4/13ただそこにいるだけで 下甑手打

 葉桜の季節が過ぎ、いよいよ新緑の春を迎えようとしている。秋の紅葉も楽しいが、春の新緑の山も中々いい感じだ。ところどころに紫色の藤の花が山に一層彩りを与えている。わが職場は山の中にあり、観光客がその新緑を求めて多数やってくる。もうただそこにいるだけで幸せな気持ちになる。これが観光客の共通の思いではないか。

 さて、釣り師の間でもただそこにいるだけで幸せという場所がある。特に磯釣り天国九州にあって、4月1日という暦を心待ちにする磯釣り師が多数いる。その磯釣り師憧れの場所とは、下甑手打である。南九州の磯釣り師なら一度は乗ってみたい憧れの磯手打西磯。この釣り場が憧れの場所になるには理由がある。手打西磯一帯では、甑島の伝統のクロのパン粉漁を守るために、11月1日から3月31日までは、地元の漁師しか魚をとることができない。つまり寒グロの最もいい時期に禁漁期間になるため、魚の資源が守られることになる。そして、4月1日から一般の釣り人にもその釣り場が開放される。解禁後しばらくは、驚くほどよく釣れるので、磯釣り師の間では、時候の挨拶になるほどお馴染みの磯なのだ。また、この一帯は潮通しが抜群によく、特に石鯛や尾長の実績が高い。早崎のハナレ、大介、上の村瀬、下の村瀬、断崖、二つ張りなど、よだれが出そうなポイントが目白押しなのだ。

 ああ一度は乗ってみたいこれらの磯にはこれまで何度となくチャレンジしようと試みるが、この一帯に近づくことさえできなかった。時化、それから客の多さで乗る場所がないというのがその理由だ。ところがチャンスがやってきた。PTA総会の代休で月曜日が休みになる。土日には到底上がれそうにない磯でも、平日なら可能性があるのではないだろうか。こう考えるといてもたってもいられず、手打西磯へ誘ってくれるFナポレオン隼に電話してしまった。4月解禁の時点で、すでにGWまでの土日はすべて予約でいっぱいだという隼だが平日なら空いているという。しめしめ、あとは天気だな。祈るような気持ちで天気予報にくぎ付けの日々を送った。「出ますよ。2時集合です。」やった、ついに夢にまで見た手打西磯に行けるぞ。ウキウキ気分で準備に取り掛かった。


アドレナリンは大量噴出されている 隼いよいよ出船

 午前1時過ぎに串木野港に到着したが、驚いたことにすでに出港の準備が整おうとしていた。全身からアドレナリンを噴出させながら磯釣り師たちが出船準備にあわただしく取り掛かっている。ここだけは時間が速く流れているような錯覚を起こしてしまう。あわてて着替えて荷物を船に積み込んだ。本日の客は船釣りを含めて20名ほど。とても平日とは思えない盛況ぶりだ。釣り人の恐るべしアドレナリンは、2時集合という中で1時45分出港というとんでもない先走り状態で隼を港から離れさせたのだった。

 堤防を過ぎるとエンジンは高速回転になる。ここから船が揺れ始めるのであるが。この日はほとんど揺れることがなかった。風もほとんど吹いていない。これなら時化やすい手打西磯といえども凪だろう。安心するが早いかいつの間にか眠っていたらしく、自分の体内時計が手打西磯に近づいたことを感知してくれた。ほどなくエンジンがスローになる。よっしゃあ。どこからともなくこんな声が聞こえた。静から動に変わる瞬間。磯釣り師たちがキャビンの外へと這い出していく。

