8/15 天草の踊子 野釜島一帯

教員の夏、研修の夏ということで、8月に入りある国語教育の民間教育団体の全国大会に向けて鹿児島空港から出発した。行き先は東京。司会の業務のためだ。3日間の研修の後せっかく東京に来たからと1日休みを取り、憧れの築地市場へ出かけた。行き先は築地場外市場。規制緩和の名のもと、大型店舗有利の政治により、日本各地で次々と消えていった商店街の原型がここにはまだ残っている。私が子どもの頃、昭和40年〜50年代にかけてまだまだ地域が元気だった時代へとタイムスリップしたような情景が期待できる。その人間くさい風に触れたくて、新橋からタクシーをとばしてやってきたのだ。

まず目にしたのは、刃物を扱う店。若い衆が店頭で慎重に包丁を研いでいる。更に先へ進むと、鮮魚や魚の加工品を扱う店のおじちゃん、おばちゃんの威勢のいい声がとんでくる。場外市場の中に入れば、多種多様な店が並んでいる。そして、江戸前の寿司やどんぶりを安価で食べさせてくれる店も。一番外側に行けば、屋台のような小さな店が並んでいた。寿司屋はもちろんのこと、カレー屋、うどんや、たれを何年も継ぎ足して味を守り続けているであろうホルモン屋などが軒を連ねていた。どの店も狭く、カウンターで食べることができなければ、歩道の端の椅子に腰掛けて食べなければならない。車の排気ガスも味のうちということらしい。そこが何とも庶民的でたまらない。この日は台風が近づくということで雨だったが、それでもさすがに築地ブランドは、外国人を含めた多数の観光客を集めていた。大体全部見学してしまったところで後ろを振り返ると、場外市場の入り口らしき看板に気づいた。そこにはこう書かれていたのだった。

おもいやり人に車にこの街に

この商店街をつくっているのは、お金でもない、施設でもない、まぎれもなく人々の真心であるということを改めて認識させられたのだった。何かを成し遂げようとするためには、skill(技術)だけではだめだ、そこにはwill(意志)が必要だということは、私の仕事にも言えることだ。willがあるからこそ、市場はとてもきれいだったのではないか。雑踏の中だがゴミ一つ落ちていなかった。築地に集まっている人の熱い想いに触れ元気をもらって九州へと帰ったのだった。


憧れの築地市場で

ところが、盆前我が故郷福岡へ帰ってがっかりしたことがあった。某海水浴場でのこと。それこそゴミの山の中で若者が日光浴や最近人気急上昇のマリンジェットを楽しんでいた。砂浜では、ゴミが散乱して足の踏み場もないような場所で若い男女がビーチバレーに興じていた。あんな目を覆いたくなるようなゴミだらけな情景は人吉ではまず考えられない。その砂浜の隣には海の家があってクラゲ防止ネットを張った海水浴場が見えた。そこには全くゴミが見られなかったのだ。いくらwillがあっても自分さえよければいいではいけない。そう思うのだった。と同時に自分も海を汚す1人にならないようゴミは持ち帰ることを心に刻むのだった


博多湾の納涼船 花火撮れてないし

福岡では、お盆の期間だけ市営のフェリーが納涼船となって観光客を楽しませてくれる。博多港を出港し、海の中道で40分ほど停泊して再び博多港へと帰るという航程である。午後7時20分に出航。都会のイルミネーションも中々のものだ。暗黒の海にヤフードームや福岡タワーなどが見える。遠回りしながら海の中道の港に停泊して花火を楽しんだ。家族みんなで楽しむお盆休みは本当にいいのものだ。夏休みしかできない楽しみだね。

夏休みしかできないことといえば、悲しいかな読書がある。新学期が始まってしまうととても楽しみのための読書どころじゃあなくなる。今がチャンスなのだ。まず読んだのは「伊豆の踊子」(川端康成)だ。この有名な作品を恥ずかしながら私はまだ読んだことがなかったのだ。二十才の旧制高校生である主人公の「私」が伊豆に一人旅に出かけ、途中旅芸人の一団と出会う。その一団の踊子「薫」に惹かれていく。茶屋の婆さんが旅芸人の一団を指して「私」にこう話している。「あんな者、どこで泊るやら分かるものでございますか、旦那様。お客があり次第、どこにだって泊るんでございますよ。今夜の宿のあてなんぞございますものか」伊豆の踊子が描かれている時代、この旅芸人の一団の女は遊郭の女と同等に見られていたということを、そのことを知らない読者にも分かるように説明しているとも受け取れる表現だ。しかし、婆さんの意図とは裏腹に主人公の「私」や読者はこれで一気にこの旅芸人に肩入れして読んでしまうのだ。

