12/25 ガラスの唇 硫黄島

再び魚の楽園 硫黄島へ
今年の12月の天気は荒れ模様。12月に入った途端に南国人吉でも雪がちらつく天気に。キラキラと笑いながら雪合戦に興じる子どもたちの横で、溜息をつく磯釣り師たち。当然海は大時化だ。前回の12月10日は奇跡的に天候が回復し何とか釣りができたものの、再び天気は下降線。この冬一番の寒気団が日本列島を襲った。マイナス30度をこす寒気団にすっぽり覆われたこの国では、北日本を中心に各地で甚大なる被害をもたらした。

人吉でも21日から降り出した雪の影響で人吉・八代間の高速道路が寸断された。「12月にこがん(こんなに)雪の降るこつ(こと)はなかったですもんなあ」と大正生まれの地元のおばあちゃんが溜息混じりに呟く。22日は学校では終業式。子どもたちは観測史上初めてであろう12月の平野部の積雪に戸惑いながらも無事に登校できほっとする。 
         
ところが、熊本よりも更に激しく雪の降った南国がある。お隣の鹿児島県である。これも12月の観測史上初めてという、平野部で11センチの積雪という記録を打ち立てた。雪の備えになれてないことを裏打ちするように、高速道路の復旧が遅れた。22日は九州自動車道の植木から鹿児島まで通行止めだが、大抵のところは23日の朝には復旧した。ところが、最後まで復旧が遅れたのは鹿児島県の高速道路だったのだ。

23日の朝、うちのかあちゃんと息子を空港まで送るのに高速を利用しようとするが、えびのから通行止め。しかたなく国道を通るが、風景を見てびっくり。これが鹿児島県?とは思えない、まるで北の国からの風景が続いていた。チェーン規制もわかる気がする。高速道路を通れば、所要時間50分の行程を2時間もかかってしまった。気象庁の長期予想では、今冬は暖冬ということだったのに。異常気象と騒ぐ人もいるが、自然にとっては地球の歴史という長いスパンでみると「ゆらぎ」の範囲なのかもしれない。我々は、自然に逆らうことはできない。というより日本人は昔から「天人合一」(てんじんごういつ)といって自然と一体になりたいという独特の自然観を持っていた。自然の状況にあわせて生活するほかないのである。

日本人の世界観である「天人合一」という思想は、西洋にはみられないそうだ。西洋人は、例えば家畜などの動物に対してどうしても人間より下等の存在であるという見方をしている。フランスなどの市場へ行くと動物の頭などが無造作に店頭に並べてあるらしい。つまり、人間とそれ以外の動物に対して一定の距離があるそうだ。

魚釣りも職業で魚を捕ること以外では、ゲームフィッシングから始まった。だから、釣りが盛んなオーストラリアでも、釣りの最大の対象魚は「鮫」なのである。つまり、引き味が釣りの最高の要素であるというのだ。それに対して、日本ではそれとは明らかに異なる面を持つ。私たち釣り師の多くは、引き味よりも「食べるために釣る」要素が強いのではないか。引き味を楽しみながら、釣った魚を調理して美味しくいただく。これは釣り人ならではの特権であるはず。

だから、日本では、当然鮫は釣りの対象魚とはならなかったのもうなずける。私は釣りを始めるまで料理などあまりすることはなかったが、釣り人ならではの特権に気づいた以降は、釣った魚を調理してそれを食べてくれた人が「美味しい」と言ってくれることが今では私の最大の喜びとなったのだ。

そこで、この時期に、釣り師の喜びである釣り味と食味の両方を満たしてくれる釣り場がある。鹿児島県三島村硫黄島である。硫黄島は、黒潮が流れる三島村の3つの島(黒島・硫黄島・竹島)の一角をなしている。その名の通り、島の至る所が硫黄だらけで、その島の象徴とも言える硫黄岳は絶えず荒々しい噴煙を上げ続けている。釣りをしていてもいつ火山性地震が起こり火砕流などが発生するかわからないと心配になるくらい、荒涼とした風貌だ。

