11/10 フィッシャーマンシップについて考える 硫黄島

記録ずくめの酷暑の夏が終わると、秋のすがすがしさを感じることなく北西の風が吹き出した。時は、立冬を過ぎ11月へと突入していた。この時期は、衣替えの季節でもあるが、シーズン制をとっている小学校の部活動では、冬期の部活動へと変わる時期でもある。ソフトボール、バレーボールなどが、サッカーやバスケットボールに変わるのだ。その変わる時期に、体育主任が子どもたちにスポーツマンシップについての指導を行っていた。

スポーツマンシップとは何か。改めて考えると難しい。しかし、それは、だれもがスポーツを楽しむ上で自然と心がけていることだった。スポーツマンシップを一言で言うならば、「尊重」という言葉である。スポーツは楽しさがなければ、中々続けることができないが、その楽しさを生み出すには3つの条件がある。@競争 Aルール そして、B相手である。スポーツというゲームを楽しむには、相手と競争したり、勝ち負けを争うことは、当然のことである。また、ルールを守らなければ試合は成立しないし、そのためのレフリングの重要性もあらゆるスポーツの中で語り尽くされている。最後に、どんな相手と戦うかもとても重要で、極端な例だが小学校6年生が1年生とドッジボールの試合をしようとしてもお互いにモチベーションは上がらないだろう。

スポーツマンシップでいう「尊重」とは、この3つの条件の中で特に相手に対する尊重のことである。サッカーの神様と言われるジーコが1982年のワールドカップスペイン大会でブラジル代表として出場したときのこと。その当時のセレソンは、ジーコなどの中盤の選手に黄金のカルテットと呼ばれるスター選手を持ち、大会前から優勝候補の筆頭にあげられていた。ところが、ブラジルは2次リーグでイタリアにまさかの敗退を喫した。その試合で、ジーコはイタリアの屈強なディフェンダーの反則まがいのマンマークに苦しみ、試合後彼のユニフォームはびりびりに破かれていたという。試合が終わって、帰ろうとしたイタリア代表のバスにジーコが近づき、何と乗り込んできた。イタリア代表の選手たちは、ジーコが試合でのラフプレーに対して抗議をしにきたと思ったそうだが、彼の口から出た言葉は、イタリア代表をたたえる言葉だったという。

同じようなエピソードが日本にもある。元日本代表のDFだった加藤久さんが行ったスポーツマンシップ。ワールドカップメキシコ大会アジア予選で日本代表はあと1勝というところで韓国代表に競り負けた。加藤さんは、うなだれる日本代表の中で、ワールドカップ出場権獲得に、その喜びをウイニングランで表現する韓国代表を見ながら、あることを思い出したという。そのあることとは、同じワールドカップメキシコ大会アジア2次予選で北朝鮮と対戦したときのこと。このゲームに勝った試合の後、ホテルに戻った加藤さんの部屋を訪ねてきた人物がいた。その人物はさっき対戦していた北朝鮮の選手だったそうだ。その選手は、加藤さんに、日本代表の強さをたたえる言葉と自分たちの分まで戦ってワールドカップに出てくれというエールの言葉を送ったのだった。ワールドカップへの道をたたれた直後に加藤さんはそのことを思い出し、喜びを爆発させる韓国代表の選手に向かって、2次予選の時の北朝鮮の選手と同じように韓国代表選手に対してエールを送ったという。

ぼくは中学生の頃、野球部に所属していたが、その当時の監督は野球の技術は教えてもスポーツマンシップは教えてくれなかった。練習試合でも公式戦でも相手のチームや選手を野次るのは日常茶飯事。練習では、気合いが入ってないと、ビンタ、けつバット、けつ蹴りをくり出す先輩やチームメイトたち。相手を尊重するどころか、チームメイトさえ尊重できななかった。こんなチームが勝ち進むはずはなく、中体連福岡市の東区大会を2位で通過するが、市大会では、1回戦でまさかのコールド負け。次の試合で、自分たちと同じようなチームが、試合終了のあいさつ後の乱闘を行うという失態を横目に見ながら平和台球場を後にしたことが青春の苦い思い出として残っている。

今の子どもたちは、本当にその点で恵まれている。スポーツが、「勝てば官軍」から、文化として様々な角度から語られるようになった。もちろん、勝つために努力するのであるが、それは勝つためだけではなく、相手のためにも自分たちは精一杯闘うという「尊重」の意味もあるのだ。それと同時に、そのスポーツマンシップを子どもたちにも伝えなければならない重要な責務が自分にあることも忘れてはならない。今年も陸上部を担当することになった自分は、スポーツマンシップについて子どもたちにしっかり考えさせていきたいと思うのだった。

