12/29 イスが目覚める前に 硫黄島

「今年は行かるっかなあ(行けるかなあ)。」uenoさんも、年末のお天気キャスターのお姉さんが発する一言一言に一喜一憂する悶々とした日々を送っているようだ。1泊2日釣りなら夜に暖をとるための薪を準備しなければならないからだ。数年前、釣りのためにN木材店から大量に買い込んでいたクヌギの薪がまだかなりの数uenoさんの自宅倉庫に眠っている。それだけ年末の2日釣りが中々成就できない難しいものであることがわかる。これまで年末の1泊2日釣りを計画して成就できたのは、5回中1回しかない。今年も29日は比較的穏やかな予報にもかかわらず、30日は天候が荒れ始め、年末年始は厳しい寒さが訪れるという。29日の1日釣りにとどまることになった。

 前日船長から電話が入る。「kamataさん、30日は1.5のち3mと言っとるからね。29日の1日釣りでいいですか。水温も下がってクロが釣れているよ。みゆきあたりなんかいいと思うよ。」がっかりしている場合ではない。1日でも釣りができるのでよしとせねば。28日の仕事納めを終え、2009年の釣り納めのための準備にとりかかるのであった。


 12月29日大潮初日、5時半満潮、11時半ごろ干潮を迎えるという潮回り。満潮潮どまりで尾長。日中は下げ潮で釣るという状況で我々が選択したのは船長の勧めもあって永良部崎半島の西側に位置する地磯「みゆき」だ。この時期としては、最小の人数である10名ほどの客の乗せた黒潮丸は、午前3時過ぎに出港。予定通り90分の航海の後、エンジンを鵜瀬の前でスローににした。その後、底物師を浅瀬に渡礁させた後、我々が待つ「みゆき」に接岸し、我々は渡礁した。


 時計を見ると午前5時半。さて、尾長はいるだろうか。竿は幻覇王石鯛竿にハリス12号の宙釣り仕掛け。いつものようにワンドの尾長ポイントでの竿出しとなった。期待を込めて仕掛けをうち返すが撒き餌に群がったのはアカマツカサくんたち。こいつは、数で勝負するし、思いのほか歯がギザギザしていてハリスのチェックを余儀なくされる。


オジサン 君は速く家に帰りたまえ

だんだん水平線が白々とし始める。尾長釣りの黄金の時間だ。アカマツカサの反応が消えた。よしっ!アドレナリンが大量分泌されているのがわかるくらいエキサイティングしていたが、反応してくれたのは、イスズミ、オジサン、ホウライヒメジだった。


尾長は居留守を使っていたようです

朝になった。口太狙いへと気持ちを切り替える。「ちょっと早いけど8時ごろ、身回りに来ます。もし釣れてなかったら瀬変わりしますから荷物をまとめといて」この船長の言葉が気になった。みゆきはクロのポイントとして実績が高いが、2月ごろから本格化してくるところ。上物釣りは我々の組だけだというのにこの磯にのせるということは、船長も自信を持って勧めるポイントだということだろう。そして、その読みが外れたなら、下げ潮が止まる11時前には次の候補に乗せてなんとか釣果をたたきだしてほしいということだろう。船長のその思いがプレッシャーとなってのしかかってくる。上物師は我々だけという責任感を感じながら、口太のポイントへの移動を敢行した。


口太ポイントに移動 磯の割れ目を伝っていきます

2人で協力して、重いバッカン、竿、ドンゴロスなどを口太のポイントまで運ぶ。磯の割れ目に入り、ゴロタ石を伝って口太ポイントまで到達するころには汗だくになっていた。

時計をみるとすでに7時半。8時に見回りに来るというから急がなくちゃ。我々に与えられた時間はあと30分。その間に結果を出さなくてはならない。

竿はダイワマークドライ3号、道糸4号、ハリス3号、鈎はONIGAKE沈め探りグレ8号。タナは1ヒロ半から始めた。左手前のワレに撒き餌をうちつけながら第1投。まだ薄暗い中、釣研エイジア3Bが紫紺の海に放たれた。ウキに反応が出るが、そのままだだようだけ。仕掛けを回収すると餌だけ取られている。タナを少し浅くして第2投。仕掛けがなじむと今度はウキが電光石火のごとく海底に向かって走った。道糸が走りしシャープな引きが竿から伝わってくる。ぶりあげて手元に飛んできたのは、35cmクラスの口太だった。


みゆき 口太のポイント


第1号 ハリ飲んでました


uenoさんも釣れました

南九州の離島で磯上物釣りをしたことのある方ならおわかりと思うが、ここでクロを釣るためには、最強の餌取りであるイスズミをいかにかわしていくかということが大切だ。甑島や半島周りの磯なら、大抵は瀬際に餌取りを撒き餌でくぎ付けにしてそこからやや沖を釣るというのが代表的なパターンだと思うが、ここではそんな釣りは通用しない。撒き餌を足下に丹念に撒き続け、仕掛けを潮流に乗せていくと、たちまち要塞「硫黄島」を守る歩兵集団「イスズミ」の餌食になってしまうのだ。

