1/4 安・近・美の釣り場 宮崎県美々津七ツバエ



宮崎県 美々津七ツバエのアジサバ釣り

安・近・美の黄金アジ釣り~美々津七ツバエ釣行記~



磯釣りを初めて19年目に突入。


この19年間で南九州の磯釣りの勢力図は、大きく変わった感がある。簡単に言えば、南九州の離島へ向かう釣り人が激減したという事実である。

釣りを始めた頃、硫黄島、黒島、竹島、草垣群島など南九州を代表する離島に出撃する釣り人の様子は、さながら繁華街の様相を呈していた。尾長グレシーズンの年末年始には、枕崎港で出船を待つたばこをくわえたたくさんの離島戦士たちが群れをなしていたのだが。

岸壁では、出船を待ちきれずに凍える手で赤貝を割っていた底物師。中型バスに乗り合わせて集団でやってきた遠征組。はたまた微笑ましい親子連れ。離島の夢とロマンを思い描いた釣り人たちで深夜だというのに賑やかだったという亜空間。



こんな状況だったのが、現在では、港はせいぜい5.6台の車が止まり、寂しい出船風景が当たり前になってしまった。あの大勢いた釣り人はどこへ行ったんだろう。



リーマンショック
ひとつは、リーマンショックの影響ではないかと考えた。アメリカのサブプライムローンの破綻から派生した金融恐慌は、日本の経済界を直撃。給料を減らしたり、交際費を削ったり、最悪どこかのG―ン会長のように従業員を減らしたりして、会社も生き残りをかけたサバイバルレースに突入。当然、釣り人も離島に行くという贅沢を我慢しなければならない。




原油の高騰と世代交代
次に、原油の高騰が深刻な影響を与えたように思う。オイルマネーを操る輩など様々な要因によって、原油が高騰した時期があり、これで渡船業を続けていくことが難しくなったのではないか。
「油がたかくなってですね。」
こんな船長の声を何度も聞かされたものだ。





また、離島では大型船が必要になってくるが、長年離島を誘ってくれていた船長が高齢となり、跡継ぎがいなくなって廃業という後継者不足の問題もありそうだ。





インターネットの普及
情報化の高波は、釣り情報の拡散をもたらし、釣れている地域に客が集まり、釣れないと途端に客足が遠のく、どこかのP店のような現象が起こっていた。情報化の波は、渡船業界の勝ち組と負け組の格差を広げた。つまり、尾長グレのよい釣果が聞かれなくなってきた鹿児島県の三島の離島の客が極端に少なくなり、鮫はいるが確実に尾長グレがいる宇治群島への客が激増した。





現代は、すべてが効率化優先でマネジメントされた世界。そことは対極に位置する渡船業界を次の世代のためにも守っていきたい。船長の経験と勘が頼りのアナログチックな世界を残しておきたい。いつしかこんな自己中心的な使命感とともに離島を通い始めた自分。今年の年末も、uenoさん、M中さんと3人での毎年恒例の釣り納めを硫黄島で計画していた。





ところが、よくあることだが、年末寒波の影響で離島便はすべて中止に。もちろん、強烈な西向きの季節風で甑島も不可能。釣りができる場所といえば、大隅半島が宮崎県・大分県の沖磯、または湾内しか考えられない。




ここでいつものようにuenoさんと協議に入った。その話し合いの中で、uenoさんが最近お気に入りの場所である宮崎県美々津という釣り場に行くことになった。ここなら、楽しい釣りができそうだ。この天候では、尾長グレや口太にこだわっている場合ではない。Uenoさんから、美々津港に昼の12時に集合という連絡をもらった。




29日の朝8時過ぎに人吉盆地を出発。えびのICから一般道を走り、宮崎ICから東九州自動車道に乗る。都農ICで降りて釣り具により餌を購入。




そして、いよいよ決戦の舞台である美々津方面へ。車中では、uenoさんの熱いアジloveトークが炸裂。トークの内容は大体以下の内容だった。




美々津の鰺が大変美味であること。九州の鰺と言えば、関アジが有名だが、ここの鰺も「美々津の黄金鰺」と呼ばれるほど大変美味なんだそうだ。さらに、港から出てすぐのところの磯なのに鰺の型がよい。40cmオーバーが釣れるとのこと。また、渡船料は離島のそれとは比べものにならないくらい安価な4000円。出航時間や回収時間は要相談でいいし、近いから何かあっても安心して連絡できる。そして、ここは半夜釣りといって、夜釣りの前半戦で回収してもらえるという体力に自信のない、時間に余裕のない釣り人にはもってこいのシステム。正に安・近・美の釣りである。





こんな話を一方的に聞かされ、初めての美々津の釣りを迎えようとする二人は、だんだんボルテージがあがってきた。なんとしても黄金鰺を釣って食べたいという縄文人の遺伝子が騒ぎ出した。





