3/26 深海の大五郎 豊予海峡

今年は暖冬で心配された春の気候だったが、予定通りの三寒四温がやってきた。3月も後半となり、学校も終了式が終わった。校庭の花々が子どもたちとの別れを彩る。22日には、務めている学校の第60回目の卒業式が行われた。
白い光の中に 山並みは萌えて
 はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ
限りなく青い空に 心ふるわせ
自由をかける鳥よ 振り返ることもせず
勇気を翼にこめて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して
旅立ちの日に(曲を聴きたい方はここをクリック
もう全国の卒業式では恒例になったおなじみの歌「旅立ちの日に」を歌いながら6年生は、巣立っていった。卒業生に幸あれと願うばかりである。
さて、我々教員にとって最もほっとする時期がやってきた。子どもたちに修了証を渡し、今度は指導要録などの雑務が待っているが、精神的には1つの区切りをつけられたことになる。さあ、釣りにと行きたいところだが、いろいろ用事があって、土日も行けない。唯一行けるのは、26日の月曜日。平日なので離島は客が集まらないだろう。硫黄島に行きたいが、ここはしかたがない。そこで、かねてからやってみたいと思っていた深海のアラカブ釣りに挑戦することにした。お世話になるのはべっぷ丸。「いいですよ。5時集合です。」で契約成立だ。


無料宿泊所で一眠り♪

晴天と雨模様が交互に入れ替わるこの時期の天候。心配していたが、26日は見事な晴天。豊予海峡の船釣りはここ5,6日ほど出航しておらず、久しぶりの出船となる。小潮の初日、波高1m〜0.5m、釣り客は7名と少ない。はっきり言ってこんな好条件はあまりない。ルンルン気分で、道具を詰めて午後8時過ぎに出発。例によって阿蘇を越え大分県竹田市に入り、そこから大分市を経由して別府市を目指す。別大毎日マラソンのコースとなる国道10号線を大分市から北上すると黒い山陰に色とりどりのネオンが見える。その淡い光が別府湾の黒い鏡に映っている。いつ見ても美しい情景だ。人工的な光であるが故にそこに人間の暮らしが見えてくる。

べっぷ丸は遠方からの釣り人のために無料宿泊施設を用意してくれている。実は、楠港のすぐ近くで工事をやってくれているため、今までの無料宿泊所が取り壊されているのだ。その代わりに、何と港のすぐ近くのビルの1部屋を借りてくれているのだ。何というサービスだろう。釣りというレジャーをできるだけ快適にという顧客第一主義が表れている。釣りというレジャーが産業として立派に成り立っている。大分県の遊漁船業者は、このような無料宿泊所を持っているところやHPを持っているものも多い。車の行き交う国道の袖で、煙突が建ち並ぶ工場地帯で、たくさんの釣り人が魚と触れあっている。釣りという業が身近なものとして認知されているのが大分県といっていいだろう。

私は大分県が好きである。好きな理由は、温泉、自然、魚が豊富であるということと、もう一つは、それらが育てたであろうとてもおおらかな県民性をあげたいと思う。学生時代に大分県出身のGさんという先輩がいた。その先輩は、Gさんの上の学年の先輩から随喜(この語源は言うまでもなく「肥後随喜」に由来すると思われるが、なぜこのような愛称が付いたかははなはだ不可解である)と呼ばれていた。Gさんは、大分県人の中でもかなりのおおらかさを持ち、自由奔放に生きている人だ。ご存じ九州の大学というところは、超がつく縦社会。

僕らは、先輩と飲みに行くと、先輩が箸をつけるまではつまみをとらなかったものだが、Gさんは全くそんなことは眼中にないようで、いきなり先輩の前にあるつまみに箸をつけようとする。おいおい、早速先輩にたしなめられるが、おかまいなし。そして、先輩には必ず敬語を使ってしゃべるのが常とされるが、先輩に対しても敬語を使うことがない。「○○しちょるきー」(おそらく日田弁と思われる)と先輩に話しかける。本人は別に悪気はないようだが、先輩の逆鱗に触れ、いじめられる。「こらっ、G!敬語を使え」その言葉にこう反論する。「大分には敬語はないきー」一同ずっこける。その夜は、当然のごとく先輩からの悪魔の仕打ちが待っている。飲んで帰って合唱団の部室に寝ていると、Gさんは瞼に目の玉を落書きされてしまう。朝になると、Gさんは4つの目の顔で学食に出没し、みんなに気味悪がれるのだった。

