2/12 7mの恐怖 枕崎

最近4点セットが世間をにぎわわせている。やっと支持率を下げつつある小泉政権の目の上のたんこぶは、ライブドア事件、耐震強度偽装問題、防衛施設庁談合事件、米国産牛肉再禁輸である。これらは、小泉改革の本質がようやく国民の前に露呈したと言えるのではないか。

彼の言う改革とはまやかしだと思う。お金の流れを「平等に」から「より勝ち組に」不平等に分配しただけ。企業の多くは業績を回復したが、それは生き残りをかけてリストラを敢行したためだ。家計は一層苦しくなり、所得格差など二極化が鮮明になっている。生活保護などを受けながら何とか暮らさなければならない人々が増えたことだろう。ところが、生活保護費は国の補助金であるため、政府の進める三位一体改革の中で、生活保護費を切るという暴挙に地方自治体は猛反発。生活保護費は何とか守ったのだった。首都圏で頑張ってきた方々を地方へを追いやり、そして、その生活保護費まで地方へ押しつけることになればどうなっていたことか。しかも生活保護費は憲法で定められた最低限度の生活を保障する国の責務のはず。しかし、そのあおりを受けて義務教育費は2分の1から3分の1負担への後退。これから税収増が見込める可能性が低い我々地方に生きる者においては正に冬の時代がやってくる気がしてならないのだ。つまり、改革の本質のもう一面は金の流れを地方に少なく首都圏に多くしたに過ぎないと思うのだった。

国の借金を減らそうと意気込んだが、減るどころか増えて行く。「民間にできることは民間に」その結果が、あの耐震強度偽装ではないか。公共性の強い検査に関してはやはり「官」の仕事だと思うのだが。なぜ検査まで民営化する必要があったのだろう。

鼻息の荒かった公務員制度改革。だが、行われるのは、地方公務員の切り捨て、人件費削減だけだ。熊本県でも来年からの4年間で、知事部局400名、教育委員会関係が700名の削減を計画。県立高校の統廃合、臨採、事務職員の削減、地域振興局の半減などが行われる予定だ。だが、国民の願いであった官僚の天下りはほとんど手つかずのまま残され、出てきた問題が防衛施設庁談合だ。改革の痛みは弱いところに降りかかるのがその改革の本質なのだ。

経済の活性化のためと規制緩和政策により台頭したライブドア。しかし、ベンチャー企業を育てようとする政策は、金さえあれば何でもできる。金儲けのためならきまりを守らなくてもいいと開き直る人々を増やす結果になったのではないだろうか。

妄信的なアメリカファンの小泉首相も米国産牛肉再禁輸問題で、いい加減で目を覚ましてほしい。アメリカは、畜産業を単なるビジネスとしか考えていないのではないかと疑いたくなる。もっと近づかなければならない国は近くにあるはずなのに。

これら4点セットについて考えていると、共通項が浮かび上がってきた。それは、すべて金儲けのために行われたという点だ。金儲けのために法律は破られ、他人のマイホームの夢を壊し、官と企業の癒着に、食の安全を脅かす。そして、金儲けのために人の命までが軽んじられる世の中になろうとしているのではないだろうか。昔から、「人はパンのみに生きるにあらず」と言うではないか。迷走する愛する日本よ。このままでいいのか。

そんな人間界の修羅をよそに、海の楽園で生命の喜びを謳歌する魚たち。その魚たちに人間界で汚れきった心と体を潤してもらいたいと願う自分がいる。六本木ヒルズよりはるかにすばらしい離島草垣ヒルズに行きたくて、上野さんが部活動の引率で行けないにもかかわらず武岡フィッシングに電話してしまった。「いいですよ。」1月末は突然の水温上昇で釣りナビの5段階評価で下から2番目の「ムラあり」だったが、おばちゃんの張りのある声でここ最近は「釣れてるな」と感じた。

草垣群島は、薩摩半島の南西約90キロの海上に浮かぶ無人島である。枕崎港からの高速渡船でも3時間はかかるというこの島は、北西の季節風が吹くこの時期は中々人間の渡礁を許さない。正に絶海の孤島である。東から南西約6kmの間に上ノ島、中ノ島、下ノ島、南ノ島の比較的大きな島と小さなハナレ磯が三日月形に点在しており、口太、尾長がこの時期にはそのどの場所でもよく釣れるらしい。南九州憧れのこの場所に行きたくて2年前の3月中旬に挑戦したが、イスズミ、ソウシハギ、ダツの猛攻に敢えなく惨敗。「口太さんは産休に入ったようですね」の船長の言葉にうなだれて帰路についたことを思い出した。このままでは今年は尾長に会えずじまいかも。そんな思いを引きずりながら、草垣にリベンジを決めることにしたのだ。

