4/29 雨よ降れ! 下甑手打

生物の躍動の季節、春、4月、平成17年度の新学期が始まった。しばらくは仕事に忙殺される日々が続く。しかし、忙しいからこそ休日は家族との時間を作り、(心が亡くなる)状態から自分を解放していかなければならない。4月中旬、晴天が続きいてもたってもいられない家族3人は早速海へ心の洗濯をしにいくことにした。県南の某海岸へ行き、潮干狩りとしゃれこむことにしたのだ。釣具店でくまでなどの潮干狩りグッズを購入し、事前に調べておいた潮干狩りのポイントへレッツゴー。ここは知る人ぞ知る秘密ポイントなので潮干狩りをしてる人もまばらである。さあ、おとうちゃんはやるぞ!だが、いざ始めてみるとこれが中々難しい。ポイントをいろいろ変えてみるものの小さいサイズはいるが一向にアサリの本命サイズは見あたらない。1時間が経過したが、おみやげになる成果はゼロに等しかった。地元のおじさんたちは黙々と掘り続け、ポツポツとアサリをゲットしてるというのに。今日は中潮。干潮の2〜3時間が勝負。すでに午後4時をまわっていてそろそろ潮が満ちてきている。何とかしなくては。楽しいはずの家族サービスが苛立ちへと変わっていった。すると、「おとうさん!おるおる。」とかあちゃんの声がした。ついにうちのかあちゃんがあさりの居場所を突き止めたようだ。あとはでるはでるは、アサリの良型がざっくざく。我が家の食材に十分な量をゲットした我々は満足顔で家路を急いだ。この潮干狩りで気づいたことがいくつかあるので紹介しておきたい。

@大潮や中潮の干潮の2〜3時間がお薦め

Aあさりは深さ20cmまでのところにいる

Bアサリは1カ所にかたまっている

C砂抜きのために潮干狩りの場所の海水をとっておくと便利


県南の某海岸で

ところで残念なことにアサリは今はめっきり数が減ってしまい、漁協の方々が育ててくれていてそれをわれわれが取らせてもらっているのだ。海の恵みをみんなが享受できるよう漁業関係者の方々がいろいろとやってくださっている。つまり、潮干狩りは公共サービスを受けているようなものなのだ。しかし、残念なことに公共サービスを次々に切り捨てている国がある。言わずとしれた日本国である。国鉄、電電公社などを次々に民営化した。確かにそのことで経営面では借金体質から脱却し、顧客第一主義を全面に出したことは評価できるが、そのおかげで例えば、地方路線の廃止などにより、地方の過疎化は明らかに加速していったのも事実だ。そして、この春に閣議決定されたのが郵政民営化法案である。未だになぜ今郵政民営化なのか首をかしげるばかりである。郵政事業は一切税金を使っていないし、黒字経営である。郵貯の資金が無駄に使われてるからという論も、使い方を問題にすべきであり郵政事業に責任はないはず。郵便局のコンビニ化なんぞだれが望んでいるというのだろう。郵政事業を面白くないまなざしで見ている輩が政治の力を使って首相を動かしているとしか思えない。またもや地方の過疎化は広がっていくだろう。小泉内閣は国民から安心して公共サービスを受ける権利を奪おうとしている。無惨なJR福知山線の列車事故。いずれ明らかになるだろうが、また経営者側は違うと言うだろうが、結果として利潤や効率のために安全という最も大事な理念を見失っていたということになるのではないか。これからの時代は自己責任だとアジル政府。公共サービスを切り捨てて、自己責任で生活しなさいならそんな政府なんかいらない。今こそ平和・人権・環境・共生の理念のもとに政治をやってくれる政府を国民は求めていると思うのだが。