また、こんなこともあった。ある時、Gさんと話していると、「鎌田、お前うらやましいのお。女の子がたくさんいるところで勉強できて」と言い続ける。Gさんは工学部に在籍していた。工学部には、当時女性はほとんどいなかった。そこで、一度でいいから女の子の多い教育学部の授業を受けてみたいとしつこく私に訴える。あんまりうるさかったので、「じゃあ、私の代わりに授業受けてきてくださいよ」と言ってしまった。あきらめると思いきや、Gさんは大喜びで授業に行ってしまった。どうしよう。本当に行ってしまった。教育学部は出席の厳しいところだ。

それからどうなったかは、後から他の仲間に聞いた話だが、こうだったらしい。いつものように出席を取りだした教授にビビリだしたGさん。どうやら、Gさんは本気で私になりすまさなければならないという妙な使命感をもっていたらしい。「鎌田」と教授が点呼する。「はいっ」と返事をするGさん。ところが異変に気づいた教授が再び私の名前を呼ぶ。「鎌田」 どうしよう。やばいと思ったGさんは迷う、しかし、一度返事をしたのに2回目をしないのは不自然だと考えたGさんは、思い切って2度目の「はいっ」。教授は、返事をした男をまじまじと見つめる。「おかしい。なんか鎌田じゃあないような気がするんだが」この教授もかなりの老眼で私ではないということに確信がもてないようだった。「おまえは本当に鎌田か」さらに問い詰める教授。まわりの学生もあきらかに私でない見知らぬ男が私になりすましていることに気づき首をかしげている。窮地に追い込まれたGさん、しかし、持ち前のおおらかさで「はいっ」と返事をすると、教授も追求することをあきらめたらしく出席を続けたという。満足した表情でGさんが授業から帰ってきたのはいうまでもない。

Gさんは大分県人の典型とは思わないが、Gさんのものごとに執着せず、おおらかで、だれにでも公平に接することのできるところは、間違いなく大分県の風土が育てたと言えるのでは。このときから、私は大分県に対して好意を持つようになった。そして、最近釣りという業を知ってから、大分の魚影の濃さにますます大分県がお気に入りになってしまったのだった。「あんなに遠いところまで、よく釣りに行くね」と言われるが、そこまでしても行く価値のあるのが大分県の釣り場である。Gさんを育てたようにおおらかな大分県の海は、2キロ越えの別名「大五郎」というデカガラカブをも育ててくれている。このガラカブに逢いに行くのが今回の目的なのだ。


出船準備中 第2べっぷ丸

無料宿泊所はアパートの1室。もうすでに7人の釣り師がいびきをかいて爆睡している。自分も床についた。敷き布団、掛け布団、毛布、枕と寝具はばっちり。トイレはもちろんのこと、冷蔵庫、お風呂まで付いている。遠方から来る私には本当にうれしいサービスである。1時半頃寝床につき4時頃目が覚めた。まだみんな寝ているようだが、早めに港に行くことにした。ガラカブ釣りをサポートしてくれるのは、第2べっぷ丸M船長である。と、その時、長靴を持ってくるのを忘れてしまったことに気づいた。ありゃどうしようかと考えていると、丁度M船長が私の傍らを通りかかった。「すみません。長靴貸してください。」さぞかしアホな釣り人と思ったことだろう。M船長はいやな顔1つせず、貸してくれた。これは、単なる序章に過ぎず、あとでM船長に多大なる迷惑をかけてしまうのであるが。
午後5時前に7名全員集合。船は、予定通り午前5時半に別府楠港を離れた。3月も終わり頃になると、右手に新日鐵の工場が見えるころには、夜明けを迎えていた。キャビン内で他の2人組の釣り人と世間話を始める。福岡の京都郡からこられたそうだ。一緒に乗船するのはこれも何かの縁。一期一会だ。「おたくは、相良村からな。」「はいっ、そうですが。」相良村を知っているということは、ただものではない。「私の親戚がおるもんでな そいつも好きでなあ、平戸まで車に乗ってくるよ」愉快なおじさんたちだ。もう1人の小太りのおじさんは「電子レンジ」の電源がつかないと騒いでいる。片手にはワンカップ大関を持って。電子レンジがつくとご機嫌になり、燗のついたお酒を口を近づけながらごくんと一口。そして、お弁当を取りだしむしゃむしゃ食べ始めた。
船は順調に航海を続けている。1時間が過ぎた。左手に見えていた国東半島がだんだん小さくなってゆく。右手を見れば、佐賀関の半島の先端とその先の高島が近づいてくる。好天に恵まれたこの日。平日というのに、遊漁船がかなり出港していた。さっきのワンカップおじさんは2つめのワンカップを取りだし、燗つけて飲み出す。「ガハハハハ」とワンカップおじさん絶好調。心からこの釣りというレジャーを楽しんでいる風だった。
更に20分ほど走り佐田岬の灯台が見えてきたところでエンジンがスローに変わった。あわただしく準備に入る釣り師たち。私も釣り座について船長の説明を待った。よしっ、と気合いが入る釣り師たち、私の隣にはワンカップおじさんが入った。


