5/28 悲しんでいる人たちは幸いである 豊後水道

悲しんでる人たちは幸いである。彼らは慰められるであろう。(マタイによる福音書)

これはよく知られてる聖書の一節だが、最近年取ったてきたせいか、妙にこの言葉が身にしみるようになってきた。この短い言葉の中にもしっかりとした哲学が盛り込まれている。聖書だから当然だけど。このドイツ語訳はこうだ。

Selig sind,die da Leid tragen,denn sie sollen getostet werden.

これは私にとっては特別な言葉で、思わずメロディーをつけて今でも口ずさんでしまうのだ。ブラームスのドイツレクイエムの冒頭のフレーズなのだ。学生時代合唱にはまっていた私は、特にブラームスの合唱曲がお気に入りだった。バイトして貯めたお金でブラームス全集というレコードを買い込み、ブラームスの合唱曲すべてを聴いた。その中でもブラームスのドイツレクイエムは一番のお気に入りで、フルベン、ワルター、カラヤン、ベーム、レバイン、ショルティーなど10以上の指揮者の録音を聴きまくった。この作品は、ブラームスが恩師であるシューマンの死に際し、シューマンの作曲の計画の中に「死者のためのミサ曲(レクイエム)」を見つけたことに端を発し作曲したと言われている。この曲を無謀にも学生の時合唱団の定期演奏会のメイン曲に選んだっけ。ハイレベルの歌唱力と強靱な体力と精神力が要求される曲でアマチュアの合唱団はほとんど演奏しない。正に若気の至りだったが、今となっては良い思い出となっている。

「悲しんでいる人たちは幸いである」という異質な矛盾するものが止揚統合されたようなことは世の中にはよくあることだ。5月の連休に船釣りに行けたが、あとはスケジュールが釣りへの許可を与えなかった。5月の中旬の絶好の土日も、ある国語教育の研究会で大阪に飛ぶハメになり、釣りができなかった。失意のうちに研究会に参加していると面白い話を聞いた。哲学と科学の関係についてだ。研究会の講師の先生は、国語教育界では有名な方だが、何故か出身は工学部の応用物理なのだ。だから、時々科学の話が出る。もともと科学とは哲学から分離したものだという話だった。ソクラテス、プラトン、そして、アリストテレスが有名なカテゴリー論を展開。唯物論対観念論など、すべてのものごとは2つのいずれかに属するという二分法の考え方が支配的になった。その後、哲学から科学が分離し、ニュートンの万有引力の法則の発見などを経て、やがて光についての研究がなされるようになった。そこで持ち出されたのがそれまでの二分法の考え方で、その結果光は粒子か波動かという論争が起こることになる。ところが困ったことにこの論争は袋小路に入ってしまう。何故かというと、光は粒子だという仮説を立てて実験を行うと確かに粒子であるという結果が出るし、光は波動だという仮説を立てて実験を行うと確かに波動だという結果が出るというのだ。一体どちらの説が正しいのか。科学者は二つに分かれて論争を繰り返した。そして、その論争に終止符を打った人物が現れる。デンマークの学者、ニルス=ボーアだ。ボーアは、光は波動でもあり粒子でもあるという新しい相補性の原理を打ち立てた。このコペンハーゲン解釈と呼ばれるニルスの結論に当初学者たちは猛反発。2つのうちのどちらかだという二分法にどっぷりつかっていた時代だけにこれも仕方がないことだろう。やがて、このコペンハーゲン解釈は多くの学者に支持されることとなり、同時に二分法の考え方の限界に行き着くことになるのだった。AでもありBでもあるというものの見方はもうすでに哲学の領域ではないのか、つまり哲学から分離した科学は、今後は哲学に近づいていくことになるというのだ。

面白い話を聴いた。例えばこういうことか。海を埋め立てることでどんな影響があるのかを調べるのは、科学者のすることだが、その科学者が埋め立ては海洋生物にとって甚大な悪影響を及ぼすという仮説を立てれば、その通りの結論がでるし、海にはあまり影響を及ぼさないと仮説を立てれば、その通りの結論が出るということなんだ。ということは、科学だけに頼るのではなく、我々人類がこれからどんな未来を描くのか、どんな生き方をするのかという哲学をもつことが重要であるということになる。現に歴史に学べば、20世紀に入り科学技術の最先端であった物理学の進歩により、科学者は大量殺戮を一気にやってのける原爆、水爆を開発したではないか。その結果どれほどの人間が不幸になったか。いや科学者に限らずすべての人間が哲学を学ばなければならない。人はどう生きるのかという命題をもちながら。

