1/6 初釣りの一番の成果とは 中甑 鹿島

2008年が明けた。去年の年末は散々だった。例年だと12月に入る頃から、寒グロのハシリがはじまり、中旬から年末にかけて本格シーズンインなのに。今年は、15日に何とか無理矢理行った甑の船釣り(鰤釣り)で惨敗を喰らって以降、全く天候に見放されてしまった。体調準備とも最高潮の状態で臨んだ硫黄島のクロ釣りは、12月22日、23日、24日と3連休すべて時化。寒波の到来によるものではなく、南海上にある低気圧が原因だった。続く29日、30日、31日は、今度は今冬一番の寒気団の到来の結果平地でも雪が降る天候でこれも3日連続の討ち死に。その寒気団は正月まで居座り、やけくそで予約した1月2日の硫黄島1日釣りも吹っ飛んでしまった。これで7日連続の中止決定。

この年末年始の天候不順で最も打撃を受けたのは、釣り師ではなく、渡船業界ではないか。特に共通の休日しか出港できないことが多い離島の船は、年末年始は稼ぎ時のはず。「このままやっていけるのだろうか」こんな声が、中止を知らせる電話口の向こう側から聞こえてきそうだ。更に追い打ちをかけるように、原油の値段が高騰。昨年は、渡船料金の値上げで何とか急場をしのいできたが、これから更に上がると言われているそうだ。NYの市場では原油高の最高値を記録。原因は、海外の投資家たちがこぞってオイルマネーに目を向けているため、どんどん値がつり上がっているとのこと。弱肉強食の海外市場だから、自分がやらなければやられる世界。競争して生き抜くためには仕方のないことかもしれない。しかし、自分の利益だけで行動していくと世界経済の混乱をもたらすことは、今まで我々の先人たちが歴史という人類の財産で証明してきてくれたではないか。世界経済の混乱の究極の副産物は戦争であり、そこまでいかなくとも、その混乱は巡り巡って自分に降りかかってくるのだ。

自由競争の市場原理と言えば聞こえはいいが、自由とは自分さえよければいいということではないはずだ。このまま原油高が続けば、中小の事業所からつぶれていくのは必至。渡船業界も危ない。いつの世も、そのあおりを受けるのは、力は弱いが実直にやっている職人気質の人たちだ。この問題は我々庶民にはどうにもできないこと。やはり政治の力を待たなければならない。いっそ釣り関係者だけを集めて新しい政治結社「釣り党」などを作り、「石油の値段を110円台にします」といったマニフェストを掲げ、来る選挙に打って出ることはできないかなんていうこともあながち非常識ではなくなってきている。全国に3000万人ほど釣り愛好家がいるらしいから比例区に九州地区は栗の助さんを、中国四国地区は、磯釣りの神様松田稔さんを、関西中部地区は、平和卓也さんを、関東東北北海道地区は、鵜澤名人を立てるのはどうだろう。メーカーは違っても同じ釣りを愛する仲間ということで大同団結できないか。でもよく考えれば、ヘラブナ師、渓流釣り家、陸っぱり派、ルアーマンなどからも賛同が得られるだろうか。こんなばかばかしいが現実味のある初夢を見ながら、2008年子年が開幕することになった。くよくよ考えても仕方がない。自分が今できることをやっていこう。そんな思いで、2008年の初釣りを恒例になっている甑島の鹿島でuenoさんとともに今年の釣りを占うことにした。


年末年始のうっぷんを晴らす時が来た 串木野港

こんな人間界の迷走を知ってやしらずか、海の生きものたちは、悠々と46億年の地球の歴史を刻んでいる。水温も順調に20度を下回り、磯に冬の到来を告げる磯海苔がつき始める。毎年のことだが、この自然現象が日本中の磯釣り師を一喜一憂させることになるのだ。磯についた海苔を食べに、深場にいたクロが浅い磯場までのっこんでくる。一年中ほとんど住みかを変えない居付きのクロと一緒になって、磯場は賑やかになる。また、たまに本流の通す場所では、しっぽのきれた尾長グロが釣り師を虜にするのだ。しかし、魚も人間の登場で学習し、近年中々釣り師の差し出す餌を食べてくれない。ハリのついている違和感のある餌とそうでない餌をしっかり見分けができるようになってきた。こちらも負けじと手を変え品を変え挑む。魚も仕掛けが太いと見向きもしないし、細ければぶち切っていく。この人間と魚との互いに高め合う相関関係が釣り具メーカーの開発のエネルギーとなったことは紛れもない事実である。魚が何万年という長い間、ずっと続けられているこの生物の営みの中で、少しの間遊んで欲しい、そして、すこしだけその食物としてのおこぼれを頂きたいのだ。