やりきれない思いを抱きつつ、そんな人間たちの修羅場から脱出し、邪念や猜疑心もない釣りという美しくも悲しき業に向かうため、4月29日、30日と2日釣りを計画した。この時期なら当然4月1日の解禁を迎えたばかりの手打西磯だ。下甑島手打の西磯(手打湾から早崎までの一帯)は昔からのパン粉漁の伝統を守るため11月1日から3月31日までは禁漁期間となり、地元の数人の漁師しか魚をとってはいけないことになっている。寒グロの一番いい時期に一般の釣り人が入っていないということは、海の資源が豊富に残されているということでもある。産卵が終わったであろう地グロの体力回復のための荒食いと尾長の来襲を期待しつつ例によって祈るような気持ちで天気予報に一喜一憂する日々を過ごした。4月は予想に反して晴天続き。真夏を思わせるような陽気がしばらく続いていた。釣り師的に言えば、晴天が続くというのもあまりうれしいことではない。毎日のようにおびただしい数の釣り師が磯に上がり、そのたびに大量の撒き餌をしていく。そのために、魚もエサの言わば飽和状態となり、喰い渋りや学習能力の高いクロの台頭が起こってくる。また、クロ釣りは少々波気があった方がいいし、ピーカンの日には魚が警戒するためかあまりいい釣果の記憶がない。更に不安材料は、渡船だ。手打に渡してくれる船は「ナポレオン隼」などがあるが、前日の28日には息子の学校(実はuenoさんはその学校の職員でもある)の歓送迎会(飲み方)があるため早い時間に出発する船には乗れないのだ。そのため、比較的遅い時間に出発する「シーエクスプレスさゆり」を選んだ。他の渡船が早い時間帯に西磯をすべて押さえてしまうのではないかと不安になっているのだ。29日(金)は中潮で予報は晴れ、気温がかなり上昇するらしい。波は1.5m〜1mの予報。更に、30日(土)は潮回りは小潮で予報は雨マーク。ピーカンの日よりも雨が少々降った方がいい。今回は雨に


いざ手打へ出発!
期待することにしよう。午後11時半に人吉市を出発。高野釣具店で2日分のエサを購入し、暗黒の国道3号線をひたすら南へ下ると午前1時半頃阿久根港に到着。6名の釣り客を乗せたさゆりは予定の2時半よりも早い午前1時50分に港を離れた。4月の新学期の疲れがあったのか2人は早くも眠りにつきあっという間に到着を告げるエンジンの減速で目が覚めた。さゆりはゆっくりと手打港に入り、乗り換えの地元の渡船「久丸」の横につけた。
朝まずめゲット 尾長と思ったのに!

午前4時過ぎ、まだ辺りは暗く漁協のライトが幻想的に港をライトアップしている。「荷物ばのせて」といきなり暗闇の中から久丸の沖瀬船長が登場。早速荷物を積み替え、午前4時半ごろ手打港を出発した。月明かりで手打港出口付近の磯とその後方の沖堤防が見える。さあ、右か左か、どっちなんだ。左ならがっくりの東磯。右なら西磯の可能性が残されている。船はゆっくりと右へ舵を取った。何とか第一関門突破。「この後に花見瀬というポイントがあるんですよ。」とuenoさんに知ったかぶりの説明をしていると、船は花見瀬に達するまもなく更に右に舵を取り手打港を出てすぐの地よりの磯に向かっていた。あれっ、もしかして。「上物の2人準備して。」いきなりトップバッターは我々だった。瀬付けを開始、波もないためなんなく渡礁を済ませ、船長のアドバイスに耳を傾けた。「ここはあまり乗せないところだからね。撒き餌をいっぱいして。裏がポイント。タナは竿1本だよ。昼頃瀬替わりするから準備しとって。」そうマイクで言い放つと船は中のオサン方面へと走っていった。

今日はかなりの客がいるらしい。西磯はともかくも中のオサン瀬方面さえも行けないんだから。やはり、串木野港から出港する「ナポレオン隼」や牛深からやってくる「クイーンパートナー」がA級ポイントを押さえてしまったようだ。しかし、1日釣りの客がほとんどであろうから、昼過ぎからは本命の場所に移れるだろう。しばらくはこの無名磯で遊ぶことにしよう。月明かりの中、我々はゆっくりと撒き餌の準備を始め、仕掛けを作り始めた。仕掛けを作りながらどうもさっきの船長のアドバイスが気になって仕方がない。「タナは竿1本」の言葉がどうも気になっているのだ。今までこの手打で釣れたタナはすべて1ヒロ半から2ヒロくらいなのだ。水温も18度とメジナの適水温になっているのだから何でそんなにタナが深いのかがわからない。海に異変が起こっているのではないだろうか。2ヒロ固定で行こうと思っていたのに計画を変更せざるを得なくなった。まずは遠矢グレBB小で様子を見ることにした。