「突っ立っている私を見た踊子が直ぐに自分の座蒲団を外して、裏返しに傍へ置いた。」「踊子がまた連れの女の前の煙草盆を引き寄せて私に近くしてくれた。」遊郭の女と同等と世間から見られている薫の行動があまりにも相手を思いやる素直なかつ自然な振る舞いであったために、読者も薫の人間としての魅力にとりつかれてしまう。遊郭の女と思いやり深い女という異質な二つのイメージが止揚統合され、薫という人物を益々魅力的なものへと意味づけてしまうのだ。「私」と「薫」の交流はお互いの立場を越えて人間らしいあたたかいものであった。薫は孤児根性で歪んだ主人公「私」の心をあたたかく解きほぐしていく。しかし、そんな2人にやはり別れの時が。下田の港で「薫」は大島へ行くためにとどまり、「私」は財布の中身がつき東京へ帰ることに。「頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろと零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。」の一文でこの物語は締めくくられる。何というはかなくも美しい物語であろう。


野釜港 サヨリ釣りにいざ出陣

実は、釣りの世界にも伊豆の踊子のような魚がいる。この夏の時期になると近場へ出てはやがて去っていくはかない魚、それはサヨリ。天草の磯や堤防に群れをなして接岸し、釣り人の寂しい心を癒してくれる魚。近場の内湾の磯や堤防など、人間の生活圏の汚れた海を群れをなして泳ぎ、銀色の腹をキラキラ光らせて釣り人の前に表れ、すらりとした見事なボディーラインを見せてくれる魚。この魚に逢いたくて、福岡から帰ってきてすぐさま息子と天草へ出発だ。

8月15日、小潮。干潮が午前5時半頃。野釜港へ着いたのが午前7時前。お世話になるのは、湯島や野釜一帯を渡してくれる幸福丸。港へ着くと早速迎えにきてくれた。既に第一便は出た模様。ゆっくりと港を出て、沖の真珠棚に向かって舟は走った。「餌を少しずつ撒いていけば、直ぐに釣れますよ。」船長のコメントに安心。去年もここに来てサヨリの入れ食いを楽しませてもらった。すでに先客はダゴチン釣りを始めているようだ。西側のボートはダゴチン客でいっぱいのようで、我々は東側のボートに乗せられた。「これ息子の竿です。使ってください。」と船長がのべ竿とサヨリ仕掛けを渡してくれた。お礼を言って早速仕掛け作りに入った。

まずは息子ののべ竿仕掛けをつくってやり、ついでに20号の船竿に鯛五目胴つき仕掛けも作成。自分も磯竿1号にサヨリ仕掛けをセット。午前7時半にようやく釣り始めることに。撒き餌の赤アミを少しずつ撒いていくと早くもクロの赤ちゃんがわいてきた。生まれて1年たったサイズようだ。すると早くも船竿に反応が。ククッと竿先を絞っている。あげてみるとフグがご用となっていた。餌は中国虫。その後、トラギスやコチなどが釣れたが、餌がなくなったので、今度はオキアミに変えた。オキアミに変えた途端にアタリが拾えなくなってしまった。あわよくば、鯛、チヌともくろんでいたが、そう簡単にはいかないようだ。サビキに変えてアジねらいにしたがこれも反応なし。そろそろサヨリも寄ってくる頃とサイドフィッシングは後回しにした。


長雨の残骸? サヨリ釣れず モチベーション急降下

しかしまあ、海に状況は驚くべきものだった。おそらく長雨の影響だろうが、ゴミや木材が浮いて釣りづらいねえ。サヨリの姿も見えず、早くも「お父さん、今何時?」と息子も飽きてきたようだった。朝方はほとんど潮が動かなかったが、8時半頃から東方面へと流れるようになった。船釣り仕掛けも東側へと流れている。潮はいい感じになってきたが、肝心のサヨリが見えない。いったいどこにいるのだろう。

午前9時を回った。潮が今度は西側に動き出した。でも、船釣り仕掛けを見ると相変わらず東側だ。表層の潮だけが滑っているようだ。ふと東向きに視線を移すと見つけた。サヨリの群れだ。よしよしと釣り始めるものの反応がない。まだ食い気がなようだ。それに異常なまでにポイントが遠い。そうこう言っているうちに、表層の潮は再び東向きに流れるようになった。万事休すかと思いきや、サヨリの群れが東側に移動していた。相変わらずポイントが遠いが、サヨリがいることが分かり早速釣り再開。撒き餌には反応しているようだが、どうしても釣れない。1匹は何とか釣れたが、後が続かずついにはサヨリの群れが去っていってしまったようだ。

