2012年、辰年。磯釣りを始めて12年目のシーズンを迎えた。
もともとわが子とのふれあいをしたいがために始めた釣りは、自分のための完全なライフワークとなっている。
初めて磯釣りをしたのが、2001年の9月。場所は、鹿児島県阿久根市にある沖磯「黒瀬」。当時、阿久根港から出る「とくえい丸」というかなり小型の船にのって瀬渡ししてもらった。
Uenoさんが木端グレを次々と仕留める中、自分は大半の時間を仕掛けのトラブルの回避に費やした。当然のごとくボウズで帰った。
しかし、この時の興奮は今でも忘れられない。寄せては返す波の振幅が流紋岩と思われる磯に当たってできるサラシ、海から吹いてくるさわやかな磯風、刻々と変わる潮の動き、磯に遊ぶ好奇心旺盛でいながら臆病な生き物たち、そして、眼前に広がる果てしない東シナ海の水平線。そのどれもが、私の五感を揺り動かすのに十分なものだった。
この初めて体験した非日常の世界を泳ぐことで、現実の世界の雑念をすべて拭い去ることができたのだった。それからというもの、2カ月に一度くらいのペースで磯に通う日々が続いた。
初めてクロを釣ったのが5月の阿久根桑島の「赤灯台」というポイント。足裏サイズのクロだったが、その余りにも美しい魚体にしばし釣りをするのも忘れていた。
エメラルドグリーンの愛らしい瞳、ずんぐりとした体型でいながらシャープなプロポーション。クロという名にふさわしくない鮮やかなグリーンの体色。これからもこの魚に逢いたいと希うようになった。初めての磯から初めての釣果まで8カ月が経っていた。
その後、阿久根、黒ノ瀬戸、枕崎などの沿岸の磯に出かけていたが、もっと大きなサイズのクロが釣りたいと甑島に出撃し、里の沖磯で初めて35cmのクロを。2003年の宮崎県北浦で初めての40cmオーバーを。2004年甑島鹿島で45cmオーバーを。そして、同年の初硫黄島での50cmオーバーの魚と出会うことができた。
この時期になると、釣行回数は1カ月に1,2回のペースに増えていた。釣り師だから、他のだれもがそう願うように数型ともによい釣りがしたいと思う中で、釣りに関わる様々な諸条件を楽しみたいとも思っている。
例えば、魚の生態、潮流、釣り人の生態。マクロでみるならば自然と人間との相関。
簡単に言えば、人間は生き物の食物連鎖の外にいる存在で何も自然に対してお返しができない。だから、理性を持って、すこしばかりの海の恵みをいただくという理念など。釣りに関わる周辺のことをいろいろと学ぶことで釣りは更に面白くなることを知った。
また、釣りは、社会生活で必要不可欠なことも教えてくれる。それは、「忍耐」である。現実の生活の中では、時間はだれにも平等であるように、様々な困難がどんな人にも降りかかってくる。それらの困難から逃避しては何事も成就できない。
学生なら先生から、職場なら上司から、また、人間以外のものからも様々な困難はやってくるものだ。それらの困難に立ち向かいながら積極的に耐えしのぶことでなにがしらの解決の糸口が生まれてくるものだ。
何事も途中であきらめていては、何も生まれてこない。そのすばらしき「忍耐」を非日常の世界ではあるものの仮想体験させてくれるのが釣りである。
私は、人は釣りをすることで「忍耐」の価値を改めて見いだすことができるのではと考える。作家開高健は「釣りは忍耐の芸術だ」と言った。こんな素敵なことを学ばせてくれる釣りを今後もライフワークとして楽しんで行きたいと思う。
2012年辰年。今年は私にどんな釣りを用意してくれるのだろう。
さて、クロ釣りを始めて12年目の初釣り。ボクは今とんでもない状況の中にいた。時折台風並みの突風が吹き荒れる磯の上に立っていた。
沖には、白い兎が跳ね、波しぶきが激しく磯の足下を洗っている。突風がまるで生き物のように水面を容赦なく削り取る。その削られた海水は泡状の波しぶきとなって四方八方に飛んでいく。その波しぶきが白い生き物となって磯壁の向こうへと消えていった。
足のスタンスを広めにして身構えていないと風で体が宙に舞いそうだった。竿をにぎって何とか立っているという状況。仕掛けは思うところにとばないし、撒き餌も然り。回収しようとした仕掛けが突風にあおられ中々仕掛けが戻ってこないもどかしさ。とても釣りをやっているとは思えない。
厳寒期の大風の体感温度は、確実に釣り人の体力を奪っていく。ボクは、今門川の沖磯に立っていた。
