鵜瀬は尾長祭りでした
2011年、我々日本人にとって忘れられない出来事があった。日本における観測史上最大の規模を記録した東日本大震災。3月11日の午後2時46分、牡鹿半島沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生。その地震で発生した津波は、高いところで10m、最大遡上高40.5mを記録し、あの福島第一原発を初めとする太平洋沿岸の町や村に壊滅的な打撃をもたらした。
私の知っている先生も何度も報道された大川小学校から車で10分のところにある小学校で地震にあい、いつもの避難訓練の練習通り運動場に避難し、子どもたちを保護者に引き渡していたそうだ。ところが、お子さんを引き取りに来られた保護者の方から「今、湾の底が現れるくらいに水が引いている。何をしてるんです。早く高いところへ逃げてください。」と怒られた。 その学校では、すぐに、裏山のごみ焼却場跡地へ、雪の降る中子どもたちを誘導し、無事に全員を救出することができたという。この一瞬の判断が生死を分けたと言ってもいい。未曾有の大津波だったとはいえ、学校管理下で起こったこと。その先生は今でも自分の責任が果たせたかどうかを考えながら、亡くなったり被災されたりした親友や親せきのことを思うと胸が痛むそうだ。 2011年が終わるこの日に、津波の被害で亡くなられた方々、今なお被災されている方々に対して心より哀悼の意を表すとともに、一日も早い復興を祈りたいと思う。 さて、この大震災で、私たちはたくさんの人と人との繋がり(絆)で結ばれていることに気づかされた。それは新しく生まれたものではなく、震災をきっかけとしてそのことを改めて考えさせられたと言っていい。 農耕民族である日本人は昔から「結い」と呼ばれる労働力を共同化して繋がる思想をもっていた。近代化されてもこの人々の気持ちは遺伝子レベルで次世代へと受け継がれてきた。この繋がりは、人と人とだけでなく、人と自然との相関関係にもあてはまる。 私たちは、近代化の爆走の中で人間の所行で自然が破壊され、そのことが自分たちに還ってくる公害という痛みを体験してきた。私たち人類は自然から一方的に取るだけで自然に対して何もお返しができない。いわゆる食物連鎖の外側にいる存在だ。だから、人間はこのことを踏まえて自然と付き合わなければならない。そのことを感じるためには、自然の中で自分を解放する必要があると思う。 それは、どんな方法でもいい。山に登る。川を下る。自転車に乗って風を感じる。昆虫を飼育する。植物を栽培する。人はそれぞれ趣向が違うが、アプローチの仕方はいろいろあるはず。私たちは、そんなことをきっかけにして自然との付き合い方を学ぶことができる。そして、自然をよく知ることができれば、一瞬の判断で命を守ることができるかもしれない。人はみな自然に対する畏敬の念を持ちながら自然についてよく知る必要があると思った。 自分にとってこの「繋がり」を感じる方法は「釣り」なのだ。 そんな理屈をこねながら、迎えた2011年も年末を迎えようとしていた。12月に入り、不安定な天候と、クリスマス寒波のおかげで、私もuenoさんも磯に行けずにじりじりとした年末をすごしていた。
「kamataさん、ぜんぜん行かれんね。今度もきびしかごたんね。」
Uenoさんの口調も歯切れが悪い。恒例の年末釣り納めに暗雲が立ち込めていたからだ。29日からの天候は気温が高いという第1段階はクリアできたものの、低気圧が通過するためだろう。硫黄島付近の天気予報は、曇り時々雨、降水確率60%とはじき出された。低気圧が通った後は、お決まりの季節風が吹く。ポイントは、通過する低気圧がどれほどの大きさを持っているかどうかだ。その威力が強ければ最悪2日とも磯に行けないという事態につながる。 これまで、年末の釣り納めでは、2005年以来、一度も1泊2日釣りが成就できないでいた。だから、今年こそはと私もuenoさんも釣行前の数日間の天気予報に一喜一憂する日々を過ごしていたのだ。