天気はというと、2月6日からの週は比較的穏やかな天候が続いていた。「週末は寒気も緩むでしょう」と気象予報士のお姉さんが全国の釣り師を喜ばせる一言を電波で発信してくれた。2月12日(日)は月夜の大潮周り。今年はこの調子で天候に恵まれてほしいなあ。前日の昼に武岡フィッシングにпB「出ますよ。夜中の12時に来てください。」でいよいよ人生2回目の草垣群島への挑戦権を得たのだ。

今回のねらいは、もちろん尾長。そして、すでに渡りのクロが入ったらしい状況での口太の数釣りである。竿は夜釣り用に石鯛竿、5号竿。昼釣りに2号竿を2本用意した。仕掛けは、夜釣りでは、1〜2号の電気ウキと、10〜20号の真空おもり、石鯛仕掛けを利用したワイヤー仕掛けを用意。それに念のため、3本の枝スをつけた仕掛けの18号ハリスバージョンと12号ハリスバージョンも準備した。

今回の釣行には1人で行くつもりだったが、前日の朝にもう1人参加者が増えた。以前、甑島にいっしょに釣りに行ったことがある上甑里のエキスパート、八代在住のK氏である。K氏は実は私が大学生の時からのつきあいだ。私の大学のN先輩が中学の数学教師となり、それでも学生の生活が忘れられないのか、仕事が終わって大学まで「麻雀すっぞ」と毎週のようにやってきていたことがあった。先輩は、生粋の雀キチでタコリーを連発することで後輩から尊敬、いや恐れられてた。(注:タコリーとはタコリーチの略で、卓を囲んでいる誰かが例えば役満などのものすごい手をテンパッていたとしても、カンちゃん待ちのリーチのみの手でリーチをかけることである。)初めのうちはせっかく先輩が来てくれたのだから相手をしてあげていたが、しょっちゅうやってくるようになってからは、みんな合唱団の部室にびくびくしながらいることが多くなった。

そして、夜、疾風のように突然現れていきなり部室のドアを開け、「おいっ、麻雀すっぞ」である。先輩が現れるとみんな「出たああ」とずっこける。大学は超がつく縦社会。先輩の誘いは絶対だ。そして、地獄の徹夜麻雀が始まるのだった。「リーチじゃあやあ♪」独特の調子から繰り出されるとんでもないタイミングのタコリーチに何度もずっこけた。そして、朝まで麻雀を続けた後、先輩は仕事へと出かける。こんなんでよく教員がつとまるよなあ、と陰口を叩いていたものだった。実は、そのN先輩がいつも引き連れていたのがK氏だったのだ。当時N先輩と同じ学校でやはり数学教師だった。N先輩と同じく徹マンしても朝から仕事にいくという荒行を続けていた。

しばらくするとN先輩はやってこなくなり、それからK氏の消息もわからなくなった。後から聞いたが、K氏はその後天草へ転勤。そこで磯釣りにはまり、釣り歴20年を越えるベテランとなって現在八代に在住とのこと。甑島の状況に詳しく、今年に入っても好調で、つい最近も里で49cmの口太を仕留められたそうである。釣り歴20年のベテランだが、草垣群島などの離島には行ったことがないそうで、私が草垣へ行くことを知り、急に行きたくなってрしてきたそうだ。こちらとしても1人で行くより、2人の方が頼もしいし、楽しい。早速O.Kサインをだし、武岡フィッシングに連絡したのだった。20年前の麻雀バカ2人は、釣りバカとなって再会することになったのである。


さあ 憧れの草垣群島へ

午後9時に人吉ICの出口付近にあるファミマで待ち合わせ、荷物を積み替えていよいよ枕崎港へ出発だ。車中で例によって、釣りの情報を交換し合い、お互いに今回の意気込みについて語り合った。まるで修学旅行の往き道のようだ。「尾長を釣りたいですねえ。口太も爆釣してみたいですねえ。」とK氏に声を掛けると、「いやあ、1匹でも釣れればいい。それより、海難事故もなく交通事故もなく帰れるほうが大事じゃなかと。」なるほど、その通りだ。釣りに夢中になって大切なことを忘れるところだった。自分の慢心を諫めらたように思い、また気持ちを新たにするのだった。いつもの九州自動車道経由指宿スカイラインを通り、枕崎港に午後11時20分頃到着した。

