中止します。」ガクッ。やはり、釣り場の多くが南向きである南九州において、今回の南東の風ではどうにもならないということである。

1ヶ月も待ちつづけたのに。しばらく考える力を失ってしまった。しかし、ここからが釣りバカの本領発揮である。ここがバカの壁なのでは。何とか竿を出せる場所はないか必死に考えた。こんな天気の時に釣りなんかしなくてもと多くの人は冷ややかに言うことだろう。君たち釣り師は非常識だ。そうかもしれない。

しかし、世の中には、常識にとらわれている考えの対極に「反常識」という言葉がある。常識にしばられているなかで発想の転換を図るということはじつはとても大切なことなのではなかろうか。中国の古い社会制度を批判した魯迅の「狂人日記」。これを読むと反常識の考えの大切さを思い知らされるのだ。大多数の漢民族が少数の中国東北部の女真族から支配されるという状況の中で育った魯迅は、ヨーロッパ列強からの支配を受けることなく近代化を遂げた日本という国にあこがれ医者を目指して来日する。

ところが、人の病気を治すことよりも社会を治す医者になることが重要と考えたかれはメスの代わりにペンをとった。「狂人日記」は魯迅の処女作品。題の通り、狂人が書いた日記という想定で物語が始まる。自分は狂人ではない。自分は正当な人間でまわりの家族や村の人を狂人だと思っている主人公を読者である自分は冷ややかな目で見ることになる。「このおれを食ってしまうのだ」という「私」という名の狂人をやっぱり狂人だなあと思いながら読んでいく。

ところが、作品を読んでいくにしたがって狂人が見た世界のほうが本当ではないかと思えてくるのだ。もちろん、常識では人間が人間の肉を取って食うような人間はいないかもしれないが、人間が人間を食い合って生きている社会に今我々は生きているのではないかという反常識の考えが生まれてくるのだ。こんな日に釣りに出かけるのが狂人なのか。それとも、非常識だと言うまわりの人間が狂人なのか。非常識か、反常識かそれが問題なのだ。

さて、この南東風の最悪の天候の中で釣りが出来るところはそうあるものではない。かつて台風が九州を直撃した翌日、まだ、台風が九州北部を通過中の時、何とか竿を出せるところはないものかとuenoさんと熟考したことがあった。天気図を見て、2人のカンピューターは南東風を避けられる最も良い場所として鹿児島県福山漁港の防波堤を選択した。そして、釣具店のおやじさんもびっくりのそこではいつもは釣れない足裏クラスのメジナを二人で3枚釣り上げたのだった。なせばなるなさねばならぬ何事もとわけのわからぬ理屈を言いながら、我々は一番南東風に強く湾内での安全な釣りが出来る天草羊角湾で竿を出すことにした。

羊角湾はその名のごとく角が何本もくっついたような湾がいつくもつらなる複雑な地形を持つ。外海が時化でも湾内は穏やかであるため、魚にとっては格好のすみかとなっている。また、穏やかであるため鯛などの養殖棚も無数にあり、そのエサをめあてにいつく魚も多い。

今回もクロ釣りはあきらめてのっこみ後半を迎えた銀鱗に輝くおチヌ様に接見するために午前2時前に人吉を出発した。真夜中の天草路はあまり走ったことがなく、不安いっぱいの出発だ。今回お世話になる羊角湾一体を瀬渡しする大宝丸の出航場所は初めてだし、なにせ松島より奥に釣りの目的で車を走らせたことがなかったからだ。山本釣具センター大矢野店でエサを買い、食料品や飲料水の確保のためにコンビニを探しながら車を走らせていた。

ところがいつものことだが釣り談義に夢中になりコンビニを本格的に探すようになるとすでに本渡を過ぎていた。鹿児島や宮崎への遠征ではどんな田舎でもコンビニくらいはあるさとたかをくくっていたのが失敗だった。それからまったく店の姿をみることなく羊角湾行きの389号線に入ることに。いきなりの大失敗。瀬渡し船「大宝丸」の方はとても親切だ。事情を話すと弁当と飲み水とビールまで買ってきてくれるということ。初めての場所でこんな親切を受けるとうれしいね。とここまではルンルン気分で荷物を積んでいざ出発。

1日中雨という予報のなか我々釣りバカを乗せた大宝丸は午前5時半出航。こんな複雑に入り組んだ湾を見たのは初めてだ。宮崎県の一ツ瀬ダムにそっくり。海というよりダム湖である。右に視線を移すと小さな島の横にトムとジェリーで出てきそうなコテージが並んでいる。そのコテージと梯子でつながった筏ですでに釣りバカの方が一人ダゴチン釣りをしている。

正面に目移すと養殖業者の船が泊っている。新緑の季節を迎えた美しく香しい緑の森と碧の水面のコントラストが何とも言えない味わいが。遠くで鳥たちのさえずりが聞こえてくる。無数の生命を宿している豊かな自然と人間とが共存しているそれが羊角湾なのかも。しかし、かつてこの羊角湾にも開発の波が押し寄せ、こともあろうか羊角湾を埋め立てようという計画が持ち上がったそうだ。人間の反常識には目先の利益にとらわれることもある。いつまでもこの海が美しいままで残っていくよう願ってやまない。