ところが、このところクロの食いが悪いという情報があちこちで聞こえてきた。クロの宝庫である甑島でも釣りナビの情報では、12月に入っても「回復待ちというところ」「これから渡りがはいればよくなるでしょう」「水温低下が待たれる」「時化明けの釣果に注目だ」という文言が並ぶ。uenoさんも年末の12月27日に波予報3mの中、甑島の鹿島へ釣行。実際は1mほどのの凪ぎだった西磯で500g〜700gのクロを3枚釣ったとのこと。「喰いの渋かったバイ。他のもんもあんまり釣れとらんかった。ダンガイだけは10枚くらい釣れとったばってん。」鹿島と相性のいいはずのuenoさんもかなり苦戦を強いられたそうだ。

釣り師にとって芳しくない情報の中、年末年始の大時化で、みんなの関心が時化あけの釣果に集まったことだろう。しかし、その結果は、釣り師を落胆させるものだった。甑島里では「水温18.5度、クロ30〜35cm釣る人1〜2匹」、手打では「水温19度、クロ30〜45cm釣る人4〜5匹、水温低下でクロの食いが渋く、釣果は全体的にムラが目立った」とあった。時化で海の中が混ざり好転すると思えたが、結果は水温低下による喰い渋りだった。しかし、初釣りをやろうという今の自分に選択の余地はない。この時期、かなりの混雑が予想されると考え、12月中旬から予約していた鹿島行きの誠芳丸にかけることにした。

1月6日(日)上り中潮2日目。天気予報は快晴微風べた凪の3拍子。今回は、無理して7日まで休みを取り、1泊2日釣りを計画。これまで、1泊2日釣りを何度となく計画したが、用事のない休日が2日連続で好天、凪ぎになるということは今まであまりなく、ことごとく中止に追い込まれた。過去のデータを調べてみたが、瀬泊まりで実現できたのは、過去4回しかなかった。2003年の北浦、2004年、2005年、2006年の硫黄島である。しかし、今回は週間天気予報が1泊2日釣りを推奨しているようだった。気温も上昇し、快晴の予報。我々二人は何の心配もせず、6日0時に人吉を出発した。

午前2時前に鹿児島県串木野港に到着。誠芳丸がつけるのは、海上保安庁の船が停泊している反対側の岸壁。早くも離島へのロマンを抱いた鹿島行きの釣り師たちの車が、隊をなして止めている。荷物を一カ所に集めてたばこを吸っている者、にこやかに談笑している者、戦闘服に着替えている者、ただただその時を待ちじっとしている者。みな、クロ釣り師のようだ。我々も負けじと荷物を一カ所に集めて、準備を行い、船を待った。

やがて、軽ワゴン車が近づいてきた。車から降りてきたのは、毛糸の帽子を被った強面のN船長だった。「船を着けますから、車は、このあたりにとめてください。あっ、鎌田さんお久しぶりですね。」相変わらず人柄の良さを振りまくN船長の指示は素早く的確だった。みな言われるとおりきちんと車をそろえて並べる。釣り以外の場所では、みなそれなりの役職に就き、人を指示したり、重要な仕事を持っている釣り師もいるだろうが、この世界では、船長が絶対的権限を持つ、それがこの船に乗船する者の掟なのだ。

船はきらびやかな灯りを放ちながら、ゆっくりと岸壁に着けた。見えない糸で結ばれている釣り師たちは、いつもの共同作業で荷物を手早く乗せていく。アルバイトのポーターの少年もせわしく動き回っている。今日も多くの釣り師を飲み込んだ誠芳丸が予定よりかなり早く暗闇の串木野港を離れた。暗黒の海をひた走る誠芳丸。今まで経験したことのないような凪ぎの海の航海。久しぶりの快適な船旅だ。「こら西磯に行けるかもしれんなあ」船が串木野港を離れれば離れるほどuenoさんの口元がほころぶ。