硫黄島の前は鬼界ヶ島と呼ばれていたそうだから、まるで流刑のための孤島というイメージがする。実際、俊寛という僧が流された場所でもある。安徳天皇陵もあり、源平の合戦末期の壇ノ浦の合戦で海に身を投げたのは実は身代わりで、本当の天皇は平家の落人のようにここ硫黄島まで逃れてきて住み着いたという話が残っているそうだ。真偽の方は定かではないが、それだけ夢とロマンの詰まった島ということができる。

しかし、硫黄岳という島の象徴とも言える山は、そこに住む人や訪れる人を拒み続けてきた。一昔前までは、この島を訪れるには、10日間に一度出航するという船の定期便しかなく、時化やすい時期になると、1ヶ月間も往来ができなくなることもあったそうだ。リゾートブームの中で、この硫黄島にも開発の波は押し寄せ、まずは飛行場だけがつくられた。だが、リゾートの計画は中途の段階で頓挫し、飛行場だけが残った。しばらくの間は、ある小さな航空会社が枕崎からのチャーター機を硫黄島空港まで飛ばせていたが、それも2,3年前に途切れてしまった。今ではもう体験することができない硫黄島までの貴重なフライトに関しての記録が実は残っている。椎名誠の「笑う風 ねむい雲」(晶文社)によれば、こうである。

我々の目の前に現れた飛行機はセスナの四人乗り。それぞれの体重を計り、席のバランスを作り、荷物はもうぎりぎりの重量だった。島までは30分から25分程度。近づくにつれてセスナが揺さぶられる。乱気流がゴンゴン出てくるのがわかる。ふと横を見ると私の隣のパイロットが額に汗を浮かべているではないか。「あの島は、乱気流が荒いので大変なんです」とパイロットは言う。島に近づいて行くにつれてその滑走路が高い岩壁の上に見える。それが実に心細いほど狭くて短いのを知る。機首をさげてどんどん近づいていくが、崖の上にすぐ滑走路が作られているのでまるで航空母艦に降りていくようだ。ぐんぐん機首を下げて降りていく途中、崖の下から吹き上がってくる風が機体をぐわんとあおる。降りていった飛行機があおられて少し傾く。こういうのは素人にはひやりとする。しかしプロのパイロットもさらに額の汗を増していたようだ。うひゃー、とこちらも汗をじっとり浮かべながら、しかし何とか着陸。着いた時にやはり全員が拍手してしまった。パイロットも拍手している。いやはや。

硫黄岳はプロのパイロットにも汗をかかせるほどの自然条件を作り出していたのだ。さらに、この島が人間を拒む条件として、島の人が言う「酢の雨」が決定的だ。常に硫黄分を含んだ噴煙を上げるこの島では「酢の雨」という酸性雨が降るという。そのために農業をすることが困難で、植物もあまり自生せず、不毛の地に近い状態になるそうだ。

そんな硫黄島だが、海の中は生物の楽園だ。長い間の火山活動の中で造られた起伏に富んだ地形は、魚の格好の住みかとなり、日本列島に豊かな恵みをもたらす黒潮の影響もあいまって魚の楽園をつくっている。その硫黄島で天人合一の自然観を味わうべく、初冬に渡り鳥のようにやってくる引き味と食味を兼ね備えた魚「シマアジ」との出会いを求めて、硫黄島までの航海を快適にサポートしてくれる黒潮丸に連絡を入れた。長い間人間の進入を拒んできた硫黄島だが、この釣り人の来島をしばしの間あたたかく受けいれてほしいものだ。


100年振りの大寒波の余韻 九州自動車道 横川付近

青物ねらい第2弾
12月10日の釣行以来、出航できたのは、20日だけと聞く。21日から22日にかけて大雪を降らせた大寒波は、次第に緩んできたものの海上の波は6mから3mまで落ちてきたが、釣りができる条件にはほど遠かった。当然23日、24日の硫黄島釣行はキャンセル。24日の予報は3m。鹿児島の渡船の中で最強の「蝶栄丸」に電話するが、「朝に集まって海の状況を見てから、判断することにしてます。でも、正直言って、やめたほうがいいと思うけどね。いい釣りはできないと思うよ。」船長にこう言われちゃあしょうがない。25日にかけることにしよう。

12月25日(日)小潮3日目。天候は晴れ。波高1.5m〜2mと問題なし。うまいことに3連休の最終日についにポセイドンからの許可が下りたようだ。「出ますよ。3時に集合してください。」船長の声にも元気が戻っていた。今回はひとりでの釣行なので、前日からゆっくりと枕崎に入り、格安のビジネス旅館(一泊夕食付きで4000円)に泊まる予定だった。