撒き餌を間断なく30分間続けて午前6時、いよいよ第1投。遠矢グレが蒼い朝靄の中を切り裂いてポイントへ突き刺さった。竿は離島バージョンのプロデュース強豪2号に朝まずめだけ尾長を意識して道糸4号にハリス2.75号をチョイス。タナは3ヒロから釣り始め、エサをとられる竿1本にまで入れていた。潮は動いてない。満潮が午前9時過ぎだから上げ潮を釣ることになる。釣り始めて30分魚からの反応が出始めた。そろそろかなと期待していると、遠矢グレのトップがわずかに押さえ込まれた。瞬間合わせを入れるといきなりの竿を絞り込む相手とのやり取りが始まった。しかし、引きは始めだけで浮いてきた魚は赤い。オジサンが初めての訪問者だった。やはり竿1本だった。魚からの反応に一安心。オジサンが釣れるということは、やはり潮はゆっくりと手前に当たってきている。30m先に小さなかぶり瀬がありそこにいるであろうお魚さんを引きずり出したいのだが、その辺に遠投してもみるみるうちに手前に仕掛けが戻ってくる。

しばらくは我慢の時間かな。そう考えているといきなり道糸がものすごい勢いで走り竿が絞り込まれていった。「何だこいつは!太いぞ。」体制を立て直す間もなくバラシ。2.75号ハリスが持たなかった。頭に血が上り目が覚めた。ハリスを4号にあげ再びトライ。その隣で今度は上野さんの竿に何者かが当たってきた。強い引きだが何とか浮かせたところで、「あー!」と上野さんの落胆の声が。尾長かもと近づいてみるとずっこけた。50cmをこえるウスバハギだったのだ。でも結構うれしそうなuenoさん。「こら食わるっとな。」とクーラーにその魚を納めた。

おいっ いいかげんにしろ!ウスバの猛攻に苦戦

竿を折ってくれたウスバくん

実はそのウスバを皮切りにポイントはウスバまみれになってしまった。こいつらは鋭い歯を持っておりウキに近づいては道糸やハリスを食いつくというとんでもない癖があるのだ。これで美味しいならいいのだが、私はあまり好きな魚ではない。できれば遠慮したい魚だ。また、こいつらが元気なときは決まって潮が悪い時が多い。撒き餌での分離を試みるがだめだ。いい感じでウキが消し込んだ。よしっ、と魚をかけるといきなりのバラシ。チモトを見るとハリがない。運良く魚をかけてもギラリと白く平べったい魚体にずっこける。またまた魚をかけたがウスバだ。uenoさんもこいつのおかげで新調したウキを2つ失っていた。

uenoさんお気の毒にと声をかけると今度は自分にも不幸がやってきた。ウスバをかけた私は、玉網入れが面倒なのでオートリリースしてくれなかなあと遊んでいると、ボキッと信じられない出来事がおこった。安価のわりに使い良さで私の寵愛を一身に受けて頑張ってきたダイコーの強豪2号が真っ二つに折れてしまっていたのだ。ああ悔やんでも悔やみきれないこの痛恨の一撃。満潮近くとなり潮が止まる頃、釣り座の確保もままならぬ中、ウスバの猛攻になすすべなく磯の高台にへたり込んでしまった。だからピーカンの日はいやだったんだよ。泣き言を吐く我々に更に追い打ちをかけるように不幸がやってきた。信じられないことだが、手打湾方面から何やら赤いペンキのようなものが流れてきたのだ。もしかして。そう、これが生まれて初めての赤潮との遭遇だったのだ。赤潮とは海水面でプランクトンが異常発生し海水の色が赤色に変色する現象だが、これは魚にとっては死を意味する恐ろしい環境なのだ。このところの真夏のような日照りで急に海水温が上がり、潮周りも小さく潮があまり通さなくなったことも手伝ってか海水の富栄養化が急速に進んだらしい。西側からやってきたこの赤い悪魔はみるみるうちに広がってきた。ポイントとなる場所は赤潮まみれ