今回は、我々以上に天気予報に一喜一憂している人物がいた。兵庫県在住の風雲児氏である。彼は、兵庫県に住んでいながら、硫黄島という釣り場にあこがれる人物である。私が配信している硫黄島の釣り情報に引っ掛かり、フェリーや自動車を飛ばして、ここ南九州までやってくるという破天荒ぶりを演じている。今回の釣り納めにもしっかりと参加の連絡を受けた。そして、27日から大阪の港からフェリーに乗り、宮崎港に向けてすでにこちらに向かっているという。釣りは大人数の方が楽しい。即答で引き受けた。また、同じく磯釣りにはまってしまったある意味不幸な医師M中さんを加えた4人で黒潮丸からの吉報を待つことになった。
27日の昼過ぎ、船長から連絡を受ける。「kamataさん、餌はどうしますか。3・3(オキアミ生3角・赤アミ3角という意)でいいかな。3時集合の3時半出港です。」携帯電話をにぎりながら右手で軽くガッツポーズ。
この吉報をできるだけ早く、同行者の3人に伝えた。心配していた天気予報は、思いのほか気圧の谷が弱いということで、29日は曇りで波高1m〜1.5m。30日は曇り時々晴れで波高1.5mと出た。本当に久しぶりの年末1泊2日瀬泊り釣行だ。6年前の釣行で暖をとるためにuenoさんがトラック1台分買っていたクヌギの木が底をつこうとしていた。それだけ、今回の瀬泊まりは久しぶりのことだったのだ。 12月27日午後10時30分、人吉IC近くのコンビニにuenoさんと待ち合わせて、M中さんを乗せ車2台で九州自動車道を南へ下った。途中でAZという巨大スーパーで買い物をし、枕崎港に着いたのが午前2時過ぎ。釣り人の車を全く確認できずに不安になったが、あとから続々と釣り人が集まってきた。
船長がいつもの軽トラックで登場。あるい挨拶のあと、今回の予定について話し合った。「kamataさんたちは夜釣りは鵜瀬にしますから。今日は上げ潮がいいから、2人ずつで分かれるなら、2人は新島でもいいよ。どうする。」潮を読み、状況を長年の経験でいつもその時のベストの磯を紹介してくれる船長に我々の命運を任せることにした。
さすがに、1年間で最も人が多い年末の時期だけに、荷物の数は半端ではない。凪の予報なだけに、我々のほかにも湯瀬行きの瀬泊り客がいた。
「ぶるんぶるん」
黒潮丸に命の鼓動が吹きこまれ、にわかに釣り人の動きが忙しくなった。午前3時半前、黒潮丸は静かに港を後にした。
沖堤防を過ぎると船は高速回転になる。凪の大隅海峡を突き進むこと90分でエンジンがスローになった。釣り人がライフジャケットをつかみ、震える手で磯ブーツを装着している。釣り人のモチベーションは最高潮になった。
デッキの外に出て外の空気を吸いに出る。思いのほか風が強く吹いている。波もかなりの振幅を繰り返している。1mの予報は見事外れたようだ。サーチライトを照らした先に、天空に突き出した見事な鵜の頸が忽然と現れた。硫黄島いや南九州を代表する名礁「鵜瀬」である。
最初の渡礁は、鵜瀬を熱望したuenoさんと兵庫県からの刺客風雲児氏である。波の振幅に翻弄されながらも高速船黒潮丸は鵜瀬にゆっくりと近づく。最初の渡礁に緊張が走る。無事に2人は渡礁を終える。
「今は最干潮だから荷物は高いところに上げておいて。」
鵜瀬に張り付いたホタルを後ろに見ながら船は反転して再び高速走行になった。今までの経験なら新島に向かっているはずだ。どすんどすんと揺れる中、不思議とだんだんと波が穏やかになってきた。エンジンがスローになり、サーチライトの先に見慣れた月面かと思わせる一見して生命反応のない大陸が現れる。
1934年に突如として現れた昭和硫黄島(新島)だ。ここは、北向きの風に強く風裏になるためこの時期よくつかわれる磯だ。「荷物を前に出して」ポーターさんのアドバイス通りにして渡礁のためにホースヘッドにでて体制を低く身構える。
新島船着けに無事渡礁を済ませ、船長のアドバイスに耳をすませる。
「いい感じで上げ潮がいっているよ。ここの船着けとここ(サーチライトを照らした先、船着けの西向き)で釣って、釣れなくなったら、少しずつ先に進んで釣っていって。」
潮回りをみての的確なアドバイスだ。
さあ、早速夜尾長釣りの準備を始めることにした。磯釣り2回目のM中さんがいるため、夜釣りということもあり、行動を一緒にと船着けで釣りを始めることにした。
午前5時半長い1泊2日釣りの第1投が放たれた。船長の言うとおり、いい感じの上げ潮が走っている。竿はブレイゾン遠投5号に道糸10号、ハリス12号の太仕掛け。タナを1ヒロ半にして瀬際を探る。船着けの両サイドは根があり、撒き餌がたまる構造になっている。撒き餌を切らさないように注意する。