午後1時頃、私の携帯が鳴った。uenoさんからだ。uenoさんは、この3連休は部活のサッカー大会で参加できないはずだった。ところが、予定どおり天候不良による延期もなく終わったので、25日は体が空いたとのこと。ひとりで釣るよりも2人で釣る方が楽しいのでよかった。かくして、あやしい釣りバカ2人組は前回のバラシ劇へのリベンジにと、それぞれの道程を経て、午前2時半に釣り人のロマンを叶える基地枕崎港へと到着した。

釣り客は総勢20名近くにふくれあがっていた。底物師と上物師の割合は、7対3くらいか。この割合は、クロ釣りの本格シーズンが近いことを表していた。大量の荷物を船に積んで、キャビン内へと入るが、これがかなり窮屈だ。上の段に7人、下の段に9人ほどがおっさん同士体を寄せ合って横にならなければならなかった。離島の夢ステージに魅せられた九州各地から集まった男たちが、3連休の最後の日に最後の夢を追いかけてここに集結した。数日間の時化でかなり水温が下がっているだろう。急激な水温の低下は魚の食い渋りの原因となる。また、時化のため釣り人の餌が長い期間入っていないという好条件も予想できた。潮まわりは前回と同じく最も潮が動かないであろう小潮の3日目。さて、今回の硫黄島は我々にどのような答えを用意してくれているのだろう。

そんなことを想像しているうちに、キャビン内の照明が消された。いよいよ出航だ。午前3時半、定刻通り黒潮丸はゆっくりと港を離れた。エンジン音がいつものように枕崎港を離れると高速回転になる。それとともに我々の心臓の鼓動が呼応するように速まっている。いつも思うことなのだが、釣りに向かうときが釣りという業の中で最も幸せなときではないか。このときだけが、どの釣り人にも平等に釣りのすばらしさを味わわせてくれる。時は12月25日、うさんくさいおっさんたちばかりの狭い空間だが、ここには釣り人のロマンに満ちあふれている。船上のメリークリスマスというところか。
そんなおやじギャグをとばしながら待つこと90分、いつものように鵜瀬の近くでエンジン音が緩やかになった。


「今度はバラさんでよ」と船長のげきが飛ぶ

キャビン内に顔を出して船長が誰かを呼んでいる。「○○さん、鵜瀬と平瀬とどっちがいいですか。」黒潮丸の船長は客の要望に事細かに対応してくれる。アドバイスも的確だ。「○○さん、上げ潮だからね。一番右端にたってそこから流してよ。尾長がくるから」何?尾長?黒潮に乗って産卵のためにやってくるワカナ(デカ尾長)がこの数日間の寒波によりもうやってきたというのか?

そう言えば、ある南の島では、この寒波の影響で熱帯魚が死んでしまったという。未だに人間界の暦の影響で、青物ねらいでやってきた自分たちだが、自然界の掟では確かにもう尾長の産卵の暦になっているかもしれないのだ。鵜瀬の渡礁の後は、平瀬だ。「尾長はそこから流して、昼は裏で。クロのポイントは知っているよね」と船長のアドバイスは続く。さらに、船は5分ほど走り、エンジン音が緩やかになった。我々の名前が呼ばれた。タジロに着いたらしい。

凪ぎで風裏ということもあり何なく渡礁を済ませた後で、船長のアドバイスを待った。すると、「今度はバラさんでよ。」だって。前回の12月10日に良型の青物の来襲に幾度となくバラシ劇を演じたことを覚えてくれていたようだった。いつものように短い言葉で釣り人のモチベーションを高めてくれる。この船長の人柄がたくさんの釣り師を集めているのだなと改めて思うのだった。


早くもうんこ座りの上野さん

さて、今回の対象魚はシマアジなどの青物だ。前回は、シマアジ、スマガツオ、ナンヨウカイワリ、ムロアジなどがぽつぽつ釣れた。イスズミの活性も高かったので水温が高い中での釣りだった。今回は、熱帯魚までも葬り去ったという大寒波の後だ。尾長がすでに回ってきているかもしれないという水温(20〜21度)にまで下がった中での釣りとなる。魚の活性を心配しながら撒き餌と仕掛けの準備に取りかかった。夜釣りは石鯛竿に真空おもり15号、ワイヤーハリス37番でぶっ込みだ。ねらいは、アラの子だが、この水温では厳しいだろう。