1時間20分でポイントに到着

仕掛けは、べっぷ丸オリジナルの胴付き2本仕掛けだ。針はムツバリのようなネムリが入っている。そのハリにキビナゴをつけて仕掛けを落とすのだ。おもりは100号。まずは90mのタナから始める。「根が荒いところがあるので、気をつけて落としてください。糸ふけが出たらすぐに巻かないと根掛かりしますよ。アラカブのアタリはわかりにくいですからね。プルプルっと来ますよ。アタリがでたら巻いてみて竿にきいてみてください。慣れるまでしばらくこの場所でやってみましょう。」


べっぷ丸オリジナル仕掛け

90mのタナまで仕掛けを沈めるのもかなり時間がかかる。1投目は、アタリなく。仕掛けを回収。餌は盗られなかった。第2投。潮は小潮のわりによく動いている。PEラインが斜めに海中に突き刺さる。隣の人と絡まないように時々リールの糸の部分をサミングする。仕掛けを底まで落とすと、すぐに糸ふけを取り、おもりで底の形状を感じながら探っていく。そこの形状は結構荒い。山あり谷ありの底だ。底ぎりぎりだったのにいつの間にかおもりが浮いている。更にフリーにして落として待っていると、いつの間にか糸ふけが。あらあら根掛かりだあ、とこんな具合に慣れないうちはトラブルが続いた。

釣り初めて3投目ぐらいの7時40分頃、船首付近の釣り人がアラカブ第1号をつり上げた。船内に緊張が走る。かわいいサイズだが本命は本命だ。深海にいるためか、目は飛び出て、色は鮮やかな朱オレンジ色をしている。負けてなるものかとこちらも再び仕掛けを落とす。マイクで船長が水深を伝える。「はいっ、110m」どんどん深くなっていく。なるほどだんだんかけ下がりの底を船はゆっくりと進んでいるようだ。

180m底をねらう
すると、ククッと小さい魚信が竿先に表れた。すぐに電動リールの巻き上げスイッチをONにする。50号ほどの柔らかめのショートロッドが時折叩かれる。間違いない。魚がついている。上がってきた魚は、深さの割に小さな手の平サイズのアラカブだ。小さいが一応本命クーラーに入れる。ホッと胸をなで下ろす。船釣りとはいえ、最初の1匹を釣るまではやはり気が気でない。
「今日は釣れんなあ。調子が悪い」ワンカップおじさんは、まだアタリすらない状況。御神酒が足りないと、再びワンカップを飲み出した。そして、再び弁当をむしゃむしゃ。このおじさん大丈夫かなと心配したが、ここからが、ワンカップおじさんの真骨頂。私が3匹釣ると、その後立て続けに3匹釣り追いつかれてしまった。ワンカップがまるで重戦車のガソリンのような働きをしているよう。がはははは、と高笑いしながら、ついに40cm弱の許せるサイズのアラカブを2連発ゲット。こちらは中々喰わせきれない。心配する必要はなかった。ワンカップおじさんは、お酒が入らないと調子が出ない人人だったらしい。
船は小刻みにポイントを移動していく。ついには180mまできた。つまり、グランドキャニオンの頂上から180m下の谷底へ向けて仕掛けを落とすってことでしょう。想像するだけでも身震いがしてくる。その谷底の隙間に隠れているアラカブを釣るのであるから、マニアにはたまらないおもしろさだ。


