1/29 黒潮が連れてきてくれる恋人に逢いに行く 硫黄島

「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」というキャッチコピーがある。ドライバーの安全運転を願って作られた言葉は、今や日本の将来を危ぶむ言葉になりつつある。700兆円もの借金を抱える日本は様々な分野で迷走を始めている。国と地方のあり方を変ようと出てきた地方分権。これは、スローガン的には大歓迎だが、その中身は地方切り捨て。55年体制の中で補助金により様々な施設を作らせておいて、後は自分たちで維持してほしい。国に頼らざるを得ない体質を作らせておいてそれはないだろう。国の迷走は地方にも波及する。開発という名の環境破壊を始めている。諫早湾の干拓、川辺川ダム。開発の魔の手は更に天草御所浦の核施設、宇治群島の産廃、草垣群島の石切場開発へとおよぼうとした。釣り人垂涎の地、魚族の楽園の命運は元をたどれば国の借金を返すためということになる。金、利権、これが人間を迷走させている。いや、人間のものの見方考え方がそうさせているのだ。もし、政治家達がしっかりとした哲学を持っていたならば、こうはならなかっただろう。「狭い日本」とは心の狭い政治家達ではないのかと思うようになった。

その責任の一端は教育にある。戦後教育は朝鮮戦争以降一貫して知識を詰め込み技術を身につけさせることに終始した。橋をかける知識・技術は教えてもそのことにどんな意味があるのかは考えない人間ができあがった。地球に住むすべての人間が身につけていなければならないものの見方の一つは食物連鎖だと思う。勤めている学校の給食週間に放送で子どもたちに次のように語りかけた。「地球に住むすべての生き物と人間との違いはなんでしょう。それは、人間以外のいきものは食べたり食べられたりしているけど、人間だけは一方的に食べるだけなんです。だから、せめて出された食べ物は好き嫌いせずに食べるようにしましょう。」食物連鎖の歴史は古い。

仏教思想に「一即一切」(いっそくいっさい)というものの見方がある。意味は、「全体は部分であり、部分は全体」である。これはすべてのものはもちつもたれつの相関関係でつながっているという考えとリンクしている。私という個人は、そのまわりの他者との関係によってなりたっている。例えば、小学校6年生の子どもたちが小学校では落ち着いた言動を見せるのに、中学校に入学してしまうと幼く振る舞ってしまうのがそれだ。なぜそうなるのかというと人間はすべて他者とつながりあって生きているからだ。そういう関係を持てない者がけっきょく犯罪へと向かう。個人(部分)は持ちつ持たれつの関係によって集団(全体)となる。だから、個人は部分であり、全体なのだ。その社会的な関係に自然界の関係を融合させたのがマルクスの有名な「人間は社会的諸関係の総和である」というものの見方だ。人間社会だけで一即一切の考え方をとらえようとすると自然破壊となることをマルクスは見抜いていたのかもしれない。現に、日本ではマルクスの予言通りになろうとしているではないか。お受験としての知識で覚え忘れてしまうには誠に惜しい大切なものの見方だと思うのだが。人間は自然界の食物連鎖の外にいて一方的に食べ物をいただくだけであることをすべての人間が哲学として身につけていなければならないのではないか。

皮肉なことに文科省は学習指導要領で小学校の理科で食物連鎖を扱わなくてもいいことにした。文科省が重視している環境学習を食物連鎖を扱わなくてどうすすめるのだろう。エネルギーが循環するということは、丁寧に説明すれば4年生でも理解できる内容のはず。将来開発をすすめるために食物連鎖は邪魔になるので削減したという確信犯ではと疑いたくなる。文科省も迷走している。世界OECDで日本の学力が低下したということで路線転換の方向だ。ものの見方を含めた生きる力を育てようと始まった新しい学力観は早くも頓挫。この後は、再び知識・技術の詰め込みに終始することになるだろう。そうなると、自然環境の未来はいや我々人類の未来は益々危うい。自然を知らない、テレビゲームで育ち、机の上だけで学んだ若者が成長し、世の中を動かすようになる。はたして彼らが自然を人間をどう守ってくれるのか。川で、海で、山で遊んでもらった経験を通じて我々はものの見方を体得する。自然に遊んでもらった経験がない者に自然を守れと言っても難しいかもしれない。