初めての訪問客はナミマツカサだ。更に、硫黄島要塞を守る歩兵部隊イスズミ。さらに、オジサンと本命の尾長の雰囲気はまだ感じられない。そして、いよいよ尾長の最も喰う時間帯になってきた。
東の空が白々と明け始め、夜の帳が剥がされようとした時間だった。電気ウキが抑え込まれたかと思うと道糸がアタリを知らせてくれた。反射的に竿を立ててやり取りが始まる。コンコンと叩くのでまたイスズミかと思いきや、今度は右の根に一直線。この引きはもしかして・・・。抜きあげて、ばたばたと跳ねている魚にライトをあてると、そこには、40に満たない尾長グレが跳ねていた。小さいが本命は本命だ。俄然やる気になった。
夜は明け始めている。時間がない。更なる獲物を求めてさっき喰った同じ場所へと仕掛けを入れた。右の根の先端のところで再び同じようなウキの動きの後、道糸が走る。今度も強引に合わせる。しかし、さっきと違うのは魚の疾走の力だった。強烈な足下へのツッコミを5号竿の力に任せて耐える。このシャープな引きは尾長に違いない。更に魚は右の根へと疾走を始めた。魚の疾走を止めてやる。思わず「絶対、取ってやる」と叫んでいた。今まで経験したことのないようなパワーだったが、これは何とか取れそうだと思った瞬間だった。思いがけなく竿が天を仰いでしまったのだった。チモトを確認すると無傷だ。ハリもそのまま帰ってきた。どうやら、ハリ外れをやらかしてしまったようだ。おそらく魚の口の堅いところにかかったのだろう。引きからして、尾長グレだったと思う。くやしいバラシだ。しばらくは悔しさのために放心状態になってしまった。
その後、夜が明けてしまい、夜釣りのタックルのままで、40に満たない尾長グレと口太を追加して夜釣りを終えた。さあ口太釣りだ。竿はがま磯アテンダー2.5号。道糸3号にハリス2.5号。ウキは3Bの半誘導1ヒロ半でスタート。
この船着けでしばらく粘ってみるが魚の反応は、イスズミのみ。ここ新島はサラシを釣る場所なので、サラシがないのは厳しい。今度は2人で船長が進めたポイントに進んでみる。ここでもしばらく粘ってみるが、木端グロはかかるもののクロの反応が薄く感じられた。
また、移動を敢行。いつもの高場で勝負することにした。鵜瀬での時化模様はうそのよう。ここでは、サラシも少なくあまり釣れる感じがしない。後で来たM中さんと一緒に40分ほど撒き餌をして、釣り始める。撒き餌をすると、しっぽの白い40cmオーバーのクロが確認できた。50cm近い魚も喰いあがってきている。
「M中さん、でかいのがいますよ。」
M中さんをさりげなくやる気モードにして釣り始める。今日の満潮は10時15分。まだ上げ潮の時間帯。これまでの経験では、ここは上げ潮よりも下げ潮の方が型がよく、釣れることが多かった。案の定、上げ潮の時間では、イスズミ、木端グロ、赤、紫、青、レインボーのブダイ系やバリ、サンキューベラマッチャなどしばらくは我慢の時間帯が続いた。
ところがだ。ここまで本命を釣ることができないでいたM中さんが、ようやくアタリをとらえる。竿を叩いているが中々浮いてこない。足下に何度も突っ込んでいる。もしかして。すると、鋭い白いしっぽの魚が浮いてくるのが見えた。慎重に何とか抜きあげた魚を確認。
「尾長グレですよ。M中さん。おめでとうございます。」
何と磯釣り2回目のM中さんにこの高場で先に尾長を釣られてしまった。
心中穏やかでない私。その後、M中さんは35cmほどの口太を釣りあげる。
「クロ釣りは面白いねえ。」
M中さんに笑顔が。それに反してますます焦る私。相変わらずブダイの波状攻撃が止まらない。M中さんは足下のサラシを丹念に攻めての釣果だった。しかし、内心は穏やかでない私。いつもM中さんに声をかける余裕がなくなっていった。
満潮潮どまりを迎えた。さあチャンスの下げ潮だ。下げ潮になれば水温が下がって口太の活性が上がるはず。しばらくは右にいったり左にいったりしていたが、11時を過ぎたくらいから、下げ潮が動き出したらしい。澄んだ海中からクロが出てきていることが確認された。しかし、今日のクロは全く喰う気配がない。いつもは、ウキがまるで弾丸ロケットのごとく消し込んでのやり取りとなるはずなのに。