お魚センターのすぐとなりに灯りをつけて停泊している船が、今回我々がお世話になる武岡フィッシングのシーホークだ。このシーホークは同じ第八美和丸と並んで瀬渡し船としては最大級の大きさだ。2年前に草垣群島に行ったとき、2.5mの波だったが、第八美和丸で揺れをほとんど感じず快適な船旅だったことを思い出した。今回の天候は、晴れ、波高2mのち1.5mと問題なし。八代と薩摩半島内陸部で予報に反して雨がぱらついていたのが敢えて言うと気になる情報だった。「荷物をのせてください。」と船長が準備を促してくれた。「今日は風が強いみたいですね。」と船長にコンタクトをとれば、「西の風だねえ。でも大丈夫でしょう。」とのこと。どうやら我々が一番遅い組だったようで、午後11時50分に15名の釣り客を乗せたシーホークは枕崎港を離れた。

シーホークのキャビン内の奥は丁度扉のない押し入れのようになっていて、人間1人がやっとで入ることができるような高さだ。そこの一番奥に滑り込んだ。閉所恐怖症の方はきっといやになるに違いない場所だ。電気が消され、これから草垣群島までの3時間、ゆっくり眠ろうと横になっていると、少しずつ異変が起こり始めていた。大丈夫だったはずの海況が思わしくない。港を離れて20分ほど経つと揺れ始めた。ドスンドスンと波が船胴に体当たりしている。「結構揺れるなあ」眠りにつこうというのにこれじゃあ眠れないよ。

この時点ではまだ余裕だったが、更に5分経過すると、ドッカーンという音に変わっていた。「おいおい、大丈夫かな」こんな大きな船がここまで揺れているんだから、相当な波が押し寄せているのは間違いない。さっきまで眠かったのに、頭の中は完全に目覚めてしまった。更に5分たつと、船の揺れで体が無重力状態に。「こりゃ、大変なことになるのでは」たまらずシーホークは減速を余儀なくされた。絶え間なく繰り出される大波に翻弄されながら、ゆっくりと船は航海を続けている。どれくらいの波がやってきているのだろう。キャビン内は真っ暗で何も見えない。見えないからこそ時化の恐怖は大きくなるばかりだった。

事態の重大性を感じた私は、ライフジャケットをつかんだ。もはや釣り場に行けない心配より、自分の命がどうなるのかが気になりだした。もし転覆したらどうやって脱出したらいいのだろう。ヘッドライトよし、携帯電話よしと訳のわからない確認作業をしている。落ち着け落ち着くんだ。自分に言い聞かせている。ああ、ついてないなあ。こんなんで自分の人生が終わってしまうのか。家を出るときの「いってらっしゃい」あれが家族との最後になるのだろうか。いやいや大丈夫さ。この船が沈むなんて考えられない。船の揺れは相変わらずで、外の音がわずかに聞こえるが、その音からしてもとんでもない時化であることは間違いない。何を怒っているのだ、ポセイドンよ。キャビン内の釣り客は皆押し黙っている。みんな怖くないのだろうか。そのうち、無重力状態から解放される時間が多くなってきた。だんだん揺れが小さくなっていく。「良かった。峠は越えたのかな。」船は本来のスピードに戻り、快適な船旅に変わっていた。時計を見ると午前1時過ぎ。「あれは、一体何だったんだ。」これからこの調子で現場まで行けるといいけど。ところが、その期待もむなしく、船は極端に減速し始めた。あれっ、おかしいぞ。もしかして。船はゆっくりと方向を変えるように動き、完全に停止した。そう、シーホークは、あまりの時化に枕崎港に帰ってきたのだった。

状況が飲み込めた釣り客は次々に港へ上がっていった。船長の第一声に注目した。「ケツが浮いたからね。このまま行っても7時間はかかるよ。だから帰って来ちゃった。」吐き捨てるように続ける。「予報じゃあ、2m〜1.5mだったんだよ。ありゃあ7mはあったよ。この船にのってあんな波初めてだもん。」やはりかなりやばい状態だったらしい。「前線が急に発生したのかなあ。雨も降ってきたからね。」草垣群島でも9mの北西風が吹いているそうだ。みんなやれやれといった表情で船長のつぶやきを聞いている。みんな心の中で引き返して正解と言っているようだった。船長が指示を出す。「状況をみて行けるようだったら、竹島へ行きます。もうやめる人はいいですよ。どうぞ。」とんでもない時化を体験したせいか、戦闘意欲が失せた客が8人ほど去っていった。我々は協議の結果。竹島へ行けるかどうか午前3時過ぎまで待つことにした。