赤潮だ やばい

堤防への瀬替わりを目撃 いかに悪条件かわかるでしょ

に。赤潮は瀬替わりの客も同時に運んできた。手打の地元の渡船、久丸、ナポレオン隼たちが次々にたくさんの瀬替わりの客を乗せて走り回っていた。好天に恵まれたこともあり、おびただしい釣り客を磯に乗せているのだが、赤い悪魔でポイントが次々につぶれていったらしい。最後には沖堤防にも乗せていた。そこの沖堤防も赤潮が支配していたというのに。赤潮の中、絶望感とともに釣りを再開するが魚は口を使うはずはない。あれほど隆盛を極めていたウスバも消えてしまっていた。

ごろ寝をしながら無名磯でのんびりと過ごしていると、午後1時過ぎになって久丸が瀬替わりやってきた。ホッとして船に乗り込んで次なる磯に期待に胸膨らませていると赤潮の全貌が明らかになっていった。しばらく進んだ場所にある花見瀬も赤潮まみれ。中のオサン瀬と地のオサン瀬の水道も赤潮が。そしてその赤い筋は憧れの西磯方面へとつながっていた。どこに乗せられるのだろう、というより釣りが出来る場所があるのかな。船は中のオサン瀬の水道を過ぎると手打湾方面に向かって右へ旋回しはじめた。えっ、もしかして黒瀬?その通り船は黒瀬に向かっていた。さっきまで乗っていた磯の山を越えた丁度反対側にあたる磯だ。過去に2度ほど乗せてもらったことがある。一昨年6月の梅雨グロでは潮が動かずエサ盗りの猛攻で惨敗。昨年の11月の秋グロで何とか5枚とあまりいいイメージのない磯だった。

1日釣りの客との入れ替わりだ。船長が数ある磯の中でここを選択したということは、それだけ期待がもてるということだよね、と自分に言い聞かせていた。キザクラのテスターの方々が荷物をあげるのを手伝ってくれた。「どうでした。」「だめっ。」とその方は手を顔の前に持ってきて4,5回ふって見せた。でも、それでどうだったか確信はもてない。うまい人たちはだめといっても最低10枚は釣っていたということがあるからだ。「5時半に迎えにくるから。裏もいいよ。うねりがあるから気をつけてな。」と船長は言い残して去っていった。ここは、先端に鼻があり適度なサラシが出来ている。赤潮もないし、さっきの場所よりは期待が持てそうだ。撒き餌をしても魚は見えない。ここもタナが深そうだ。船付き側が私、裏をuenoさんがとった。サラシがきついので中々仕掛けが入らない。そこで、遠矢グレを諦めて釣研トーナメント弾丸の0号をスルスルにして、クッション水中ー0号や小粒のウキ0号を当たりウキにし潮の複雑な変化にも対応出来るようにした。

昨年釣れたポイントをねらって1時間が経過。魚の反応を感じているといきなり道糸が走った。何だ太いぞ。しかし、痛恨のハリス切れ。道糸2.5号にハリスを再びあげて2.75号にかえ、さっきと同じポイントを探った。潮が左の地寄りへ当たってきていたのが、中のオサン瀬方面へと走り始めた。何かが変わるかもと思った瞬間、やはり道糸に変化が現れ、半信半疑で合わせると再びギューンと竿を絞り込んだ。今度はさほど引かない。浮かせると、やったね。灰青色の小降りの魚体がばしゃばしゃ跳ねていた。慎重に玉網で掬った。本日1枚目ゲット!30cmにみたない魚だったが、うれしさは格別だ。今日は魚の姿を拝むことが出来ないだろうと思ってたからだ。潮は最悪なのに綺麗なエメラルドグリーンの体色は健在だった。700gのクロをもう一枚追加しホッと胸をなでおろした。uenoさんもこれで闘争心に火がついたらしい。さっきはずんだれ気味で釣っていたのに栄養ドリンクを飲む以上に元気になった。

黒瀬に瀬替わり やっとで形見

ueno氏の闘争心に火がついた

その後、さっきの潮は一瞬の出来事だったようで、再び当たり潮に戻ってしまった。すると、今度は裏のuenoさんの釣り座に変化が起こった。潮が西磯方面へと走り出したのだ。そのチャンスを逃さず良型のクロを2枚ゲット。やはりタナは竿1本。厳しい状況の中、何とか魚を手にし黒瀬を後にした。