そんな中、職場の同僚のKOHちゃんからぜひ釣りに連れていってほしいという誘いを受けた。同業者は釣り人口が少ないだけにこれは自分にとってうれしいお誘いだ。KOHちゃんは今年天草から転勤してきた。ところが、天草勤務だったにも関わらず釣りをしたことがないそうだ。KOHちゃんの職員室の席は、私のパソコンの画面がよく見える位置にある。どうやら、私のパソコンのスクリーンセーバーに現れる離島の釣り画像に洗脳されたらしいのだ。しめしめと思うと同時に、釣りというものが楽しいものであるということをKOHちゃんに伝える重要な役目があることに気づいた。釣りが楽しいものであることを伝えるためには、KOHちゃんに釣らせなければならない。ということは、この11月で確実な釣果を求めるなら、船釣りが考えられる。しかし、自分と同じスタイルで釣りをしてくれる仲間を増やしたいという意識が働き、つい出来心で硫黄島に誘う高速船黒潮丸に予約を入れてしまったのだった。


離島の夢ステージのスタートライン

11月10日(土)、大潮。10月、11月前半と天気としては晴天が続いていたが、離島便は10月は3回ほどしか出ていないという。高気圧の周辺部になったり、台風のうねりが入ったりで、11月もほとんど出ることができない状態だったという。離島で確実な釣果なら、タジロ瀬のシマアジ釣りだ。私は、これまでこのタジロにのってシマアジを手にできなかったことは1度もない。それほど、タジロでの釣果は安定していた。だから、この未知の11月でも不安は全くなかった。しかも、大潮。大型の青物が当たってくるかもしれない。「船長、初めての人がいるんですよ。よかったらタジロに乗せてください。」「わかりました。確約はできませんけどね。」と船長。タジロなら足場もいいし、快適に釣りを楽しむことができる。そして、スポーツマンシップがあるのなら、釣りにも同じような尊重の考えがある。それは、フィッシャーマンシップだい。フィッシャーマンシップは、自然や釣り仲間を尊重するってことだよ、なんてことをKOHちゃんの講釈するためには、タジロが1番都合がいいはず。祈るような気持ちで、天気予報を待った。

11月9日、船長からрェ入った。携帯サイトturiナビの天気予報では波高2.5mで、あきらめかけていたところだった。「2.5mというとりますが、出ることにしましたわ。夕方5時の予報を待って、天候が変わらないようなら出ます。2時半集合です。だめなときは携帯に電話しますわ。」小さくガッツポーズしていた。

人吉ICのファミマでKOHちゃんと待ち合わせ、枕崎港に着いたのが午前2時過ぎ。どうやら我々が最後の到着だったようだ。おなじみの関ちゃんも来ていた。荷物を積み込みいよいよ出発。念のために、KOHちゃんに酔い止め薬を飲むように指示。黒潮丸の快適な船内で毛布にくるまって、離島の夢ステージを待つことにした。午前4時20分頃、黒潮丸はエンジンをスローに。平瀬からの渡礁のようだ。平瀬に来るってことは、うねりはそれほど心配することはなさそうである。ところが、「関○さん、潮が速くて釣りにならんよ。やめといたほうがいいと思いますがね。」船長が激流が流れていることを心配して、関ちゃんさんの渡礁を思いとどまらせているようだった。石鯛師だった船長の意見に従い、関ちゃんさんたちは底物の超がつくA級ポイント平瀬をあきらめたようだ。


釣り人の安全第一の黒潮丸

船はしばらく走り、ごつごつした巌をライトで照らした。新島である。「うねりがあるからね。荷物を高いところに置いてくださいよ。」やはりうねりがあり、船もかなり揺れている。船長は、荷物を運びやすいようにライトをしばらく照らしてくれている。「そこの船着けのところの瀬際をねらってください。1ヒロ半くらいに浅くして。だめな時は瀬変わりしますから。」と船長のいつもの的確なアドバイス。私は、この時期に離島のクロ釣りの経験がないため、近くにいた関ちゃんに尋ねてみた。すると、「上げ潮なら、船付けよりも、先の方のワレや高場や、その先にもポイントがあるんですよ。下げになったら、石鯛のポイントの先にもあるんですけどね。でも私ならここではやらないですね。」なるほど、やはりこの時期のクロ釣りは厳しいようだ。

船は、再び全速力で走り出す。かなり走ってうねりのある中エンジンをスローにした。ライトを当てると予想通り底物釣りに定評のある「浅瀬」が現れた。関ちゃんたちがなれた動作で難なく渡礁していった。となると、今度は、タジロに向かうはず。硫黄の臭いが感じられるようになった。間違いない。エンジンをスローにすると、見慣れた愛着のある磯が見えた。「カマタさん」よかった。ねらい通り、タジロに乗れるようだ。KOHちゃんと私は難なく渡礁。