釣りには行けなかったが、ためになる話を聴いて幸いだった。そして、夜には梅田付近にくりだし、あるホルモン店に入った。ホルモン1人前380円。あまり期待しなかったが、結構なおいしさだった。肉を焼くコンロは上等ではないために、時々火柱が上がりあわてたがそれもご愛敬。その店の名物はかすうどん。天かすが入っていると思いきや、なんとホルモンを油で揚げたいわゆる「かす」がうどんの上に乗っていた。おそるおそる食べてみるとこれがまたうまいのなんのって。肉のうまみと脂の見事なハーモニーに感激。B級グルメと極上の味という異質なものが止揚統合された恐るべき食べ物だったのだ。

釣りにいけなかった人は幸いである。かれは慰められるであろう。


釣りに行きたいが 大阪で研修 その夜

さて、2006年も5月に入った。5月の連休が終わると、今年はどういうわけだか雨の連続。おまけに日照時間の最小記録まで打ち立ててしまった。この影響かどうか分からないが、水温は不安定で例年より低め。その影響か、南九州のクロは低迷していた。宇治群島などの離島や甑島の里などは好調を維持していたが、枕崎、野間池、鹿島などはあまりぱっとしない。5月20日、21日に期待していたものの、季節はずれの台風1号の影響によるメイストームで中止を余儀なくされた。やむなく翌週の27日、28日に照準をあわせていたが、27日は大荒れ。離島の2日釣りで今シーズン初のブッコミ釣りを予定していたが、変更するしかない。せっかくワイヤー仕掛けを12本ほど準備していたというのに。失意のうちに、いつの間にか磯釣りから船釣りへと変更していた。行き先は別府楠港、べっぷ丸。関アジ釣りと共にアラカブ釣りにかわって開幕を迎えるイサキ釣りに大いに魅力を感じさせられたのだった。べっぷ丸のHPの予約状況によれば、28日のイサキ釣りの予約はあと1名となっていた。これは急いで予約するしかない。船長に予約の電話を入れた。「いいですよ。4時半集合です。」で契約成立だ。


べっぷ丸イサキ釣り開幕戦

こうして、5月の2回目の釣行は予想外の船釣りとなった。いてもたってもいられず、前日から別府市内に入った。安ビジネスホテルに泊まり、午前4時には、第2べっぷ丸の停泊している楠港に着き、クーラーを置いた。船の後部を釣り座としたかったが、空いていないので、前部の右側に決めた。午前4時半に軽トラックで船長が登場。早速、餌の準備や氷の支給を始めた。釣り客は総勢10名。みんななれた人ばかりのようで、初心者は私一人のようだ。みんな慣れた動作で釣りの準備に余念がない。

そして、午前5時丁度に第2べっぷ丸は楠港を離れた。夜が明けて、別府市内は白い朝を迎えていた。夜の間、きらびやかだったネオンサインは、朝の僅かな光と解け合い、やさしい光に変わっていた。まだ多くの別府市民が眠りについているころ、我々釣りバカを乗せた船は別府湾へと旅立っていった。


別府市民が眠る中 楠港からいざ出発

別府市は言うまでもなく、別府湾の一番奥に位置している。前回の関アジ釣りの時よりもやや南側の航路をとっていた。南側の海岸線は国道10号線が走り大分市へとつながっている。更に先に進むと今度は町並みが消え、佐賀関半島沿いに走った。ここを通るということは、かなり遠くまで行くのではないだろうかと感じた。「これから2時間かかるのもんなあ」と誰かが呟いていた。
長い佐賀関半島のクルーズがようやく終わると、今度は左手に大きな島が見えてきた。高島というところらしい。ここがポイントかと思いきや、まだ1時間足らずしか走っていなためここはポイントではなさそうだ。


佐賀関 高島を過ぎて

高島を過ぎて船は更に南へと下る。そしてどんどん沖へと進んでいった。陸がどんどん遠くなっていく。左手に四国が見え始めた。一体何処までいくんやろう。沖へと進むにつれてうねりが出てきた。すいすい進んでいた船が、うねりで大きく揺れ始めた。

そして、港を出て1時間半の地点で、エンジンがスローになった。船はゆっくりと進みポイントを探りながらの航海に切り替わったとみた。やがて、船はエンジンをつけた状態で停止した。どうやらここがポイントらしい。時計を見ると午前7時前。まわりを見るとみんな仕掛け作りに入っていた。私も船長から竿と電動リールを借りて釣り方のレクチャーを受けた。「オキアミをかごに8分くらい入れて、落としてください。私がタナを言いますから、電動リールのカウンターを見ながら合わせてください。表示された数値とタナが違うときがありますから気をつけてください。そのタナに合わせたらシャクって餌を出して、アタリを待ってください。えさの付け方は分かりますよね。えさ箱の中から良さそうな餌を選んでしっぽをとってハリに2匹掛けしてください。餌をつけたらこのように上に置いておけば仕掛けが絡みにくくなりますよ。懇切丁寧にレクチャーしてくれモチベーションは最高潮に達した。さあ釣るぞ。