 「ここはどこやろう。」福岡からおみえの釣り師が独り言。下り中潮初日。まだ月が明るい中で人間の灯りを見つけた。深く入り込んだ湾の奥に人家の灯りがぼんやり見ている。その港から左に視線を移すと見慣れた巌が見えた。はるか遠くに見える巌は紛れもなくナポレオン岩だった。その情景を手掛かりに我々がいる地点は、片野浦であることが判明。船長の奥さんが「○○さん、準備してください。」と声をかける。いよいよ最初の渡礁が始まった。最初の瀬上がりは片野浦の沖磯「オキオサ」だった。解禁になったばかりの手打西磯はまだ本来の釣果ではなく、かえって片野浦の方が釣れている。ここも尾長の実績が高いところだ。先日は喰い渋る手打西磯をしり目に、20〜30枚釣れたらしい。上物師2名が軽快な足取りで渡礁していった。

 うーむ、とうことはいよいよこれから手打西磯へ行くということだな。心臓の音がだんだん高なっていく。果たしてどこに乗せてもらえるのだろう。船は暗闇の中でもわかるほど三角錐の目玉焼きの形をした磯の前でエンジンをスローにした。どこかで見たことがあるぞ。もしかして。それが、釣り雑誌に紹介された記事を生唾を飲み込みながら見ていた憧れの磯「早崎のハナレ」であることに気がつくのにそう時間はかからなかった。手打西磯のなかでも最も人気のある磯といっていい。正に、ただそこにいるだけで幸せという場所である。さあ誰に声がかかるのだろうと思いきや、すでに瀬泊まりの先客がいたようだ。3人の釣り師が夜明けの尾長ねらいに集中しているのに我々の船を見つけ「何だおまえらは」というオーラを放っていた。早崎のハナレは思ったより小さく見える。船はしばらく考えていたが、エンジンを高速にして南へ下った。早崎より南もいいポイントが目白押しだ。船は、しばらく走ったもののすぐにまたスローになった。船長がライトを当てて瀬泊まりがいないか確認している風だった。下村瀬で釣り師を下ろすと、その近くの地磯、断崖、上村瀬、大介と磯釣り師なら一度は乗ってみたい有名ポイントに次々と乗せていく。残り5人となったところでようやく奥さんから声がかかった。「カマタさん準備してください。」早崎のハナレが目の前に見えたが、残念ながら舵は違う方向へと船を走らせた。船は大きな地磯の壁のようなところにつけた。斜めに切れ込んでいる岩肌に飛びうつると、荷物を受け取った。手打西磯解禁直後に初めて乗せられた磯は「早崎の地」であった。


乗った磯は 早崎の地

 いよいよ来たんだという思いでしばらくは武者震いが止まらない。時計を見ると午前5時半。急いでタックルを準備した。竿はダイワマークドライ遠投3号、道糸5号、ハリス6号で夜釣りにトライ。夜尾長は撒き餌を利かせることが大切と撒き餌を大量に撒き魚の反応を待った。アタリがないのでエギングを試みるが反応がない。ほとんど餌をとられることなく夜明けを迎えた。
 
 夜が明けていくとここにいるだけ幸せ感が体を支配してしまう。釣り座から右に早崎のハナレ、左に大介、さらに左奥には、上村瀬が見える。磯釣りをしない人にとってはただの磯場だろうが、磯釣り師にとってはそこに上がるだけでも幸せな場所なのだ。夜が明けてしまったのでハリスを4号に落とし、まずは瀬際を狙う。浅いタナでは一向に餌を触られないのでタナをどんどん深くしていった。魚がいないことに一抹の不安を覚えたところで、うきがやる気のあるスピードで消し込んだ。合わせるとキロオーバーの魚らしい。上がってきた魚はヘダイだった。


目の前に あこがれの地早崎のハナレが見える


石鯛師憧れの磯 大介


お前は誰だい! へだい!