好転したのは、11時半からだった。ようやく潮が本来の下げの方向に流れていった。ウキが面白いように消し込み始めた。ここで型が小ぶりながら口太がぽつぽつ釣れ始めた。小さい魚はリリースし、6枚だけキープする。これから良くなるというところだっただけに少々心残りだ。
12時50分に船は回収にやってきた。
「kamataさん、尾長釣れましたか。」
「はいっ、小さかったけど」
「クロは釣れたの」
「はいっ、9枚」
「まあ、おみやげはできたな」
船は、風雲児氏とuenoさんが待つ鵜瀬へと向かった。1泊2日釣りだから荷物が多い。ようやくすべての荷物を瀬上げして、船長のアドバイスを待った。
「今日は、北東の風とうねりが出てるからね。そこ(鵜瀬の東の端の釣り座)で釣る時は注意してよ。今日は雰囲気もいいから尾長釣れるよ。頑張ってな。」
風が強いために船長は初め新島を勧めたが、デカ尾長をどうしても釣りたい我々は風の影響を受けやすい独立礁の鵜瀬を夜釣りの部隊として選択した。
荷物をあげると、uenoさんと風雲児氏は釣り続けていた。
「uenoさん、夜釣りどうでした。尾長は出ましたか。」
「ぜんぜん、マツカサはおったばってん。尾長の気配はなかったバイ。」
「クロはどうですか。」
「うんぽつぽつ釣れたよ。」
クーラーの中を見せてもらったが、鵜瀬の方が魚が大きかった。クーラーの中身を見て俄然やる気になった私は、早速、仕掛けを作り直して鵜瀬のワンドでクロ釣りに再チャレンジだ。干潮は午後4時過ぎだから、まだ下げ潮が流れている時間帯。丁度、先端の下げ潮のポイントが空いていたので、そこで釣らせてもらうことにした。
磯際に撒き餌を打ち、サラシに負けないような重い仕掛けで瀬際ぎりぎりをねらう。魚の活性はまずまずで、すぐにイスズミが竿を曲げてくれた。
それがクロに変わったのは、午後も2時半を回ったころだった。ねらい通り、魚は手前の磯際から撒き餌につられて喰いあがっている。ただ、意外なことはクロはクロでも尾長が上がってきたことだ。立て続けにぽつぽつと35cm〜40cmまでの尾長が釣れた。
釣り始めてから6枚を数えたところで、干潮の潮どまりの時間を迎えた。ここで1日目の昼釣りはタイムアップ。夜釣りの準備と夜の宴会の準備を整えた。
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巨大スーパーAZに立ち寄ります 硫黄島へのタイムマシーンの入り口 uenoさんと風雲児氏は鵜瀬に渡礁 私とM中さんは新島へ 小さいけど本命です 新島船着け ここで尾長のアタリがありました 今日も硫黄島が見守ってくれます アタリすらなかったM中さん 昼釣りに賭けます 魚の活性を確かめながら高場へ さあ 高場に到着 M中さんも移動攻撃にでます M中さん何とか釣ってください 今日の新島はサラシがなく 苦戦 M中さん 尾長グレ初釣果 おめでとうございます おいらにはこんなのばっかり 新島に別れを告げ 鵜瀬に向かいます 鵜瀬の下げ潮のポイントで釣りを再開 朝から奮闘中のuenoさんと風雲児氏 1匹目はきれいな尾長グレ 2匹目も尾長 ここは型がよさそう 3匹目も尾長 4匹目も尾長グレ まるで尾長祭り ワンドの最奥で着々と釣果をあげる風雲児氏 uenoさんもワンドで奮闘中 M中さんに下げ潮のポイントを譲ります 午後の鵜瀬での釣果 5枚は尾長でした 風雲児氏 夜釣りに集中してます uenoさんもねらいは尾長グレ おいらにはホウライヒメジ 風雲児氏 ヒラマサゲット M中さん 尾長祭り 45cm おいらにも尾長グレちゃんが 磯宴会の始まり〜〜〜 楽しい時間はあっという間に過ぎていきます 爆睡中のuenoさん 2日目の餌が届きます M中さんも起きだして 尾長祭りに参戦 ようやく待望の尾長グレが サイズは40そこそこ 夜釣りはやる気なしだったuenoさん 昼は・・・ 午前10時 もう魚は釣ったしやめましょう 硫黄岳よ 見守ってくれてありがとう かなり時化てました 平瀬は波の下 硫黄島の恵みに感謝です 32cm〜42cm22枚 ムロアジ2本 M中さん磯釣り2回目とは思えない 風雲児氏 リリース多数でこれです 鵜瀬よありがとう 刺身 焼き切りで 甘くて美味しかったです |