小池百合子環境担当大臣がブラックバスを特定外来種に指定しようとしている。ブラックバスが将来において他の種を絶滅させようとしているかどうかは研究者の中で議論の分かれるところだ。まだまだ研究が必要なのに大臣の権力で多くの釣り人を駆逐しようとしている。大臣の仕事は諫早湾、川辺川ダム問題と他にもあると思うのだが。食物連鎖というものの見方をもっと世の人たちに伝えたい。そのためには、もっと自然の中で遊ばなければならない。そう気持ちを新たにし、2005年釣りの計画を立てていく。しかし、ことごとくふられっぱなし。1月になり、黒潮にのって産卵のためにやってくるワカナ(大型の尾長)に逢いに思いを募らせる。

渡船は当然枕崎港から出る「黒潮丸」。1月4日、5日時化、9日時化、15日時化、23日時化と5連続で離島行きを断念させられた。特に、23日は離島釣りを諦め渡りクロが入り絶好調の秋目に釣行しようと現地に赴くが、突然の低気圧の成長により台風並みの嵐となりエサを抱えたまま船にさえ乗ることもできずに帰った。自然に対し畏敬の念を持つと同時に釣りに行けないというフラストレーションはたまる一方。祈る気持ちで29日の天気予報に釘付けとなった。24日からの週はどこも絶好調。渡りのクロが釣れ始めた。鴨の瀬では釣り頭が1〜1.5kgを8枚で好調。秋目では、700〜1kgが10〜20枚。2kgも混じっている。佐多では1人20枚〜30枚。甑の里では、35〜40cmをなんと平均10枚。鹿島では西磯で40〜48cmを7〜12枚。瀬々野浦では700〜1kgをボーズなしで釣る人20枚。手打では、600〜1kgを釣る人24〜25枚。釣れない人でも10枚は釣っていたという。そこで、我が硫黄島の状況はというと好調を維持していた。「尾長45〜55cm全体で6匹、クロ1kg前後釣る人20枚、石鯛1.5〜3kg釣る人4匹」「出れば間違いなく尾長が釣れるけどなあ。」という船長の声が忘れようとしても忘れられない。

前日の28日は水俣の出張へ向かう途中で携帯が鳴った。「カマタさんですか。あのね、日曜日は時化てくるんですよ。29日の1日釣りでいいですか。29日もね時化てくるんで早めに出発しますわ。」船長直々に電話がはいるというのは何ともうれしいものだ。29日の波は2mのち3mで微妙なところ。午前2時集合ということなのでuenoさんと人吉を午後11時出発。枕崎港についたのが1時45分。すると、すでに釣り客が準備を始めていた。我々が最後の到着だったらしい。釣り人の只ならぬ意気込みが伝わってくる。我々は鹿児島通信社の車の後ろに着けた。今日は釣り雑誌の取材もあるらしい。誰か名の知れたアングラーが乗り込むのかな。すぐに釣りのユニフォーム着替え、荷物をのせていった。釣り人のはやる気持ちは船を予定の2時半より早い2時7分に枕崎を離れさせた。

船の中でぐっすり眠っていたが、「おら、鵜瀬がよかばい。ばってん新島はいやばい。足場が悪くてやっとられんもん。」こんなuenoさんの声が届いたのか午前4時前エンジン音が緩やかになったと思うと船長の声がした。「kamataさん準備して」黒潮丸が目指している瀬は鵜瀬。やったあと喜んでいると横にuenoさんがいない。最近の仕事の疲れかuenoさんは爆睡していた。やっとで起こされuenoさんも渡礁準備を始めた。1月29日下り中潮。9時半が満潮だから、潮位がかなり下がっているはず。眼前に独立礁が忽然と現れた。鵜瀬は硫黄島の中でも超がつくA級ポイント。上物・底物ともによくこの時期は夜釣りで大型の尾長が出る。今シーズンも爆釣は年末の鵜瀬からだった。

1月2日には二人で2〜3kgを10枚というとんでもない釣果を記録している。uenoさんの発言もここからきているのだった。その名の通り瀬は鵜のような形をしている。天空に突き出た細長い岩は鵜の頸のごとく我々を歓迎しているかのようだった。喜びとともに我々3人はあこがれの鵜瀬に渡礁。荷物を高いところに置いた。船は今度は同じく鵜瀬の硫黄島側に2人を乗せて平瀬方面へと去っていった。我々3人は早速磯の全体像をつかむ作業に。あれっ、3人?2人で来たはずなのに1人多い。誰だおまえは。釣り道具を持たない茶髪の若者が1人我々と一緒に渡礁していたのだった。なれなれしく道具を運ぶのを手伝ってくれる。そしていきなり我々に話しかけてきた。「あの、私鹿児島通信社のものですが、取材をさせてもらっていいですか?邪魔にならないようにしてますから。」おいっ、この場では断りようがないだろう。