私の左隣にはuenoさんが釣り座を構えた。例によって極太カンパチ竿に2号の浮き釣りで勝負だ。潮は相変わらず動いていない。心なしか手前に当たってきているようだ。上野さんは竿1本から2ヒロの間を探っているが、餌も取られない。例年なら12月とはいえ、餌盗りのアカマツカサなどが活発なはずだが、今回はその気配さえもない。「尾長がおるかもしれん。」と、始めは期待に胸を膨らませて釣り始めていたuenoさんだが、開始30分ですでにうんこ座りのあきらめモードに入っているようだった。

午前6時前、瀬際でゆらゆら漂っていた電気ウキが一気に消し込まれていた。強烈な獲物との格闘が始まったが、浮いてきた魚をみてがっくり。50cmを裕に超えるイスズミだったのだ。水温の急激な低下はイスズミの活性さえも奪ってしまったようだった。ぶっ込みも当たりすらなく、我々2人はなすすべなく夜明けを迎えるのだった。


潮が動かんのお

ガラスの唇
今日は、干潮が7時半、満潮が午後1時50分でこれから上げ潮を釣ることになる。前回は上げ潮になり、魚の食いが活発となったことに希望をこめて昼用の仕掛け作りに入った。竿はダイワマークドライ3号、道糸5号、ハリス5号。ウキはグレックスkama2Bに潜攻ストッパー、タナは3ヒロから釣り始めた。

最初は、魚を浮かせようと、また、集魚力を高めようとキビナゴの撒き餌を細かく砕き間断なく撒き釣り始めた。「あたりあるね。餌はとられるね」とuenoさんが盛んに聞いてくる。かなり喰い渋ってるようで、魚の気配はあるものの、食い込みには至らない。餌
をくわえても魚が違和感を感じるのか離すという状態が続いていた。できるだけ違和感をなくすコンセプトで仕掛けを変えていくが、喰い渋りの状況は変わらない。遠矢グレFZ、2段ウキの固定仕掛け、ツインセンサーとあらゆる手をうつが一向に当たりが拾えない。潮が動けば、魚の活性が上がるはずと仕掛けを始めの状態に戻し干潮の潮止まりに朝飯タイムで休憩を入れた。

上げ潮が少しずつ流れ始めた。よし、何とか喰わせるぞ。始めは、違和感をなくそうとウキを沈め気味にして流していたが、どうしても当たりが拾えない。そこで、2Bの浮力にガン玉Bのみで調整し、今度はウキを完全に浮かせて当たりをとる作戦に切り替えた。これといった確信があるわけではない。押してもだめなら引いてみなの格言を実行したまでだった。付け餌が先行するように道糸を張ったり緩めたりしながら流していくと、ウキに前当たりが出て、喰い渋りのそれとは明らかに違うスピードで消し込まれていった。

慎重に道糸に変化が表れるまで我慢して合わせると、ついに竿が魚の動きをとらえたのだ。始めの引きは強烈だったが、竿をゆっくりと立てると3号竿のトルクであっという間に魚は浮き始めばしゃばしゃとはねている。よっしゃ、シマアジだ。30cmの塩焼きサイズだが本命には違いない。時計をみると8時を回っていた。今日も難しい釣りになりそうだ。9時近くになると、撒き餌が効いてきたのか、魚からの反応もしくは当たりと思われるウキの消し込みが多くなってきた。

ところが当たりが中々拾えない。0号や00号の軽い仕掛けで頑張っているuenoさんだったが今だ魚を掛けたのは50cm近いブダイのみであった。午前9時前、いつもより早く黒潮丸が状況をのぞきにやってきた。「どう?釣れてる?回収まで来なくていいよね。1時15分頃迎えに来るから準備しといて。」黒潮丸が去った後、午前10時までに、私は何とかさっきのパターンで厳しい中でもカスミアジ2枚と33cm位のシマアジを1枚あげて休憩に入った。