10時過ぎに幸福丸が見回りにやってきた。「釣れましたか?」と船長。「だめです」と私の返答に驚く船長。周りの状況を確認して再び幸福丸はやってきた。「今日はどこもサヨリば見とらんそうです。青物が回ってきているかもしれんですね。12時迎えでいいですか?」と船長は去っていった。ついこの間まではサヨリが結構釣れていたらしいが、今日はさっぱりらしい。ついてないなあ。サヨリは回遊魚なだけに回遊してこなけりゃ釣れるわけない。


沈黙を破った一撃

この状況でのべ竿を扱わせるのはかわいそうだと、息子には船竿を持たせることにした。この一帯は船の行き来が多く、船が通るたびにその波でボートが揺れ、「気持ち悪くなってきた」と息子。「もう帰ろうよ。お父さん電話して」せっかくの親子のふれあいなのに雲行きが怪しくなってきた午前10時40分、やすが助けを求めてきた。「お父さん何かきた」何と魚とのやりとりをしているではないですか。父親というもの取り込みまで自分の手でやらせるべきだったと思うが、思わず手伝ってしまった。慎重にポンピングしながら浮かせると、巨大なボラが水面にぬうっと現れた。がっくりの私に大喜びの息子やす。「ぼく釣ったね。うわあ、こいつ凶暴だ」といいながらうれしそう。

楽しませてくれたボラくんと記念撮影した後、海へ帰ってもらった。このボラのおかげで船酔いしたと言っていたやすは俄然元気になった。よかった。これでいい思い出もできたことだし、あと1時間迎えに来るまでのんびり過ごすとするか。


本日の大物賞 大ボラ

思いの外早く船が迎えにきた。まだ、午前11時を回ったところだというのに。おかしいなあ。すると、船長が意外な言葉を投げかけてきた。「向こうでサヨリが釣れてるそうなんですよ。うつりましょうか。」何という天の助けか幻か。喜び勇んで場所を変えることにした。

その釣れてるというボートは我々のところから西に僅か50m程離れたところにあるポイントだった。ダゴチン客の方が納竿されるので、交代でそのボートに乗せてもらうことにした。「船の前がポイントですか」とすかさずそのお客さんに聞いた。「潮に流していけばどこでも釣れるよ。タナは1m」礼を言ってボートに乗り込んだ。一度はあきらめかけたが再び闘志が湧き上がってきた。「帰りたいときにрュださい」そう言い残して船長は去っていった。船長の好意に応えるためにも釣らなくっちゃ。仕掛けをサヨリ専用の3連玉のものから、全遊動斜めとばしウキにG2の棒あたりウキをセットし、タナを言われたとおりに1mで始めた。撒き餌をしても魚は見えない。本当に釣れるのだろうかと不安になった途端、あたりウキが消し込んだ。素早く合わせると久しぶりの竿にのった感覚が蘇ってきた。30オーバーのグッドサイズのサヨリくんだった。細いからだで踊るサヨリ。正に天草の踊子だ。「いいなあお父さん」とやす。これなら大丈夫と、今度はやすの竿にアタリが来た。「やったあ」宙に舞うサヨリくん。ようやく楽しい釣りの時間がやってきたのだった。


場所変えでようやくゲット

2桁をこえたのでおみやげには十分と12時半に納竿とすることにした。帰りの船の中で船長と話した。「こいつがでかいボラを釣りましたよ」「そうですか。うちの子も釣りが好きで、早くからダゴチン釣りに興味を持ってですね。この前は1.5kgのチヌを釣りましたよ。」やはり子を持つ親だな。船長のおかげでサヨリを釣らせてもらい本当にただ感謝だった。

家に帰って早速サヨリ料理をつくった。サヨリの美味しい食べ方といえば何といっても刺身が一番。そして、醤油をつけると甘くなる刺身をメインにサヨリどんぶりをつくることに。帰りに立ち寄った天草の飲食店で出された海鮮どんぶりを食べたときそのどんぶりを思いついたのだった。、刺身をごはんにのせただけのものでそこにわさび醤油をかけるというしろものだったが、最初からたれに刺身を漬け込んでいたらもっと美味しいはずと家に帰ってつくってみた。見た目はよくないがこれが大好評。アスパラ巻とともに息子やすも大絶賛してくれたのだった。息子にも自分で釣った魚を食べる喜びを味わわせることができて本当によかった。天草の踊子は私たち家族に幸せな時間をくれたのだった。


本日の釣果 サヨリ13匹


本日の料理

息子やすの採点
サヨリの海鮮丼★★★★★
サヨリのアスパラ巻★★★★★
サヨリのお造り★★★★

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