突然のギャラリーに戸惑う我々。鹿児島通信社といえば愛読している釣り雑誌「釣恋人」ではないか。職業病か、「毎月読んでるんですよ。南タクマの釣り放浪記が特に好きですね。」とすかさず社交辞令を入れてしまった。しかし、言葉には出せないが、uenoさんと思いが一致していた。取材されているのにボーズで終わったらどうするんだ。もっと他に釣りのうまいやつはいるだろうに。よりによって俺たちを取材しなくても。いや間違えた俺たちを取材するのではなく、鵜瀬を取材しに来ているのだった。とにかく我々は鵜瀬に来てるんだ。こんなチャンスは二度とないかも。早速仕掛け作りに入った。竿は夜釣りでトラブル防止ということで中通しのブレイゾン遠投5号。道糸8号、ハリス10号。ウキは釣研尾長1号。エサは黒潮丸が用意してくれたオキアミ生にアミを混ぜて集魚材は入れずにいくことに。光らせるためにしばらくの間アミにライトを当てた。準備をしている間に記者がいろいろと質問してくる。「道糸は何号ですか?」「エサはどうされたんですか」適当に答えながら、釣りを始めることにした。

釣り座は船着けの所。本来は石鯛のポイントらしい。uenoさんは私の左隣に構えた。午前4時に期待の第1投。潮は硫黄島方面へと流れていた。尾長釣りの定石は瀬際なので、仕掛けを磯際から離さないように注意しながら操作をしていると、ウキがゆらゆらと前当たり。するとウキが消し込む前に道糸が走った。第1投からいきなりの当たり。なんだこいつは。5号竿にものをいわせて振りあげてライトを当てるとそこには茶灰色に輝く尾長がピチピチ跳ねていた。43cmくらいか。思ったより小ぶりだがボーズ脱出。ほっと胸をなで下ろした。「やりましたね。すごいですね。」記者の言葉に益々やる気になる私。さあ、思いっきり取材してください釣りまくりますよ。今はギャラリーがいることがとてもうれしい私。第2投、ウキの消し込みにあわせるが竿にのらない。でも、我々の真下に尾長が群れているのが容易に想像できていた。第3投これもエサをうまくとられていた。

よしっ、この釣行のためにいくつかの釣具店で品定めをし、これだと用意したエサを試すことにした。それはアミ成分につけ込まれたエビのむき身。昨年の硫黄島の平瀬でヒロキューの磯えびくんのむき身で52センチの尾長を釣って以来夜釣りの尾長にはむき身が有効ということを発見し、今回も試そうという魂胆なのだ。よしっと第4投。瀬際から1mのところで仕掛けが落ち着いたかと思うと再び道糸が走った。一直線に突っ込むこの引きは間違いなく尾長だった。uenoさんに玉網をかけてもらい上がってきた魚はやはり47cmの尾長ちゃんだったのだ。黒潮にのってやってきた彼女は、人間が決してみることができない美しい海の世界を覧てきたであろう澄んだ瞳をしていた。小さい鱗、茶灰色の美しいプロポーションは神々しい光を放っていた。「すごいですね。入れ食いじゃあないですかあ」記者もこんな言葉で評価してくれた。すべて1ヒロ半。記者に写真を撮ってもらいいい気分で釣りを再開。魚が暴れたのでしばらく当たりが遠のいたあと、再び1.5kg前後の尾長を1枚追加し当たりがなくなった。uenoさんも苦戦していたが、私の右隣の釣り座を勧め、むき身をプレゼントすると尾長を1枚釣り、更に5時過ぎにものすごいトルクで突っ込む魚に遭遇。中々の大物らしい。重い魚体で振りあげることが困難なので私が玉網をかけた。ライトを当ててびっくり見事な50オーバーのギンワサ(石鯛の成魚)だったのだ。こんなの喰うのかよ。オキアミでしかも1ヒロ半やそこらのタナで。

uenoさんのこの石鯛は底物師全滅の中、唯一の釣果となったのだった。さすが鵜瀬だ。笑顔で取材のカメラに収まるuenoさん。いいなあ。更なる獲物をもとめて竿をうちふるい続けたがここでトラブル発生。うねりがだんだん大きくなり注意はしていたのだが、左から大きな波が襲ってきたのに対応が遅れた。がばあと波は足下を洗った。とっさに竿を持って上の段に上がった後釣り座に視線を落とすと、バッカンの姿はなかった。バッカン、エサケース、巻き餌シャク、シャク入れ、ブラシ、撒き餌、着けエサなどを海へ落としてしまったのだ。これで夜釣りを断念することに。海に無駄なゴミを捨ててしまったことに陳謝と頭を冷やすために磯の上の段に上がってしばらく休むことにした。その後、uenoさんもオジサンを1枚釣っただけで夜釣りを終えた。