美々津の港に30分前につくと、早くも船長が待ち構えていた。磯は空いているだろうか。



「灯台がアジが一番よく釣れるポイントばってん、空いとらんかもしれん。そんときは、ウノクソへ行こい。」



1級ポイントである灯台が空いていないときは、前回よい思いをしたウノクソというポイントで釣りをするという作戦のようだ。初めての場所なので何も分からず、生返事を返す。もう一人のピン釣り師が加わり12時前に美々津港を出港した。



朝の出発時はマイナス4度だったが、ここでは7度。ただ、沖は風が強く吹くとよそうされる。



「今日は風が強いから、仕掛けを重くしたほうがいいかもしれませんねえ」


船長がこうつぶやく。夜釣りのアジ仕掛けは、いろいろ工夫が必要とのことで、この情報はありがたかった。


10分ほどで目的の磯が見えてきた。美々津の七ツバエだ。この一帯は、7つ磯があるからおそらく七ツバエというのだろう。灯台が見えてきた。すでに先客がいるもよう。船は灯台瀬南に突き出している先端を回り込んでワンドのあるほうへ回り込み船を着けた。


無事渡礁を済ませた。先客は潮通しが良さそうな先端部分に二人。そのワンド側の隣に一人。Uenoさんによれば、その隣のワンド向きがポイントなんだそうな。




「ここで釣ろい。3人並んで。」


Uenoさんの提案で、ワンドに向かって右からuenoさん、私、M中さんが並んで入って釣ることにした。



夜釣りのタックルは、がま磯アテンダー2.5号、道糸2.5号、ハリス2.5号。ウキは小型棒電気ウキ小(G2相当らしいが、ガン玉Bを2個使ってシブシブ状態に)ハリはチヌ針3号。ハリ上50cmにケミホタルを装着した。タナは2ヒロ。


昼を適当に遊び釣りをしながら時間を潰したあと、いよいよ本命の夜釣りに突入した。最初の釣果は、午後5時45分頃。釣ったのは、先端の隣のこの灯台瀬(本来の磯名は「龍神バエ」という)の一番のポイントの釣り人。


アジが釣れたという情報は一気にこの磯を駆け抜けた。それを合図に、次々にアジが釣れ始めた。電気ウキが一気に走ったり、電気ウキが一気に1ヒロくらい沈んだと思いきや、動かなくなり、待っていると突然喰ってきたり。


「kamataさん、ここのアジ釣りは、道糸が走るまで粘ることが大切バイ。」

早合わせは禁物だそうだ。また、口が切れやすいので、何度もぶり上げの途中でばらしてしまった。また、道糸が絡んだり、竿先が2回折れたりというトラブルで、仕掛け作りに多くの時間を費やしたにもかかわらず、終わってみれば30~34cmくらいのアジが22枚という釣果に恵まれた。


Uenoさんが言っていた最大の注意事項である、海面を絶対にライトで照らさないという掟は守れた。それに、この磯でアジ釣りにとって最悪の潮である、沖に向かって早く横に流れる潮は昼だけだったことも幸運だったようだ。


Uenoさんも30匹くらい、M中さんもトラブルに苦しんでいたが16匹仕留めていた。満足いく釣り納めとなってこの磯をあとにした。


年が明け、初釣りもuenoさんと美々津のアジ釣りに再び挑戦しようという流れとなる。離島の磯を中心に活動してきた自分の釣りも退職したあとの生活を考えて近場や船での釣りも経験する必要があると考えたからだ。


今度はuenoさんと二人での釣りとなる。1月4日、やはり午前8時過ぎに人吉を出発した。この日は、穏やかな気候で、次の日は天気がぐずつく予報だった。

七ツバエいや灯台瀬(龍神バエ)を目指していた。ところが、この日は、なぜか灯台瀬は先客がいて前回の場所での釣りは断念。

「裏から行きましょうか」

船長が、前回とは反対側の地より向きのポイントに渡してくれた。この日のタックルは、竿がダイワメガドライM2・1.5号、道糸2.5号ハリス2.5号と前回と同じ仕掛け。

この日もよく釣れた。30~36cmのアジ20枚と昼釣りで釣れたチヌ1匹(35cm)と満足の釣果。Uenoさんも25匹ほどゲット。初釣りを締めくくった。


もちろん、釣りの前にちゃんと御神酒を捧げてポセイドンに祈ったのはいうまでもなかった。釣り分野の新しい引き出しができたことに満足しながら七ツバエをあとにした。



美々津港


七ツバエはここ


七ツバエを目指します



ここに渡礁しました


まずはチヌ釣り




ぼくの釣り座



寒チヌいましたね



早くもつれました


入れ食いでした


半夜釣りで早上がりです



本日の釣果アジ20匹


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