船長が寝坊してすでに4時になっている。天気予報を調べるが、相変わらず海況は思わしくないそうだ。もう少し待つことにした。しかし、午後5時になり状況は好転しないと悟ると、「今回は中止します」と船長が最終判断を下した。おいおい中止を判断するのは遅すぎやしませんか。黒潮丸への乗り換えの希望も断たれた我々にもう選択の余地は残っていなかった。他の客は、内之浦とかは凪ぎじゃろう、なんてことを話し合っている。荒磯は出るのかなあ、と外を見ると、枕崎へ渡してくれる荒磯フィッシングの「いそかぜ」が出船準備中で客も集まっているではありませんか。よっし、あそこに聞いてみましょう。K氏は突然「いそかぜ」に向かって走り出した。しばらくすると帰ってきて、「O.K」のサインを出してきた。やれやれ、今日は何とか竿が出せそうだ。釣れるかな何てもうどうでもよくなった。とにかく竿を出せるだけでうれしかった。

シーホークの船長に「またお願いします。」などとお礼を言って、荒磯の船をめざした。しかし、すでに一番船が出てしまった。まあゆっくり待つことにするかと休んでいると、知らない釣り客のおじさんが声を掛けてきた。「ここから何の船がでるんですか。」「荒磯ですよ。」と答えると、そのおじさんは、人なつっこく話しかけてきた。「実は秋目に行こうとおもとったんですが、時化ででないそうで、ここまで来たんですよ。」我々と同じような境遇の人なんだと思うと急に親近感がわいてきた。「我々は草垣に行けなかったんですよ。」お互いに傷の舐めあいをしていると、ユルブリンナーそっくりの荒磯の船長が犬を伴ってやってきた。シーホークの船長と声を掛け合う。船長がいるということは、黒島へは行けなかったようだ。「この人たちが、息子さんの船を待っているんだよ。」とシーホークの船長が説明してくれた。「なら、私の船で渡してあげようか。息子はしばらく帰ってこんよ。灯台あたりまで行っているみたいで、携帯に電話してもつながらないもん。」そりゃ悪いですよ。離島行の船で枕崎の磯に渡礁なんて恐縮したが、どうしても乗せてくれるそうだ。「わしがポーター(注:釣り客の荷物の世話をしてくれる乗員のこと)をやろう。」暇になった、シーホークの船長も船に乗り込んできた。こうして荒磯フィッシングの船長と武岡フィッシングのポーターという豪華メンバーで枕崎へと渡してもらうことになったのだ。


とりあえず枕崎A級ポイント グンカンへ渡礁

どうせ、いいポイントは空いてないさ。港を出ると右前方に枕崎のシンボル立神がそびえ立っている。息子さんの船「いそかぜ」は立神の向こう側に行ったようでその後を追いかけると思っていたが、予想に反して船は左へと舵を取り始めた。もう一つの瀬渡し船「海星丸」は出ていないのだろうか。10分ほど走ると懐かしい磯が見えてきた。デカ版石鯛、クロ、そして夏の夜釣りの好ポイント「グンカン」である。2002年の夏の夜釣りで惨敗を喰らった思い出の磯、上野さんがキダカ(ウツボ)のオンパレードを演じたなつかしい磯が再び私を歓迎しているようだ。速やかに渡礁を完了。船長のアドバイスを期待した。「そこと(水道側)、そこと(船付け)そこね(先端)」なんとまあわかりやすいアドバイスだろう。「良いところに乗れましたね。」秋目がホームグランドのIさんが我々に期待を持たせてくれた。「今上げ潮が手前に当たってきていますね。どこで釣りますか?」この潮読みの速さはIさんはただ者ではないようだ。先端が良さそうなのだが、釣り座が狭く、2人で仲良く釣るには不十分だと感じた。今回は釣果よりも親睦が優先だ。「我々は、こっち(水道側)で釣りますから」「いいんですか?」とIさんは意味深な言葉を残して、先端の釣り座へと移動されていった。