コンサートを待ちきれないというような心境で、ひたすら耐えること90分。ようやく誠芳丸は、エンジンをスローにした。本日は、闇夜。あわててキャビンの外に出て場所を確かめる。そして、しばらくしてやっとここが中甑島と下甑島の間にある蘭牟田の水道ということがわかった。船はゆっくり旋回しながら、船長が最初の釣り客を呼ぶ。「○○さん」しかし、○○さんは爆睡しているのか、中々出てこない。「○○さん」と船長が何度も呼んでいる。白いポールのようなものがあり、もうすぐ満潮を迎えようとする海に飲み込まれそうな低い瀬だ。ハシリの時期にクロがよく釣れるヘタの瀬上である。瀬泊まりの客がいるようだが、船はその手前につけた。やっとで起きてきた○○さんはようやく渡礁。

次に、船は反転し、下甑島に沿ってしばらく走った後、地磯に近づいた。斜めに走る地層の縞模様の磯に二人の釣り師を乗せる。夏の夜釣りで乗ったことのある鳥の巣だ。ということは、この後、円崎灯台の先にある、我々が最も乗りたいと思っている灯台下への渡礁だ。どきどきしながらその時を待った。しかし、呼ばれたのは違う人たちだ。釣りクラブの仲間たちのようだ。船着けに3人、高台に2人を乗せた。灯台下と同じくらいの実績があるネンガ瀬には瀬泊まりの先客がいた。


2日釣りなのでこの時はまだ余裕のuenoさん

残念、灯台下には乗れなかったか。でも、この後も魅力いっぱいの西磯が控えている。それに我々は2日釣り、焦る必要はない。船は島に沿って進んでいる。そして、恐ろしく切り立った断崖に船を着けた。これも一度乗ったことのあるダンガイのスベリである。uenoさんによれば、この場所もこのところ結構釣れていたそうである。「船着けを釣ってください」船長もそれぞれ簡単にアドバイスを入れる。そして奥の断崖に2人ほど乗せた後、「uenoさん」と声がかかった。よっしゃ、どこに乗せられるのかな。船が向かった先は、比較的高さのある独立礁で、足場の悪そうなところだった。船首が磯に張り付いた。すばやく渡礁。荷物を受け取った。渡礁した場所が、山の中腹部分のようなところだったので、荷物を上の段まで上げることにした。下を見ると足場の良さそうな釣り座らしきところがあるが、濡れていたところをみると満潮付近は波を被るかもしれない。道具を全部上の段に置いて正解だった。時計を見ると、午前5時半を回っていた。

我々は早速キャップライトの明かりを頼りに、仕掛け作りに入った。「おいどんは、今年はついとるな。2日釣りは中々できんかったけんなあ。」uenoさんが感慨深げにうれしさを表現していた。uenoさんは2日釣りの経験は私よりもっと少ない。うれしさをおさえながらの仕掛け作りだ。竿はがま磯アテンダー2−53、3号の道糸に、2.75号のハリスを2ヒロとる。ハリは鬼掛の浅ダナグレ6号結んだ。闇夜のため状況がよくわからないが、サラシもそれほど強くなく、風もまったく吹いていない。更にタナもまだよくわからないので、とりあえず様子を見ようと、ウキはプロ山元G2・Sタイプをチョイス。2ヒロ半の半遊動から始めることにした。

仕掛けができると、今度は撒き餌だ。オキアミ半角に集魚材の定番グレパワーV9を1袋、パン粉2kgを混ぜ半日分とした。とにかく魚を浮かせて釣るという作戦なのだ。撒き餌が完成したのが、午前6時前。早速、釣り座の予定になっている左隣のワレの部分に少しずつ間断なく餌を撒いた。uenoさんも撒き餌が完成したらしく、私の右上の段に陣取り撒き餌を始めた。私は、ビール片手に飲んでは撒き、撒いては飲む。夜が明けてから始まるドラマのために。

6時半頃、水平線にまもなくやってくる白い朝が見える。わずかな光で波の形が見えだした。サラシが白いということが、わかるようになってきた。まもなく夜明けである。撒き餌を続けて1時間過ぎた。すっかり明るくなり、ウキが視認できるようになってきた。「もう釣ろい。もうろかろう。」せっかちなuenoさんが予想通り動き始めた。午前7時15分、記念すべき2008年の第1投。朝のさわやかな空気を胸一杯に吸い込んで、アテンダーを振りかぶり、遠心力と竿先の反発力により、久しぶりの登場であるプロ山元G2の赤朱色は、深き藍色の海に突き刺さった。