これが撒き餌ですか

初めてなのに落ち着いて見えるKOHちゃんに、撒き餌の作り方、これからの釣りの予定などを話し、それぞれ準備を始めた。時計を見ると午前5時前。KOHちゃんには夜釣りだからおとなしくしててねと言って、自分だけシブダイねらいの釣りを始めた。これから満ち潮。闇夜でシブ釣りには好都合。しかし、潮は手前にあたってきている。仕掛けを入れてすぐに反応があるが、餌を盗られるだけで終わってしまう。エサトリ対策としてカツオの腹皮をつけ餌にした。

釣り初めて30分経過。水平線が紫に変わる頃、手持ちに変えた石鯛竿を突然強烈なアタリが襲った。そいつは重々しく動かない。根掛かりではない証拠に時折竿先を叩いている。これは、尋常でないデカ番だ。そう気づくやいなや、1回目の強烈な絞り込みにあう。グッグッッと容赦なく石鯛竿がつの字に曲がる。竿尻をメタボのおなかに当てて肘を張ってこちらも耐える。何とか1回目の引きを耐えることに成功。来たるべく2回目に備え、ドラグを少しゆるめにする。来た。2回目だ。今度は腰を落として耐える。なぜか、1回目より強い。後ろでは、KOHちゃんがこのやりとりをカメラで撮影してくれていた。磯釣りデビューにすごいのを見せるチャンス。まってなよ、KOHちゃん。両軸石鯛リールのドラグから初めて道糸が出て行くという初体験で、何とか2回目を耐えた。この強さは、きっとアラだ。アラに違いない。相手が弱ってきたのがわかる。フィニッシュは近い。3回目の絞り込みを余裕でため、リールをごりごり巻く。このとき、メモリアルフィッシュを確信して口元はゆるんでいた。


夜明け前の黄金の時間 穂先に集中


よっしゃあ 亀とも知らずに

ところがだ。おかしいぞ引きが。始めはあまりにも強烈すぎてわからなかったが、何となくヒレを動かしての引きとはどうも違う。それに沖へ沖へと鈍い動きを始めていた。もしかして。その悲しい予想は見事的中。浮いてきたのは、メーター級のウミガメさんだったのだ。でたあ。何でおまえなんだよ。私の悲鳴にも似たぼやきがタジロ瀬にこだました。ウミガメは釣り上げるのは不可能。道糸を切って放すしかなかった。腰が抜けたようにその場に座り込む私。玉網を持って立ちつくすKOHちゃん。こうして、悲しくも笑うしかない夜釣りはウツボの釣果を最後にあえなく終わるのだった。


おめでとう 磯釣り初体験 初釣果 でも 白さんだよ!


刺身ゲット 喜びのKOHちゃん

夜が明けた。それと同時に、昼釣りの仕掛けを2人分作って、KOHちゃんにキャスティングや撒き餌の打ち方、アタリの取り方など一通りレクチャーした後、早速釣りを始めた。時計を見ると、午前7時前。満潮まであと少し。ここタジロでは、シマアジが来るのは決まって下げ潮の時だ。上げ潮の時でも釣れないことはないが、どうしてもイスズミの活性が高くなるようだ。だから、今はそう焦ることもない。潮は、アタリ潮で左斜め方向にきている。この潮では釣れないだろう。下げ潮になれば、右沖へと動くはずだから、その時のチャンスまでのんびりやるさ。

KOHちゃんに右側の釣り座を譲り、撒き餌をしながら海の状況を観察していた。KOHちゃんは何も知らずに一生懸命釣っている。よく見ると、期待薄のワンドに仕掛けを入れている。というよりも、竿1本先に仕掛けを入れたいようだが、うまくキャスティングできないために瀬際での釣りになってしまっている。その様子を見ながら、しかたがないなあと微笑んでいると、KOHちゃんがいきなり魚を掛けたようで、やりとりをしている。でも、バラシた。「おしかったね」と声を掛ける。KOHちゃん、興奮気味に笑顔で応える。初めて魚と交信できたようだが、たぶんイスズミだろう。余裕で、自分の釣りを始めようとすると、再び、KOHちゃんの竿が曲がっていた。今度は、玉網を持って駆けつけた。竿先の動きからイスズミと確信。浮いてきた魚は、キロオーバーのイスズミだった。何とか浮かせたKOHちゃん。すぐに玉網を掛けてあげる。KOHちゃんが興奮しながら聞いてくる。「これ何という魚ですか」「これは、イスズミというんだよ。でも、食べても美味しくないようだから持って帰らないけどね。」残念だけど、リリース。でも、KOHちゃんは、初めての釣果にうれしそう。「初めて釣りましたよ」しばらく魚を釣った余韻に浸っているようだった。

