6/27初めて 錦江湾口

人間だれでも苦手なものがあるもんだ。筆者の苦手なもの、それは磯釣り師にあるまじき船酔いである。生まれ付き三半規管が繊細に出来ているのか、はたまた、根性がないのかそれはわからない。物心ついたときから車に乗っては酔い、もちろん船や大型バスや、タクシーに乗っても酔うという家族にとっては困った厄介者として幼少期を過ごした。

筆者の乗り物酔い体質を決定的にしたのが、小学5年生の時の社会科見学だ。その時福岡市に住んでいた私は、その当時の日本の4大工業地帯であった北九州へ社会科見学旅行に行ったのだ。担任の先生は、当然バス酔いすることに配慮することなく、バスに詰めこまれた。私の座席は残念ながら通路側。隣の窓側には、私と同様三半規管に弱点を持つ確か林君が座った。
「気持ち悪くなったら替わってやるからな。」彼の一言はうれしかった。見学旅行に出発。始めのうちは、みんなうきうき、歌を歌いながら盛り上がった。ところが、しばらくして北九州八幡にさしかかったところで信じられない光景が飛び込んできた。真っ白な乳白色のもやが一面に町を包んできたからだ。これが生涯で唯一の光化学スモッグとの遭遇だった。

窓を開けて風にあたるというただ一つのバス酔い対策を阻まれることに。窓を開けると異臭が車内に漂い、大変なことに。やむなく窓をしめきらなければならなかった。途端に林君は無口になった。何か見えざる敵と戦っているようだった。彼の視線は一定方向を見つめている。やばくなってきた私は、「おい、替わってくれないか。」と言ったが、彼は上の空。もしかして。そう彼は、壮絶な車酔いと戦っていたのだ。

ところがその彼ももはや力尽きる時がきた。前の座席に手をかけたと思うと、いきなり強烈な異臭とともにリバースを始めたのだった。これに連鎖反応を起こした同級生が次々にリバースを始めた。私も力尽き、エチケット袋のお世話になることに。

東洋一とうたわれた八幡製鉄所、当時としては巨大建造物として観光スポットだった若戸大橋。私はこの事件のために、社会科見学の学習が出来なかった。ただ覚えているのは、強烈な異臭とともにリバースした、苦悶にゆがむ林君の横顔だったのだ。これが私にとって最大の社会科見学になったのだ。

しかし、こんな貴重な社会勉強をしたにもかかわらず、大人になっても私は、弱三半規管系だった。だから、なかなか海に釣りに行くことなどできなかったのである。堤防釣りから入り、近場の磯釣りを始めるとだんだん船に対する苦手意識が消えていった。そして、船酔い対策に最大の方法を発見した。それは、人間ドックの時に思い付いたのだ。胃カメラを飲む時のポーズで寝ていると、どんな揺れでも船酔いしないことがわかったからだ。uenoさんから「船釣りいこうや。」と言われても、否定しなかった。こうして、私は船釣り初体験が始まることに。

6月27日(日)選挙運動や仕事の多忙な中、奇跡的に休みがとれた我々は、今年になってまだ顔を見ることができないでいる、イサキくんに会いに行くことにした。27日午前1時半に人吉を出発。今回お世話になるのは、隼人町にあるフィッシング一屋。錦江湾の船釣り専門で、釣具店もやっており、またありがたいことに釣り具一式貸してくれるといううれしいサービスもある。

今季、錦江湾の船釣りは好調で、大アジやイサキがあがっていた。一屋に着くと客がちらほら、釣り談義を始めているおっさんがいたるところにいた。「全部こっちで準備するから氷を入れて港へいっとって。」子門真人に似た船長は笑顔で迎えてくれた。わくわくするね。やっ


出航を待つ一屋6号

ぱり初めてはいいもんだ。船釣りでボウズ食らったらどうしましょう。冗談を飛ばしながら内心は好釣果はもらったという思いでいた。

船釣りは平均年齢が高い。ほとんどが60代のおっさんいやとっつあんばかり。「おい、兄ちゃん、クーラーとってくれ。」40代のおっさんに兄ちゃんとはまいった。

さて、午前4時に隼人港を出発。穏やかな錦江湾をひた走った。他の客に話しかけてみた。「どれくらいでポイントにつきますかね。」「3時間とちょっとかな。」なにっ!今日は湾口へ行くそうだが、それにしてもあまりにも遅すぎる。1時間半くらいで着くかなと思っとったんに。」「この船は遅いんよ。甑あたりに行く船はこの倍は走るがね。」長い船旅になりそうだ。