2008年第1号 ってこれだけかよ


満潮は7時9分、満潮の潮泊まりを予想していたが、意外や意外潮は斜め右沖にいい感じで流れていく。足下に入れた仕掛けは少しずつ沖へと進んで行こうとするところで、ウキが突然斜め左に走った。油断していて対応が遅れた。あわせを入れると力強い引きが手元に伝わった。なんだこいつは。魚が走った反対方向に移って応戦体制に入る。ところが、左下のオーバーハングに逃げ込んだ奴は、出てこなくなってしまった。竿をあおったり、糸を緩めたりしながら魚を引きずり出そうとするが、どうしても出てこない。5分ほど待って、再び道糸を緩めて奴が出て来るのを待ったが、浮いてきたのはなにもついていない仕掛けだった。ハリハズレをやらかしたらしい。ついでにハリスが瀬ズレを起こしていた。2008年、いきなりこんな失敗で幕開けなんてしょうがないなあ。ハリスをつけ直して第2投。餌は盗られない。おそらく足下がオーバーハングになっていて、そこからクロが餌を拾っているに違いないと、まずは瀬際ねらいとした。

タナを3ヒロ、3ヒロ半と深くしていくと、餌が盗られるようになってきた。餌を撒いても何も見えない、この時期必ず見られるキビナゴのような小魚1匹見えない。餌を盗っているとしたらクロとしか考えられない。もしかして喰い渋っているのではあるまいな。早くもG2の半遊動に見切りをつけ、釣研から出ている全遊動Xシリーズ0号のウキをチョイス。ウキ止めをとって全遊動とし、餌が自然に落ちていくよう、そして、餌を口にした時の違和感をできるだけおさえようとした。

しかし、それでも中々食い込みにいたらない。魚が餌をさわっているようなのだが、素バリの繰り返しだ。そこで、今度は魚が餌をくわえたときのわずかなアタリがとれる遠矢グレ0号の全遊動とした。潮はいつの間にか、釣り座に対して右に平行に流れている。遠矢グレに変えた途端、すぐに反応が表れた。ウキのトップが5cmくらいしもった。逃すものか。その瞬間するどくあわせを入れる。喰わせた。竿が美しい弧を描く。手前に寄せて浮かせると、釣り師をがっかりさせる魚が浮いた。ぎらりと光るイスズミだった。こいつは歯が鋭く、ハリスを傷つけるのでやっかなエサトリだ。だが、エサトリでも釣れるということは、釣り師に新たな情報を与えてくれるということだ。イスズミの近くには、クロがいることが多い。クロはいるはずだ。ハリをつけ直し、仕掛けを入れる。今度も瀬際ねらいだ。さっきと同じように、仕掛けを流していく。すると、さっきと全く同じようにウキのトップが5cm沈んだ。再びその瞬間あわせを入れる。今度も何か喰ったぞ。しかし、竿先を叩いている。またイスかあ。足下のオーバーハングに逃げ込もうとする魚をアテンダーの剛竿力が立ちはだかる。あっという間に浮かんだ魚は、うれしい訪問者だった。「クロだ。クロ。」40cmクラスだ。(実測39cm)アテンダーの力を信じて振りあげた。


何も見えんバイ

「おっ、鎌田さんよかなあ」uenoさんが祝福してくれる。ハリを飲み込んでいた。タナが深すぎたか。時計を見ると丁度7時半。第1号としてはさい先のいい釣果だ。「ウキは何号な。」「タナは?」「ハリは」「ハリスは何号?」「ウキが消し込んだな」「ガン玉打ったね。」uenoさんは次々に聞いてくる。uenoさんも早く2008年初釣果を拝みたいようだ。海はべた凪だが、釣り座の前の海は、波がありざわついた感じだ。ということは、足下はかなり根がきついのではないか。やはりポイントは足下だな。更なる獲物を求めて竿を打ち振り続けた。