わかるなあ。その気持ち。私も初めてチヌを釣って魚の引きの手応えのすばらしさに魅了されたっけ。潮は相変わらず、手前におっつけていた。下げ潮になるまでの我慢だ。そう言い聞かせていると、再びKOHちゃんが魚とのやりとりをしているではありませんか。どうせイスさと無関心を装っていると。意外な魚が浮いていた。黄色いしっぽのヒラアジだ。こんなのいるのかよ。あんな瀬際に。振りあげて、「これなんですか」と聞いてきた。「これはヒラアジだよ。おめでとう。刺身でも塩焼きでもいけるよ」奥さんは、中学高校の家庭科の免許を持っており、料理は得意とのこと。よかったね、KOHちゃん。

KOHちゃんが釣ってホッとした。自分ばかりが釣れて、KOHちゃんが釣れなかったらどうしようと考えていたからだ。これで、自分の釣りに集中できるぞと、以前上げ潮でも釣果のあった付近を丹念に攻めてみるが、釣れてくるのはイスズミだけだった。偏光グラスで海の中を観察するが、おびただしい数のイスズミがいる。しかし、イスズミの中に黄色いしっぽの魚も見え隠れする。下げ潮になれば、きっと魚の喰うスイッチが入るさ。そう考えて再びKOHちゃんを見ると、またまた魚とのやりとりをしている。しばらく観察していると、今度はアジ系のしっぽでも細長い魚体だった。最近このタジロではおなじみの魚ムロアジだ。40cm近いムロアジとしては良型のサイズ。満面の笑みでカメラに収まるKOHちゃん。「刺身ゲットですね」と声をかける。

でも、内心は穏やかではなかった。なんであんな瀬際で喰うんだよ。こちらは、釣れてもイスズミのみ。関ちゃんさんの連れのuemotoさん直伝のサビキ釣りをやるものの、ブダイ、イス、そしてデカ番の熱帯魚とゲテモノオンパレード。満潮を過ぎても本命釣果なしだった。そろそろ下げ潮が走る頃だが、一向にアタリ潮は変わらない。午前8時過ぎ、ようやく私も左の根の際でムロアジをゲット。ホッとするもつかの間、KOHちゃんが魚を掛けている。今度もムロアジ。おいおい、どうなってんだよ。私はイスだらけだが、KOHちゃんは、準本命のアジ系の魚をあげている。


おいらはゲテモノ専門? 2kg近くあったよ


今日は どうなってんの?

下げ潮になればという合い言葉が、時間の経過とともにだんだん落胆に変わっていく。それまで見えていた魚の姿が見えなくなっていた。そのうち魚からの反応が途絶えてしまった。つけ餌が残るようになったのだ。つけ餌を触っても冷たい。潮もいつまでたってもアタリ潮だ。いくらアタリ潮でも潮目があったり、いくらか潮が動くところがあるはずだが、どこを攻めても、またタナをどう変えても魚を捕らえることができなかった。10時が過ぎ、11時が過ぎ、そして、12時になり潮は一向に変わることなく納竿を迎えてしまった。協力して片付け回収を待った。12時45分に黒潮丸がやってきた。「どうでしたか」「撃沈」「何?」説明するのも億劫になってしまった。初めてだよ。タジロでシマアジが釣れなかったのは。


本命の下げ潮で 試練が待っていた


必ずリベンジするぞ タジロ!

港に帰って、船長と話した。「今日はね。上げ潮は24度だったけど、下げ潮が19度でね。石鯛の釣果も全部上げ潮でだよ」今日の底物師の全員に釣果があり、大瀬では、本石とガキを2人で7匹が竿頭。上物は我々を含め4人ともに撃沈という結果に。関ちゃんたちもしっかりと本命をゲット。「ずっと、アタリ潮ならどうしようもないですねえ」と慰めてくれた。私は、ヒラアジとムロアジで2匹。KOHちゃんはヒラアジとムロが4匹という結果。磯釣り初心者に負けるという大失態。「こんなに貧果は初めてだよ。いつもは、もっと釣れるんだよ。」必死でKOHちゃんに今回の釣りが特別悪い状況だったことを説明する。船長も「まあ、2回釣りしたら、1回は大釣りするところだけどな」とフォローしてくれた。しかし、KOHちゃんは、「いや、魚も釣れたし楽しかったですよ」とコメントをくれた。う〜ん、磯釣り初心者のKOHちゃんに自然を尊重するフィッシャーマンシップを教えてもらったような気がした。「また、リベンジします」「水温が20度くらいになるとね。クロが釣れるよ。年末あたりになれば必ず水温が下がってクロが大釣りできるから、ヤクロでね、瀬際ぎりぎりに仕掛けを入れて、1ヒロくらいの浅いタナで釣れるよ。」と船長が元気をくれる一言を。ヤクロ瀬とは硫黄島の南にある凪の日しか乗れないA級ポイント。今度ここに来るときは、北西の風が身にしみる頃かな。再び硫黄島の岩場を踏むことを誓い港を後にするのだった。


本日の釣果




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