さて、船は正面の養殖棚方面へと進んだ。あれっ、湾の出口付近には行かないのかな。湾の出口には、三角、米塚、軍ヶ浦、大鍋など釣り雑誌でも登場する好ポイントが目白押しである。しかし、今日は湾奥のポイントということはよっぽど海が悪いようである。

船は、養殖棚の間を抜け、まるでブラックバスのおかっぱりポイントのような狭い磯に乗せられた。「潮が引いてきたら、前に出て釣って。タナは竿1本半で正面向いて竿2本先を攻めて。」と永野船長は初めての客をわかりやすくサポート。いよいよ羊角湾での初めての釣りが始まる。今日の釣りの女神は我々にどんな答えを用意してくれているのだろう。ウキは、棒ウキの中で最も信頼を寄せているBMウキ0.5号。えいっと第1投。ところがすぐ後ろが林なのでキャストするためにふりか


デカチヌがいそうな広浦奥の地磯

ぶれないのだ。だから遠くへ投げられない。こりゃ、潮が引くまで待つか。大潮である今日は、潮の満ち引きが大きく潮の引き方も速い。8時頃には下の段におりて釣りが出来るようになった。しかし、潮がまったくといって良いほど動かない。しかも、えさ取りの数は半端ではない。程なく、uenoさんや私にコッパグロの当たりが。手のひらにも届かないサイズがうようよしている。スズメダイは五万匹ぐらいいるし。エサや仕掛けが着水する音にえさ取りが反応し、エサが持たない状態に。

さらに悪いことに釣り始めてしばらくすると養殖業者が養殖棚に大量のエサを与える光景が目に飛び込んできた。終わった。養殖棚に居付いている魚を釣ろうとしているのに、エサを撒かれてはこちらの撒き餌に反応する可能性が消えた。向こうは仕事。こちらは遊び。当たり前のことだが、あきらめるしかない。

するとタイミングよく10時ごろ大宝丸が様子を見にやってきた。「どうですか。」いつものようにだめのサインを送ると、「瀬替わりしますか。」この言葉に迷ったが、動いてみることに。湾の出口付近での瀬替わりを期待しつつ、急いで荷物をまとめ船に乗りこんだ。船はゆっくりと湾の出口方面へと進んだ。しかし、今度も出口付近までいくことはなかった。我々は、亀浦の出口付近にある大瀬戸の


亀浦の出口付近にある大瀬戸の地磯

地磯に下ろされた。磯に降りてびっくり。何と川のように潮が流れている。時間と共に潮が引くと中河原のようなものが出現し、まるで球磨川で鮎釣りをするような情景である。「あーあ川のながれのように」の歌のごとく緩やかに流れてくれれば良いのだが、前回惨敗を食らった松島の激流を思い出した。これは、潮がゆるんだ時が勝負だなと直感し、仕掛けをうち返した。ここもエサ取り天国。全遊動や、なまじっかな半遊動では太刀打ちできないと、ここでもBMウキ0.5号でえさ取り層の強行突破を試みた。それでもかわいい赤ちゃんグレが釣れてくる。小さい間は安全な湾内で成長すると、今度は外敵が多い外海へと出ていく。グレの社会も人間の社会と同じだね。

さて、速い潮でも何とか結果を出さなくてはとしかけを流していると、BMウキが消しこんだ。やっとまともな当たりだと会わせるが、手応えはあるものの小さい。上がってきたのは、ベラ。サンキューべラマッチャとリリース。再びベラが釣れる。魚の活性が上がってきたかな。だんだんやる気が出てきた。

あそこだ。地磯の曲がり角で急に潮が速くなるところがあるが、そのちょっと手前で当たりがあるようなのだ。よく考えたら魚が食うところはあそこしかない。再びトライ。今度もBMウキが勢いよく消しこんだ。あわてず合わせると今度も魚の生命反応が手に伝わった。しかし、これもあっさりと寄って来た。釣り上げると20センチ級のアジ。初めてまともな魚に更にやる気モード。

そして、アジの次に消しこんで合わせた当たりははっきりと強い引きが伝わってきた。よしっ、やっとで食ったぞ。やや竿を叩く最初の引きは、おチヌ様か。手前に寄せてさあフィニッシュだ。おやっ、えらいひくなあ。チヌならもっと往生際が良いんだけど。あれっ、竿を叩くぞ、もしかして、、、。でたあ!
竿をガンガン叩く魚の正体は800gのバリでした。ガックリ!それから本命と出会うこともなく、時間だけが過ぎ午後5時きっかりに船は迎えにきた。「この前は4枚釣れたんですけどね。」いつもの言葉を聞いても悔しさはなかった。

こんな大荒れの日でも釣りをさせてもらったことと、わがままな客に弁当やビールを買ってきてくれた船長さんのやさしさに触れたからだ。それから、われわれの泊る旅館まで案内してくれ、魚のすり身までお土産にくれるという親切ぶり。また、うめの屋という旅館でも、釣り人が勝手に持ち込んだアジとバリを刺身に調理してくれ夕食に並べてくれた。自分で釣った魚ということと心のこもった調理でバリの刺身の美味さが引き立った。

人に優しさを届けられる人間にならなくてはと思う。そして、狂人日記のように人と人とが食い合っている世の中には決してしないぞと心に誓うのだった。非常識か反常識かそれが問題ではない。どういうことに対して反常識なのかその内容が問われているということなんだ。そのように自分勝手に納得して、降水確率100%の翌日の釣行を中止し、我が家へと帰るのであった。

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