私はいつもの胃カメラポーズで夜が明けるのを待った。空が白み始めた。左側に地磯が続いている。大隈半島の先端の佐多岬へと向


今回のポイント佐多岬周辺

かっていた。

午前6時半ごろ佐多岬先端部でエンジン音が緩やかになった。他にも船が何隻か来ていた。ここがポイントらしい。近くに大きな磯があり、潮の流れもまずまずでいかにも魚がいそうな雰囲気が立ち込めていた。「みんなおもりは100号ね。」客の中の仕切やさんがアドバイスしてくれた。

でも、ぼくたち平気だもん。なんたって、道具を一式借りるんだから。船竿に電動リール。PEラインに籠が取りつけられたのに、ハリス3号の同突き仕掛け。船長に電動リールの使い方を教えてもらい、早速釣り開始。撒き餌のアミを籠に入れ、3本のハリにはオキアミの生をつけて仕掛けを落とす。「底をついてから5メーターくらい巻いてよ。」どうやらそのあたりがポイントらしい。底を測ると38メートルほどだった。

船長の言う通りに33メートルのところにタナを設置した。まだ、他のところもあまりつれてない様子。まあ、のんびりといくかと思っていたところ、第2投目で、竿先がくくっと不自然な動き。何と2投目で当たりが来た。電動リールで良かった。これから、手で巻いていくなんてやっとられん。客の全てがなぜ電動リールを使っているかが理解できた。ふかせ釣りと違い、獲物は中々あがってこない。「チダイだ。」船長が声をかける。やったぜ。外道だが、チダイなら本命と同じ。底潮は結構動いている模様。飲みこんでいるため


悪夢の初船釣り

ハリはずしを借りて飲みこんだハリをはずそうとしていると、突然、小学5年生の記憶がよみがえってきたのだ。あの苦悶に歪む林君の横顔が浮かんできたのだ。

やばい!と思ったときにはもう遅かった。私の三半規管はすでに限界に達していた。船のゆれに呼応しながら腹式呼吸をして懸命の船酔い対策をしていたのだが、魚が釣れたとたんに、そのリズムが完全に狂ってしまったのだ。

ううっ!いきなり唾液の洪水が口の中で起こっていた。隣では、他の客から酔い止め薬をもらって飲んでいた上野さんが何食わぬ顔でチダイを上げていた。どうやらチダイの時合いになったらしい。苦しみながらも何とか頑張らなくては。釣り師なら船酔いに打ち勝て。もう完全にこれはレジャーではなくなっていた。船酔い我慢大会になってきた。チダイの時合いは一瞬で終わり、今度はイサキがポツポツつれだした。uenoさんが上げると、私も上げた。ついでに上げたくなった。

うえっ!最初の人工撒き餌が始まった。ううっ、負けてなるものか。釣らなくちゃ。すると、イサキの時合いも一瞬で次はカツオの群れに当たり出した。船長が夢中になってソーダガツオを上げていた。「色々教えてあげるよ。」出航前はこうやさしく言ってくれていたのに。客をほっといて自分の釣りに夢中になっている。

カツオはハリがかりすると横っぱしりをするので、急いで巻かないとトラブルの原因になってしまう。私も何回か掛けたが仕掛けを切られ、ばらしたりでカツオを釣り上げることは出来なかった。そのうち、干潮近くになり、潮が止まった。潮が止まったら今度は、40センチから50センチの大サバがつれだした。私も2匹ほど釣り、後はバラシ。40くらいのイサキを釣ったところで時計を見たら、9時半。

陣痛を迎えた妊婦さんのように、私のリバースも間隔が短くなり、5分ごとにリバースしていた。もう限界だ。良く戦ったぞ。もう悔いはない、いや、もう船釣りしたくない。ふらふらになりながら、クーラーの効いた船室に横たわった。10時半頃再びトライしたが、やはりリバースかまちゃんに。この後、船室に戻り、ひたすら帰る時間を待つことにした。幸いなことに、午後3時に納竿だったが、相談の結果1時前には船は帰港の路に。助かった。これで帰


uenoさんのクーラー チダイ、イサキ、カツオ、サバ

れるんだと思うと素直にうれしかった。結果、潮に恵まれず、時期の問題もあり、入れ食いとまではいかなかったが、uenoさんは10枚くらい、私もお土産程度は釣ることが出来たのは良かった。しかし、残念ながら私の船釣りは恐ろしい船酔いとともにほろ苦いデビューとなった。ていうか、もういやだなあ。uenoさんに今度船釣りに誘われたらどうやって断ろうかなと考えながら帰路についた。


イサキ、チダイ、サバ これで十分

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