「どんな仕掛けな」未だに本命を掛けることができないでいるuenoさんが聞いてきた。2BのウキにBのガン玉で半遊動でウキを浮かせて釣ったことを言うと、不思議そうな顔で「何でそれで釣れるとかな?」と首をかしげているようだった。道糸を張って緩めるという動きが魚にとっては絶好の誘いになっていたのかもしれない。いやもちろんもっといい方法があったに違いないが。

uenoさんもこれを実行にうつすと魚が反応し始めた。40cm近いムロアジをゲットした後、シマアジを1枚釣り上げた。ほっとするuenoさん。でも今日は相変わらず潮が動かんなあ。潮がよくないことを告げにきたように、時折ウミガメが浮いてきてuenoさんの仕掛けを脅かしている。また、うるさい餌盗りウスバハギやダツも御目見得だ。海を観察すると、水温が低いことを示す緑っぽい色なのだが、その色がだんだん濁ってきたようだ。

うん、濁ってきたと言うことは魚の警戒心が薄れるということかな?魚の活性も上がってきたことだし、タナを2ヒロに浅くして釣り始めた。するとこれが大当たり。誘いを掛けながら流していくと次々に30cm〜35cmのシマアジが連続して当たってきた。タナも合っているようでヒラマサ10号が見事に地獄に掛かっていた。しかし、シマアジを合計8枚釣ったところで魚も学習するのか徐々に食いが浅くなり、バラシが多くなった。そして、一投ごとに当たりはあるものの、ついには9連続バラシという輝かしい記録を達成。

シマアジは口が切れやすいので、唇に掛かった魚は、ほとんどがやりとりの最中にばらしてしまうのだ。まるでガラスの唇だ。ならば魚が飲むようにと相手が走るまで合わせるのをウキが見えなくなるまで待って合わせるのだが、やはり唇に掛かり唇が切れてしまう。どうしたらいいのだろう。それからというのもとれるのはイスズミだけとなり、12時過ぎの小ぶりの9枚目のシマアジをゲットした後納竿とした。ここは、満潮間際がよく釣れるようだ。タジロよ楽しませてくれてありがとう。ポセイドンに感謝しながら、磯の掃除もままならぬ間に黒潮丸が10分早く迎えに来たので船内に飛び乗った。


さようなら タジロ瀬 今度は夏に会いましょう


回収の途中で 新島と竹島


一度は乗ってみたい 浅瀬

さあ次回は尾長の季節だ
いつものように、港に帰って釣りを振り返った。みんなのクーラーを運んでいるとき、底物師のクーラーは総じて軽いものが多かったが、中にはとてつもなく重いクーラーがあった。さて、今日の硫黄島の釣況はどうだったのか。道具を運んでいると、黒潮丸の船長が早速声を掛けてきた。「kamataさん、尾長が釣れたよ」えっ、もぅ釣れたの?早速、クーラーを自ら開けた釣り師のそばに寄った。

その人は地元の人らしく、尾長2.7kgを筆頭に3枚、口太28枚でクーラー満タンの釣果をたたき出してた。「どこで釣れたんですか?」「鵜瀬だよ。この寒波で水温が急激に下がって尾長が回ってきたんだよ。この人の連れ3人でそれぞれ30枚ずつ釣ったよ」と久しぶりの硫黄島の実力発揮に船長の声も心なしかうわずっているように思えた。いいなあ。そうかあ、もう季節は尾長なんだ。

「kamataさん、今度はクロをやろうよ。もう青物は終わりだね。」船長に釣果を報告し氷を入れてもらった。「おっ、結構釣ってるな」「大きいのは釣れませんでしたよ」「やっぱり水温が下がったんだよ。だから、石鯛と入れ替わってクロが釣れたんだよ。」船長の分析の通りだと思う。青物ねらいは不完全燃焼だが、季節はもうクロ釣りシーズンに入ってしまったようだ。ガラスの唇対策は、また来年にとっておくことにしよう。天人合一の思想にならい、次回からは尾長と口太釣りに全力を注ぐことにしよう。明日からまた時化るそうだ。釣りができたことを自然に感謝しながら、心は早くも次回への釣りへと向かっているのであった。


今シーズンの第1便 鵜瀬での地元釣り師の猛釣果


本日の釣果 シマアジ9枚 ナンヨウカイワリ2枚

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