「お前は一体誰だい」と魚に突っ込みを入れると、「おれはヘだい」と言ったような感じがした。外道だが、魚が釣れてとにかくほっとした。ところが、魚からの反応はそれっきり。今日はかなりシビアな釣りになりそう。1匹1匹を大切に釣る釣りになりそうな予感がしていた。仕掛けを回収すると冷たいつけ餌が戻ってくる。「これは今日はかなり厳しい釣りになりそうだ。」 とにかく餌を撒いて魚を寄せよう。活性を上げようと撒き餌を続けた。
 1時間が経過。餌は全くとられない。1時間半まで粘るが一向に魚の姿が見えない。潮は早崎の地からは沖向きの大介方面にいい感じに流れている。いい潮なんだけど。魚は喰わない。1本半、2本とどんどんタナを深くしていった。それでも喰わない。どうなっているんだよ。焦りが体を支配し始めた。しかし、ここはかの手打西磯。きっと納竿までにドラマが待っているはずとあきらめずに仕掛けを打ち返した。
 午前9時過ぎに、餌が取られ始めた。沖アミの頭をわずかにかじったりしていることから、口太が喰い渋っていることが予想できた。今尾長狙いでハリスは3号。口太釣りなら迷うことなくハリスを落とし、ウキの浮力を極限までに殺した仕掛けで喰わせるということもするのだが、今日はせっかく手打西磯に来れたのだから、完全な尾長狙いで行こう、そう心に決めたのだった。


奥に尾長の1級ポイント上村瀬が見える


早崎のハナレも今日は音沙汰なし

 午前9時半ごろが満潮。ここまで竿2本くらい仕掛けを入れてようやく餌を少しかじられる程度だった。満潮の潮止まりに向かって潮が止まりかけたそのとき、30mほど流したウキが突然視界から消えた。道糸がいきなり走る。反射的に竿を立てて踏ん張る。よしっ、魚のサイズはそれほどでもなさそう。沖の根に触れないように魚を慎重に足元に寄せた時だった。そいつはいきなり手前に突っ込み始めた。しかし、こちらは3号竿だ魚を弱らせれば自然と浮いてくるはず。ところが、魚を浮かせにかかったところで竿は緊張から解き放たれてしまった。痛恨のバラシ。仕掛けを回収するとチモトからぶち切られていた。せっかく足元まで寄せたのに。

 再びまったりとした時間だけが過ぎていく。早崎のハナレは底物師が1名、上物が2名、大介は底物師が2名という布陣のようだが、その名礁に乗っている釣り人が竿を曲げるところを目撃することはなかった。10時過ぎ、再びさっき魚をかけた地点で再びウキが一気に消し込んだ。道糸が走る。竿を立てるものの、今度の魚のパワーは半端ではない。キーンと糸鳴りがしている。何とか魚の疾走を止めようと懸命に耐えるが、再びバラシ。でかいなあ。仕掛けを回収すると、またチモトからぶち切られていた。ハリスを4号にあげておかなかったおいらの敗因だった。
 
 この後、さしたるドラマもなく、11時半に納竿とした。今日は下げの片潮だった。回収を手伝うものの釣り師のクーラーはみな軽かった。「5回しかアタリガなかったよ。そのうち取れたのが尾長と口太の2匹だったよ。」「おれは完全坊主」「かなり食い渋っていたね」「昨日はこのあたりでは赤潮が発生するほど状況はよくなかったようだよ。」釣り師はみなぼやき節調になっていた。石鯛も目立った釣果は2.5kg1匹だけだった。クロ、尾長も何枚かは釣れたようだが、あまり芳しくなく坊主も多数いたようだ。港に着くと釣り師はみなそそくさと車にクーラーを積み込んだ。だれもクーラーを開けようとはしなかった。
 
 しかたがないさ。でも、尾長狙いで頑張ったんだもの。と、坊主を食らったにも拘らず、心は晴れ晴れとしていた。今回は残念なことに手打の尾長グレに完敗だったが、いつかはまたこの地を訪れて、尾長を手にしたいと思う。いつかは「ただここにいるだけで」から魚を手にする日まで魚釣りはやめられない。


ありがとう 早崎の地


造りにから揚げ ヘダイって結構うまいっすね

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