夏の陽気に2人とも日焼けで真っ赤に。手打港につき、迎えに来てくれた旅館「竜宮の郷」の送迎バスに乗り込んだ。途中、釣りバカ日誌のロケ地の看板やおふくろさんの歌碑の横を過ぎて車は走った。歌手の森進一のお母さんがこの下甑島の手打出身だそうだ。しかし、観光をする暇もなく砂浜海岸をしばらく走ると旅館に到着。とても綺麗な施設で釣り客が泊まるにはちょっと贅沢かなと思うほどだった。1泊1食で(朝食はなしにした)7000円だった。お風呂のお湯は海底深層水だそうだが、入ってみてもそれはどう味わってもただの海水としか思えず、私にはその違いがわからなかった。風呂から上がって7時半前に待ちに待った夕食だ。お造り、トコブシ?と巻き貝、イカの酢みそ和え、海の幸のたき物、クロの照り焼きなどが食卓を飾った。特に美味しかったのは、クロの皮の湯引きだった。思わず従業員のおばちゃんに作り方を尋ねた。ただ湯引きしてポン酢で薬味と混ぜ合わせるだけだそうだ。それだけでこれほど美味しいものができるのは驚きだった。

uenoさんはアルコール分解酵素が少ないのでコップ3杯でギブアップ。私は、調子に乗ってビール2本と焼酎のお湯割り2合も飲んでしまった。満足!程よい良い加減で部屋に戻り、8時半には熟睡に入ったらしい。uenoさんは私のいびきであまり眠れなかったようだ。明日はどうかお魚さんに会えますように。天気予報は待ちに待った雨マーク。雨さえ降れば赤潮は消えるはず。雨よ降れ降れと念じてさかなの夢を見つつぐっすり眠り朝を迎えた。

午前4時過ぎ起床。旅館を静かに出て下へ降りると小泊港が見えてきた。ここに久丸に迎えに来てもらうことになっているのだ。すると、暗闇から船長登場。昨日の釣りを振り返った。「西磯には行けますかね。」「今見てきたんだけどね。空いているのは灯台下のところだけだったね。一応行ってみようかね。昨日は型が見れたな。」「2人で3枚。」「型見れたらいいほうだよ。昨日も1日釣りで乗せた客の10人で釣れたのは1枚だったからね。西磯よりもかえって昨日の黒瀬の方がいいかもよ。」船は午前5時、港を離れた。船はどうやら西磯へと向かってるようだった。手打湾の出口付近にある小さな磯の前で減速した。依然乗ったことのあるシモオサン瀬であった。しばらくの間、船はその瀬の近くで泊まっていた。うねりが予想以上に入ってきていて適度なサラシができているように思えた。瀬付けすると思いきや船は西磯方面へと走り始めた。今は最干潮、それであの状況では危険という判断なのだろう。

手打湾を出てすぐのところに唯一空いていた灯台下とハナレのポイントのある地点で減速した。ここもうねりは予想以上で、さっきのシモオサン瀬よりも悪いコンディションに感じた。しばらく考えた船長も意を決したか、船を反転させ手打湾方面へとエンジン全開。中のオサン方面で左へ急旋回。やっぱりそうかと、黒瀬に瀬付けをはじめた。「ここが午前中は潮がいいからがんばってな。雨が降り始めて時化てきたら、回収するから荷物をまとめとって。」船長は去っていった。午前5時半をまわってまわりはすっかり明るくなっていた。空を見上げると、曇ってはいたがまだ雨がすぐに降り出しそうな状態ではないようだ。撒き餌をつくりながら、釣り座の選択を行う。「kamataさんがえらびない。」前日厳しい状況の中2枚の良型をあげているuenoさんはこう言ってくれた。選ぶ権利を得たが、実はとても難しい選択だった。10時過ぎが満潮でうねりもあるので下の段に降りられない。よって、表側も裏側も1人ずつということになる。本当は昨日良型が釣れた裏側でやりたかったが、生来のあまんじゃくの性格がじゃまをして、「こっち(表)でやります。」と言ってしまった。