そこで枕崎釣法の登場だ。餌のあるところならまるでアマゾンに住むピラニア族のようなイスズミをいかにかわして本命のクロを釣るかということから生まれた。撒き餌をやや沖に遠投してイスズミを沖目に追いやる。ソウシハギも同様だ。そして時折瀬際の磯に撒き餌を打ちつけてクロの喰いを立たせる。サラシの出るタイミングを計りながら仕掛けを1ヒロくらいに浅くして、重たいウキを使って瀬際を探るのだ。クロの喰いが立ち、良潮が流れれば、イスズミを追い出してしまうほど沸いてくるのだ。

今は下げ3分のチャンスタイム。この釣れ方とウキの入り方でどうやらクロの喰いが立ってきたようだ。イスズミが起きてしまう前に何とか釣らなくては。2匹、3匹と抜きあげる。uenoさんにも待望の釣果がきてほっとする。5匹目は40cmクラスの良型だった。5匹目を〆ているころぶるんぶるんと黒潮丸が見回りにやってきた。「kamataさん釣れてますか?」O・Kサインを返す。「そこが釣れなくなったら、手前の溝を狙って。1時に回収に来ます。回収は一番向こうの低いところからね。」わかったのサインを送って勝負に戻る。海を観察するとクロがいるはいるはあまり動きは活発でないもののかなりの数が確認できた。これなら喰い立たせればまだまだ釣れるはずだ。


溝を狙う uenoさん


このナンヨウカイワリが納竿の合図?

 その後私が4枚のクロを追加し、uenoさんが2枚追加。まだまだ釣れると思っていた矢先の午前9時半ごろ、「でたああ」とuenoさんの悲鳴に近い声を聞いた。丁度ソウシハギの攻撃にウキを流され仕掛けを作りなおしているところだった。uenoさんが釣りあげたのは、硫黄島の要塞を守る血気盛んなイスズミ軍団の歩兵だ。

まあ1匹だけかもと思いきや、それからというものはイスズミの波状攻撃を受けることになる。沖向きも瀬際も潮目も、あっちむいてほいもいろんな手だてを尽くしてみるが、竿をガンガンたたく独特の引き味から解放されることはなかった。干潮を過ぎて、満ち込みの潮となると、水温が上昇して万事休す。水温が上昇したことを知らせるナンヨウカイワリという魚を合図に12時半に納竿することにした。


1時前に黒潮丸が迎えにきた。「kamataさんどうでしたか。20枚」と船長。残念ながら指で「9」と表した。「ミャク釣りはやってみたの?」船長の感触では今日は状況では2人で20枚は釣らないといけなかったらしい。またもや船長の期待を裏切ってしまった。イスズミの波状攻撃をいかにかわすかが硫黄島をホームグラウンドとする釣り師の命題だと自分に言い聞かせながら、穏やかな表情の硫黄島を後にするのだった。


ありがとう みゆき 今年は大変お世話になりました



硫黄島よ 来年もよろしくね


本日の釣果 クロ 34〜40cm9枚 ナンヨウカイワリ1枚

港に帰って船長と今回の釣りを振り返った。今日は上げ潮の時間帯が少なかったにも関わらず底物釣りではほとんどの釣り師に釣果があったそうだ。下げに入るといつものように活性が低くなったそうだ。鵜瀬では餌取りが多く、ガンガゼが11時でなくなってしまったそうだ。「餌取りが多いところで釣らないといけないんだよ」元石鯛釣り師である船長が底物師にレクチャーしている。

それにしても上物師が少ないのが気になる。「昔は、客がたくさん来ていたものだ。9月は流木、10月、11月、12月と数えるほどしかしか船を出せなかったからね。」と船長。来年の潮時表をもらいながら、船長の話を聞いた。「これから水温が下がれば、鵜瀬に乗れればまず、9割尾長が釣れるからね」今日の船長はよくしゃべった。「釣りは釣り方が大切だから」と夜尾長釣りの釣り方のレクチャーまでしてくれた。

「また来ます。来年もよろしくお願いします」と船長と別れた。イスズミの波状攻撃の恐ろしさを体験できた今回の釣行。2010年もイスズミに苦しめられることだろう。しかし、釣果はなくとも事故もなく安全に楽しく釣りができればそれが一番大切だ。自分がもっと器用な人間でクロをうまく釣ることができれば、こんなに釣りに夢中にならなかったかもしれない。魚はたくさんいる。それなのに中々釣らしてもらえない。でも釣りきれないからこそ、今度こそという思いを持ちあししげく硫黄島に通うことができるのかもしれない。どんよりとした曇り空の予報に反して、枕崎の空はさわやかに白い雲を伴いながらどこまでも青かった。

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