うねりの残る鵜瀬 沖に見えるのは新島

夜が明けた。朝焼けが美しい。記者が朝焼けをカメラに納めている。思わず私もシャッターを切った。さあ、昼釣りだ。口太だ。「クロは裏で」の船長のアドバイス通りにワンドの先端に釣り座を構えた。ところが先端は北からのうねりで波に洗われるようになり釣りが困難。先端からの根まわりにはいかにも魚がいそうな雰囲気が漂っているのに。撤退を余儀なくされた私は、先端からやや後方に移っていった。遅れてuenoさんはワンドの最奥部へと移ってきた。ところがこれが大正解。立て続けに3枚のクロをゲット。取材のカメラに収まっていた。私も何とか1枚をゲットした。


さあ昼釣りだ 夜釣りのポイントで


鵜瀬のワンド 口太のポイント


やっとで釣れた口太

うねりが強くワンドはサラシで真っ白。クロ釣りにはうってつけと思いきやばたばたと4枚釣れたあと、午前8時ごろからイスズミの猛攻が始まった。釣っても釣っても釣れてくるのはイスズミばかりなり。瀬際でもサラシの払いだしでも潮目でもだめ。満潮から下げにはいるとその傾向が更に強まった。ワンドの向こう側から1人の釣り人が「ここいいですか?」とやってきた。おかしいな。向こう側は鵜瀬の中でも一番魚影の濃いところのはずだが。その若者もオジサンを釣り上げクロが釣れないとわかると去っていった。11時頃、交通事故的な上野さんの1枚を最後にクロの魚信は途絶えてしまったのだった。我々が苦戦していると記者もいつの間にか渡船で消えてしまっていた。


ありがとう鵜瀬

12時半に黒潮丸が迎えに来た。我々の組が最後の回収だったらしい。「どうだった。」「尾長が2人で4枚、口太が2人で5枚」今日の中ではまずまずの釣果だったらしい。空を見上げると天気予報にあにはからんやさわやかな青空が広がっていた。波3mの予報はどうなったんだ。こう思うとともに釣りができたことをポセイドンに感謝しながら釣り人のロマンを叶える前線基地枕崎港へと帰った。この日は水温が急激に下がり、黒潮の接岸も思わしくなく、船長の漁師仲間の情報では甑でも魚影が見られなかったそうだ。魚の機嫌も今一歩だった。我々が夜釣っていた釣り座は石鯛の上げ潮のポイントだったらしく、だから手前に潮がおっつけていたんだね。また、裏のワンドも上げ潮のポイントでその通り満潮を過ぎてからは当たりが遠のいてしまった。

船長と今日の釣りを振り返った。「あそこはね。尾長の産卵場所なんよ。だから、乗れば必ず釣れるところだよ。」「潮が当たってきて船着けのところで左右に分かれて流れていましたよね。」釣り恋人の記者がいつの間には会話に加わっていた。「左右に根があるでしょう。だから撒き餌がたまって尾長がいつくんだよ。」そして、59cmを釣ったおにいちゃんがハリス7号であげたことがわかると、「運が良かったね。尾長の歯は鋭いよ。飲まれたら10号ハリスも飛ばしていくよ。今度はワイヤーハリスで釣りなさいな。」船長はよく教えてくれる。なるほど勉強になったなあ。今日の釣果は我々鵜瀬で4枚。もう一つの鵜瀬で1枚。平瀬で59cmの尾長が1枚上がった。そして、どこかはわからないがクーラーに50オーバーの尾長が2枚おさまっていた。後はあまり目立った釣果は見られなかった。同じ時刻に草垣群島に行く第八美和丸が帰還していたので、クーラーを覗いた。60cmを超える尾長が数多く上がっていた。クロの数釣りも確認した。しかし、釣り人の数からして本来の草垣の実力にはまだまだのようだった。でも、我々は満足だった。「久しぶりにいい釣りだったばい。」と上野さんも満足そう。あまりたくさん釣れなかったが、硫黄島という魚の宝庫を堪能することができた。そして、このすばらしいフィールドを後々の世代までに残していかなければと思うのだった。



上野さんの3目釣り(石鯛1・尾長1・口太4)


今回の釣果(尾長3・口太1)

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