竜宮の郷の料理 クロの皮の湯引きがうまかった

さあ勝負だ。撒き餌を続けたが、相変わらず魚は見えない。仕掛けは、竿メガドライM2 1.5ー53にプレイソ2500番に道糸2.5号。始めは遠矢グレを使っていたが、小粒当たりウキを装着した全遊動にした。寒グロと違い、魚のタナは一定していないようで、そうならば、撒きエサとつけエサを長い時間合わせられる全遊動のほうが今日については有利なのではと考えたからだ。uenoさんも同じ考えのようで、ただ私との違いはウキを00号にしていることである。ウキを完全に沈めていく作戦のようだ。潮は動いているようだったが、仕掛けを回収すると底潮はあまり動いていないようで、表層だけがすべっているようだった。

今日も難しい釣りになるなと視線を左側の地寄りに移すと、何と昨日の赤い悪魔がいた。おい、やめてくれ、雨よ早く来てくれ!と念じた。すると願いが通じたのか午前7時になると急に空が暗くなり予報通り雨が降り出した。天の助けだ、赤潮は一瞬にして消えてしまった。ところが計算違いだったのは、低気圧は雨だけでなく赤潮よりこわい裂空の訪問者を連れてきたことである。ピカッ!そしてしばらくしてゴロゴロと雷鳴が下甑島に轟いた。落雷の直撃を受けてはたまったものではない。稲妻と雷鳴の関係から雷雲はまだ遠いように感じたが、もしもということもある。生来の臆病者の私は避雷針と化した竿を置き、雷が去るのを待ち続けた。uenoさんはかまわず釣り続けている。この辺が釣果の差となっているのかも。

さて午前8時頃になると雷も峠は越えたようで再び釣り始めた。竿をおいている間も撒き餌だけは切らさないように気をつけた。休んでいた間、潮が沖へと払い出すようになった。チャンスかと期待していると、海面下50cmを漂っていた釣研全遊動XD0号が消し込まれ、その瞬間道糸が走った。一気に足下に突っ込んだ敵を何とかいなしながら慎重に浮かせると、黄色い魚体がチラッと見えた。がっくり、浮いてきた魚はヒブダイだった。タナが深すぎたかな、とクッション水中ー0号から小粒当たりウキ0号に替えてトライ。今度も道糸が走った。ずんと重いあたりだ。しかし、バラシ。チモト切れにウスバの気配を感じた。黒瀬の鼻の先端をかすめて沖へ動いている本流で勝負したいのだがサラシが強く中々思うところに仕掛けをコントロールできない。そうこうしているうちに本流は再び当たり気味になりチャンスタイム終了。逆に、裏側の磯で本命潮が走り出した。手打方面へ斜めに走る潮だ。案の定、uenoさんはクロを3枚ゲット。40オーバーの尾長を玉網寸前でバラすという失敗も笑い話にするほど調子が戻っていた。

私は裏側のいい潮を見て我慢できずに「こっちで釣らせてください。」とお願いしてしまった。快く許してくれたuenoさん。早速、仕掛けを流していると、第1投から道糸が走り魚をかけた。手前に突っ込んでくるこの引きは間違いなくクロだった。2.25号ハリスの太仕掛けにものをいわせて浮かせ玉入れ成功。800gの口太だった。uenoさんありがとう。これで家に帰れます。そうこうしているうちに潮が変わり魚からの反応が途絶えた。すると今度は再び雷が襲ってきた。ピカッ、ドッカーンと明らかに雷雲が近い状況に2人とも竿を放り出して磯の斜面にうずくまった。こんなところで雷に打たれたらしゃれにならんですわ。うずくまっていると午前10時半ごろ久丸が近づいてきた。回収かと思ったが「瀬替わりするから準備して。」だった。船はそのまま地のオサンの上物2人と中のオサンの底物3人を回収し手打港へと帰ってしまった。闘う男磯釣りしたちも陸にあがってしまうとみんな急速にモチベーションが下がっていった。「これでやめましょうか。」底物の1人が切り出すとみんなもうなずきこれで終了となったのであります。雨よ降れとはお願いしたが、雷まではお願いしなかったぞ。

2日間でクロ3枚 自然には勝てないね

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