2012年の初釣りをuenoさんのたっての希望で甑島瀬々野浦の1泊2日釣りを目論んでいたが、正月明けのオホーツク寒気団の来週により、日本列島は猛烈な時化に見舞われていた。
東シナ海側の波高は4mのち3mという予報。九州地方で唯一竿をさせそうなところと言えば、東海岸で風裏の大分か宮崎県南の磯に限られていた。
「uenoさん、どうします。やめますか。」
uenoさんは言葉を濁している。この初釣りをするために、休みをとり万全の態勢で臨んでいたからだ。
「どこか(釣りの)できるところはなかろうか。」
uenoさんの言葉にも生気が失われていた。こんなuenoさんを元気にしなければならない。わけのわからぬ使命感から、脳のあるシナプスの回路が繋がり思わず次のようなことばを発してしまった。
「門川はどがんですか。」
「うっ、門川なそこは釣れよっとな。」
「はいっ、門川は今絶好調でどこでも魚が喰ってるみたいですよ。」
「門川は(魚のサイズが)太かもんなあ。門川は風裏やけん釣りができるかもしれんバイ。門川へ行こい。」
門川はuenoさんにとっても思い出の磯らしく、簡単に私の思いつきに乗せられてしまった。
九州自動車道から宮崎自動車道に入りそこから東九州自動車道を進む。高速道路の整備で門川まで3時間足らずのドライブだった。今回お世話になるのが功丸(HPありhttp://www2.ocn.ne.jp/~isaomaru/index.htm)だ。
港近くの待合室につくと早くも異変に気づいて不安を覚えることになる。時折突風を伴った爆風が容赦なく吹きつけていたからだ。
「こら、釣りにならんかもしれんバイ」
uenoさんが呟く。とりあえず、荷物を軽トラックに積んで港に運んでもらうことに。
このところ好調な門川。釣り人は平日にも拘らず軽く20名を超えていた。港につくと、船が二隻あることに気がついた。釣り人に聞いてみると、手前の船が沖磯便でビロウ島周りに行く船で、その隣の船が風裏の地磯に行く便らしい。
「uenoさんどうします。」
早速、選択を迫られることになった。Uenoさんも考え込んでいる。
「たとえ風裏で釣りができたとしても、魚がいなければなにもなりません。魚の食う場所にいきましょう。」
半ば強引にuenoさんを説得し、荷物を手前の船に乗せた。
ゆっくりと船は反転し、港を離れた。船は港を離れゆっくりと進んでいる。組合のきまりがあり、6時に瀬割で最初の渡礁が始まり、その後はフリーになるという。
夜の帳が下り、水平線が白々としたころ、船はビロウ周りにいた。ここは夜釣りも絶好調らしく、たくさんの夜釣り客がいた。デカアジ、デカサバが面白いように釣れているらしい。
さあ、6時になったらしく爆風の中で最初の渡礁が始まった。最初は一度乗ったことのあるタツガハナ。更に、タンポ下に展開。このあたりは丁度風裏になるようで釣りやすそうだ。
ビロウ島はスケールが大きくいかにも良型の魚が潜んでいそう。船は北向きに進む。北に向かうにつれとんでもない風が船を襲う。そして、最後の渡礁が我々の組となった。船長に呼ばれる。
「ここは昨日も喰ってたけどね。この風我慢して釣るっかい。」
uenoさんと顔を見合わせた。要するに、魚がよく喰っているポイントだが、風の影響をまともに受ける場所なのでそれに耐えることができるかということらしい。またも選択に迫られた。
「uenoさん、ここに行きましょうか。」
意を決した我々は、船長の進める微妙なポイントに無事に渡礁した。この場所をゼンコーの5番というらしい。バッカンをおけるほどの場所はあるものの道具を置く場所がない。上のほうはやや平らな場所があるので、そこに道具を運んだ。
仕掛けを作り終えて、釣りを始めた。朝のうちは、風はそれほどでもなく、釣りができない状況ではないように思えた。
厳寒期のクロ釣りだ。餌を撒いても魚の姿は全く見えない。釣り始めから30分が経過したとき、となりで竿が曲がり始めた。小さいながらも本命のようだ。
「uenoさん時合いかもですよ。」
ウキを沈めて竿1本位を探っていると、道糸が不審な動きを。合わせてみると、鈍い魚信をとらえた。今日始めてのアタリ。ハリスがいつもの離島とは違って細いので慎重にやり取りして浮かせると、がっかりする魚が浮いてきた。
最初の訪問客は、アイゴだった。アイゴの刺身は好物のひとつだが、ここはリリースと更なる魚信を求めて釣り始めた。魚のいる気配はするのだが、喰わせきれない。