さあ、とりあえず釣りができるぞ。我々は早速仕掛け作りに入った。竿はこの突風では当然中通しと、ダイワマークドライ2号、道糸2号にハリス1.5号。仕掛けはあれこれ変えたが、初めは3Bの半遊動仕掛けでウキ下を2ヒロとった。その間にK氏は餌を撒いてくれている。仕掛けが完成すると今度は、K氏が仕掛け作り、私が餌を撒くことになった。

時計は午前8時を回っている。風が強く仕掛け作りにも時間が掛かってしまった。さあ、第1投。潮は下げに入ったのか沖へと出て行っているようだ。餌はとられない。魚はいるのかなあ。餌をあれだけ撒いたのに餌盗り1匹見えないのだ。私はこの時点では、枕崎釣法に固執していた。以前枕崎の磯でいっしょになったおじさんに教えてもらったのだが、ここでの釣り方は、重い3Bなどのウキを使った半遊動でタナを50cmから1ヒロと浅くし、サラシのある瀬際ぎりぎりに仕掛けを落としてクロを釣るという南国ならではのものだった。だから、そのことが頭から離れなくて、いつもなら餌をとられるタナまでウキ下を深くしていくのだが、今回は中々深くできずにいた。


この時点ではまだやる気モードのK氏

そのうち、午前9時過ぎ、Iさんが魚とのやりとりを始めている。上がってきた魚はイサキだった。いいなあ、こちらは餌すらとられない。そして、5分後に再び魚とのやりとり。今度は500g程度のクロだった。「竿2本ですよ。」とIさんが情報を教えてくれた。


秋目がホームグランドのIさん

何?竿2本だって。枕崎釣法もへったくれもないなあ。あわててこちらもウキ下を深くするが、やはりあたりすらない。昼前になって潮が動かない時間帯になってきたので、Iさんと休憩がてら話をすることにした。「最近、水温が19℃から15℃まで下がったんですよ。だから、野間池から秋目、久志と魚が一気に釣れなくなったんですよ。1月はぼくも秋目で40枚釣ったんですけどね。ここ最近はボウズが多いですよ。」そうかあ、だから竿2本なんだ。「ここは(グンカン)だいたいクロが見えるところなんですけどね。クロが見えないですもんねえ。」Iさんはとてもおしゃべり好きのようだ。そして、おそろしい情報を提供してくれた。「さっきラジオで言ってましたよ。草垣群島で今日、釣り客が2名、磯から転落して、1人は救助されたが、もう1人は行方不明になったそうですよ。どこの船が出たんですかねえ。」K氏と顔を見合わせた。あなおそろしや。あのままもし草垣群島に行っていたら我々がその憂き目にあっていたかもしれなかったからだ。


どうなってんだよ! 喰い渋る グンカンのお魚たち

さて、昼の干潮から下げに入り出した。3時半に回収するそうだから、そろそろ釣果をあげなくては。しかし、人間の力ではもはやどうしようもない。帰ってくる付け餌は冷たいままで、ひまな釣りが展開された。魚の活性はゼロに等しかったが、逆に活性が高かったのは海鳥たちだった。彼らは我々は撒く餌に群がり沖の潮目と目されるところで延々とお食事タイムを続けていた。

悪いことは続くものだ。仕掛けを回収して仕掛けを変えようとすると「ボキッと鈍い音がした。」どこかで傷が付いていたのだろう。竿が2番から折れてしまったのだ。これで完全に戦闘意欲がなくなった。2時には道具を片付けに入ったのだった。K氏もぎりぎりまで粘るが、餌採り含めて釣果なし。2人そろってボウズクラブ入会となったのであった。

今回の損害は、竿の破損、トリプルセンサー5B、撒き餌シャク、グレ当たり棒ウキ2Bなどを失った。そして、ついでに釣果なし。しかし、我々は悔しさはなかった。それはなぜって。今こうして私は生きているんだもの。だからまたいつか釣りに行けるんだから。7mの恐怖を味わったことでまた海の奥深さを知り、海が益々好きになった。K氏と再び竿を出すことを誓って枕崎を後にした。後になってニュースで聞いたが、草垣で行方不明になっておられた鹿児島の会社員の方は、無事その日の午後1時過ぎにハナレ瀬にたどり着いていたところを瀬渡し船に救助されたそうだ。


さようなら グンカンよ

釣れなくても安心? 枕崎お魚センター

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