仕掛けがらみ防止策

船長の「では始めてください」の合図でみんな一斉に仕掛けを落とした。「タナは70メートル」と指示がマイクで伝えられた。私も仕掛けを落とすが反応がない。すると、「65メートル」の船長の指示。みんな一斉にタナを調整しているようだ。しばらくすると、「55メートル」の声。なるほど。どうやら、このイサキ五目釣りでは、底を釣る関アジ釣りとは違って、中層を釣るようだ。船長の言うタナに合わせて反応がなければすぐにタナを調整するの繰り返しをするというややあわただしい釣りとなる。55メートルで反応があったようで、隣の釣り人の竿先に反応がでた。しかし、上がってきた魚は20cm程のアジ。「あげてください」すぐさま船長の声が飛ぶ。ここでの反応はアジの群れだったようだ。このポイントに見切りをつけて、しばらく走って2つめのポイントに到着。「はい、75メートル」今度は私の竿先に魚信がきた。上がってきた魚は手のひら級のマダイ。ハリを飲み込んだためキープ。このパターンで5回ほど場所変えをした後、「あげてください。30分ほど走りますので片付けてください」の声で新たなポイントに移動するようだ。


移動の途中 水の子灯台

船は再び全速力で走り出した。前部分にいると水しぶきがかかるので、後ろに座っていると、常連のまっちゃんという方が釣り談義をされていた。参考にしようと私は会話に加わることにした。「このところ時化で実は今日がイサキ釣りの開幕戦なんですよ。さっきのポイントは去年最後のイサキ釣りで入れ食いしたところですよ。でも反応がなかったですね。去年の開幕戦ではイサキは1匹も上がらなかったですよ」と笑っておられた。そして沖を指さして、「あれが水の子灯台ですよ。」と教えてくれた。水の子灯台周辺は船釣りの好ポイントらしく、現に何隻かの遊漁船が集まっていた。磯釣りもできるらしいが、協定により平日しか乗ることができないらしく、月に2日くらいしかチャンスはないという。「あそこは、マダイ、イサキ、尾長、クロ、石鯛、青物と釣れる魚の種類が多いんですよ」と説明してくれた。

第2べっぷ丸はその水の子灯台の横を通り過ぎた。「水の子灯台に行くと思ってたけど違いましたね。」まっちゃんが残念がる。船は水の子灯台の先まできてようやくエンジンをスローにした。釣り人の動きがあわただしくなる。仕掛けを落としていよいよ第2ラウンドだ。「タナは75メートル」と船長の声。大潮なのでここもとても潮が速い。前回のポイントでも2回ほど仕掛けを絡ませてダメにしてしまっているので注意しなくっちゃ。ぐぐっと竿を絞り込む。電動リールで巻き上げるが全然引かない。餌盗りかなと仕掛けをあげると、赤い良型の魚が浮いてきた。上がってきた魚はチカメキントキ。金目鯛のようなどでかい目が特徴だが、この魚はとても往生際がよく全然あばれないね。


チカメキントキ あまり引かなかった

私がチカメキントキをあげると周りの釣り人の活性が一気に高まっていった。私の反対側の釣り人が1.5キロあろうかという特大サイズのイサキをつり上げた。また、キロサイズのマダイもあがった。ぽつぽつあたりはあるものの中々魚の食いのスイッチが入らない状態が続き、仕掛けを落としては場所変えを繰り返した。そんな中で午前10時頃やっとでアカイサキをゲット。昼過ぎには本命イサキを、午後2時頃再びアカイサキを釣った。


釣れんなあ

中々釣れないところで、1人のおじさんが「船長、3時でやめよう」の声。もっともだ。しかし、このあとキロオーバーのマダイやチカメキントキのダブルなどようやくいい反応が出てきたが、予定通り午後3時過ぎに納竿とした。

釣れなかったことだけでなく、仕掛けも8回ほどダメにしてかなりの出費になることが予想されていた。がっくりしていると、船長が、「あまり釣れなかったので、貸し竿料金はもういいですよ。」だって。

釣れなかった人は幸いである。彼は慰められるであろう。


ああ無念のイサキ釣り タンカーが慰めてくれた


お疲れ様


本日の釣果
イサキ1・アカイサキ2・チカメキントキ1・マダイ1・オキメバル2


本日の料理 まいう〜

チカメキントキの姿造り ★★★★★
マダイ・アカイサキのトマトソースかけ★★★★★
イサキの塩焼き★★★★★
息子yasuの採点
やはり旬の魚は美味しいですなあ

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