9時ごろ、クロと思わしき魚信をとらえたが、手前に突っ込まれハリスの直結部分から瀬ズレを起こしていた。折角、またとないチャンスをものにしたと思ったのに。痛いバラシにしばらく茫然となってしまった。
Uenoさんはアタリすらない状況だ。初めはそれほど苦にならない程度の風に思えたが、風向きが変わったのだろう。午前9時ごろから時折突風を伴った爆風が吹き荒れ始めた。
もう立っているのがやっと。功丸から弁当を受け取ってすぐに食し、釣りを続けた。そのうち風もおさまるんじゃあと楽観的な予測を立てていたが、それは甘かった。あまりの風の強さに、隣にいた4番の乙島丸の客が瀬変わりしていく。
そして、11時ごろだったか、「あ〜〜〜」とまるでアニメ「トムとジェリー」のトムが絶叫するようにuenoさんの悲鳴が聞こえた。丁度その時、私は上の高台で仕掛けづくりの最中だったが、私が釣っていた釣り座を一発波が襲ったようで、私の撒き餌の入ったバッカンが流されていった。
Uenoさんは自分の竿やバッカンを守ることで精いっぱいだったという。すぐに船に来てもらいバッカンを救いだすのにかなりの時間をロスしてしまった。バッカンを救った時、その姿を見かねた船長がこんな提案を始めた。
「風が強すぎますね。乙島丸の客もいなくなったことだし、風裏に瀬変わりしますか。」
またも選択の時だ。確かに風裏では快適な釣りができるだろう。でも、ねらいとする魚に出逢える確率は低くなるはず、今回の目的を達成するためには、ここを耐えて粘ることが大切なのでは。
Uenoさんは、心は折れかかっていてすぐにでも瀬変わりしたかったようだが、私の迫力に押されたのか、ここで粘ると言ってくれた。
さあ、粘ることになったものの風は収まるどころか益々強くなり、魚からの反応も昼過ぎに私が釣ったカワハギ以外は全くアタリのない時間が過ぎた。
さっきのクロらしき魚信から、おそらく、足下に潜んでいて撒き餌につられて出ていくのだろう。ねらいはわかっているのだが、何せこの風。どうしても仕掛けをなじませたり、撒き餌を合わせたり、本当に難しい釣りが続いた。
そうやって、午後も3時過ぎを迎えた。もう二人とも心が折れかかっていた。それでも爆風に耐え続け、今日一度のアタリもなかったuenoさんが魚をついに喰わせた。慎重なやり取りの後、浮いてきたのはデカ口太だった。玉網ですくってあげた。
「おめでとうございます。」
思わずuenoさんに声をかけた。自分が釣ったのではないが、自分のことのようにうれしかった。45cmのまるまる太った口太だ。更に、uenoさんは続けて同じサイズをかけて2匹目をゲット。その時、uenoさんが、天使の声を発した。
「kamataさん、半誘導バイ3Bの。タナは2ヒロくらいバイ。ハリスにガン玉をつけんよ。ハリは4号バイ。」
このヒントはとても有難かった。食いがシブいと判断して、全遊動沈め釣りをしていたが、どうやら魚のタナを通過していたようだ。
早速、仕掛けを作りなおして、トライ。早速反応がありようやく何時間ぶりにアタリをとらえた。この引きからしてクロに間違いない。偏光グラスからデカグロの魚体を確認。さあフィニッシュだと玉網を持ったとたん竿が天を仰いだ。信じられないバラシ。どやら瀬ズレらしい。
Uenoさんは更に3匹目をゲット。焦る自分。強風の中でも何とか仕掛けをねらいの場所に入れ、ようやくアタリをとらえる。Uenoさんに玉網をかけてもらった魚は見事な魚体の42cm、1.27kgのクロだった。よっしゃあボウズ脱出。爆風に耐えようやくつかんだチャンスをものにできた喜びは、離島の20匹以上の価値ある1尾に思えた。時計をみると、納竿1時間前に迫っていた。
回収の船に乗り込んで、港へ帰る。船長に明日もここへ来るとリベンジを誓ったが、
「明日は、組合の休みだよ。第1木曜は休みになるんよ。」
と船長。がっくり。明日は風が収まる予報だというのに。門川リベンジはいつになるともわからぬ次回に持ち越されることになった。
しかし、今日の釣りは満足できた。忍耐でつかんだこの魚は、きっと忘れられない1尾になりそうだ。
さて、2日目は、北浦に来ていた。利用渡船はあゆ丸。釣り客は3人。1人のお客さんがじゃんけんで1番をゲットしてくれ、沖の二つバエに上礁。
あれだけ吹いていた爆風はそよ風に変わっていた。沖の二つでは、朝方は魚からの反応が少なかったものの、ぽつぽつと魚からの便りがあったが、またもばらしてしまい、40cmを1尾仕留めただけに終わり、午後1時には磯を後にした。
2012年辰年。今年もどんな魚との出会いが待っているだろう。