ところが、これから全く釣れない時間帯が続いた。相変わらず魚は見えず、釣れる魚といえば、イスズミが2匹ほど遊んでくれただけ。どうなってんだよ。納得いかないと仕掛けを変えるの繰り返し。遠矢グレの後は、最近売れているという、ソルブレのGスピアーBで挑むが、これも効果無し。どうやら完全に喰い渋っているようだ。魚が食うタナも竿1本、1本半、2本と深くなっていった。喰い渋り対策の引き出しの最後は、00号の沈め釣りだ。これで何とかあたりは出るようになったのだが、ウキが沈むスピードは本当にもどかしい遅さだ。ウキが見えなくなるまで我慢してみるが素バリ。ならば早合わせとやってみるが効果無し。道糸を張って張りまくる作戦も肩すかし。どうすりゃいいのさと、焦っていると、今度は潮が2枚潮に。


潮が変やなあ

潮にまで見放されると打つ手がない。潮の動いているところはないかと遠投を開始。20分ほど頑張るが、釣れたのは、サンノジのみ。uenoさんは未だエサトリの釣果さえないという厳しい状況だ。「この前(12月27日)より喰い渋っとるバイ」吐き捨てるように。uenoさんが呟く。しかし、二人ともどこかで、釣れないにもかかわらず余裕だった。10時半頃見回りにやってきた誠芳丸のN船長が、「uenoさん、瀬泊まりだったですよね。昼からは、灯台下に乗せますから準備しておいてください。」やったね。昨年の尾長ラッシュの記憶に新しい超人気ポイント灯台下。これで、この場所で一生懸命釣る理由がなくなった気がした。後は、回収の1時半までにできるだけ荷物をコンパクトにまとめることのほうが大切な作業に思えた。

本日の釣り座


サンちゃん 君じゃないのよ


この後、大物ブダイと思われるとんでもない強いアタリが3回あり、バラシに終わった後、12時を回ったので早めに片付けることにした。uenoさんも12時前ようやく第1号の釣果イスズミを釣り上げた後、灯台下に行く準備を始めた。私も新しい撒き餌を準備し、瀬替わりの後、すぐに釣りができるようにした。午後1時15分、誠芳丸が回収にやってきた。船を着けた後、船長がuenoさんを呼んだ。「uenoさん、瀬泊まりは中止にしましょう。朝から80%、南西が11mと言っとるんですよ。」えーっ、思わずずっこける私。つい3時間ほど前、灯台下に乗せるっていったじゃないの。ぼやいても仕方がない。一番がっかりしているのは船長だから。この勇気ある決断に従うしかない。いらなくなった薪、大量の食料が入ったクーラー、湯沸かしポット、マット、寝袋、そして満タンになっていた撒き餌などを船に積み込んだ。

船に乗ったところで力が抜けた。「uenoさん、これ定置にかかっていたクロです。持って帰ってください。」さすが、N船長。さっきまで行けると言っていたのに、中止したのを、申し訳なく思ったようで、定置網にかかっていた40オーバーのクロを5匹プレゼントしてくれたのだった。釣り人の気持ちになって仕事をしてくれるN船長ならではのサービスだった。ありがとうございます。

uenoさん 中止しましょう ガクッ


お世話になりました ヘタの池屋




釣れたろかい

憧れの灯台下 本当はここに瀬替わりするはずだったのに


2008年初釣果 今年も釣り日記をよろしくね


船は、次々に釣り人を回収してまわった。その途中でN船長に我々が釣りをした場所を尋ねた。「あそこはですね。ヘタの池屋といいます。」何っ!HETA?そうか、我々が釣りをした場所は、我々に最もふさわしい名前だったようだ。

自分たちの引き出しの少なさを痛感させられた今回の釣行。2008年初釣りは波乱の幕開けとなった。uenoさんは、どうせ釣れんなら阿久根あたりに行こうかなあ。釣れんでも腹がたたんけん。uenoさんは、相性のいいはずの鹿島で初のボウズ。そして、突然の2日釣り中止のダブルパンチですっかりへこんでしまっていた。しかし、私はもうすでに心は次回の釣行にとんでいた。そうです。釣りという業は、1つの釣りが終わった瞬間から次の釣りが始まるのです。

次の日は、失意の時間を過ごした。なぜなら、降水確率80パーセント、波高2.5mという大荒れの予報にもかかわらず、7日の天候は曇りのち晴れ、当日の波の予報は1.5mと穏やかだったという。天気予報は当たらないことを再確認したことが今回の釣りの一番の成果だった。


今回の料理

クロのしゃぶしゃぶ
クロのにぎり
クロの造り
クロの皮の湯引き

寒グロはあまーい





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