やっとで許せるサイズが

10時頃から、アラカブのアタリが途絶えがちになる。代わって、竿を叩くのは、40オーバーのガマガリ(シログチ)だ。釣っても釣ってもシログチばかりが当たるようになった。「これは、刺身でも、焼いても、煮付けても美味しい魚ですよ。」と船長が教えてくれたので遠慮なくキープ。しかし、アラカブは中々当たらない。11時ごろ潮が止まった時、アラカブの喰いが戻ってきた。私にも30オーバーの許せるサイズが訪問を。「おっ、いい型だね。」とワンカップおじさんが声をかけてくれた。声をかけてもらったついでに、写真を撮ってもらうことに。見ず知らずの釣り人からのリクエストにもいやな顔ひとつせずに応えてくれた。
今日は、小潮のわりに潮が動き、特に上潮がすべり、2枚潮、3枚潮でお祭りが多かった。私も折角アタリをとらえたが、となりのワンカップおじさんとお祭りに。「すみません」と船長がほどいてくれている間に、魚は外れてしまっていた。残念と思っていると、「大丈夫」とワンカップおじさんが笑顔で教えてくれる。この沖アラカブは深海に住むので、かなりの水圧に耐えられるような身体の構造をしているそうだ。だから、一度上層まで上がってしまうと、目の玉や浮き袋が飛び出しもう沈むことができなくなるそうだ。案の定、ぷかーっと10m先にアラカブが浮いてきた。船長に頼んで浮いているところまで船を走らせ、玉網で掬う。アラカブという魚は、私が経験した釣りの中で最も往生際がいい魚だったのだった。


本日の釣果

アラカブ7匹 シログチ7匹
小刻みにポイントを代えるものの喰いが今ひとつということで、午後2時過ぎに納竿となった。あまり釣れなかったがその傷ついた心をいつも癒してくれるラーメン屋がある。大砲ラーメンという妙に力んだ名前。べっぷ丸に釣りに来る度に立ち寄る店だ。このラーメンがお気に入りになったのは、味が私が子供の頃に食べていた福岡市箱崎のラーメンの味にそっくりだからだ。グルメブーム、ラーメンブームのおかげでラーメン人口が増えたのはいいことだが、一方では、新興のどのラーメン屋も一般受けする味になってしまう。店も管理化され、接客もマニュアル通りの味気ないものに。しかし、このラーメンはいいね。獣臭いスープ、思いっきり細い麺、元気のないチャーシュー、メンマ。そして、客にこびない接客。どれもが昔の箱崎にあった世界だ。このスープを一口すすっただけで、そのころの情景が浮かんでくる。私にとってソウルフードは博多ラーメンだったのだ。


惨敗して傷ついた心はここで癒すのだ


昔ラーメン 獣臭いスープがうまい

家に帰って、早速調理。帰宅が遅くなったのでシログチのソテーし、シログチとアラカブを造りに。まずシログチから、うん、クロにも似た食感、ちょっと癖があるがほんのり甘みがあり、あっさりしたおいしさで◎。おつぎは、アラカブ。うおー、これは違う。甘ーく、プリプリの食感。うますぎ。高級料亭で出てきそうなおいしさ。明日まで寝かせればもっと旨みが増すだろう。次の日鍋にしてみたが、唇のゼラチンは絶品だった。
深海の大五郎には逢えなかったが、深海の釣りは、こんなにうまい恵みをもたらしてくれるんだ。大分の海の恵みは本当におおらかで、だれにでも分け隔てなく釣り人を幸せにしてくれることを心に刻み、いつかは大五郎に逢える日を夢見てリベンジを果たすことを心に誓うのであった。


刺身対決 シログチVSガラカブ
TOP              BACK